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一音の深さに、震えが走った時間。

こんばんは。

先日の日曜日、つまり、3月27日に、「舘野泉&草笛光子 音楽と物語の世界」を聴きに、地元の松戸森のホール21に行ってまいりました。その感想などを書いておこうと思います。

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相方から、コンサートの情報を聴いたのは、確か今月前半でした。仕事帰りに、乗換駅近くの掲示板にポスターがあったとのこと。27日の午後2時半開演で、チケットが¥2000! 

舘野泉さんは、2002年に脳溢血を発症され、右半身まひになられたピアニストです。リハビリにより左手のみで演奏されることを得ました。今、”左手のピアニスト”として、ご活躍です。

何かで舘野さんのことを読んで、一度演奏を聴きたいと願っていました。

私は、本来はピアニストは苦手ですし、ピアノ曲も好んでは聴きません。いろいろ聴いてみて、この苦手意識は、演奏家の個性によるものだと、だんだんわかっては来たものの、やはり、ピアノのリサイタルは行く気が起こりません。どうしても、オーケストラが聴きたくなることがわかっているからです。

その私が舘野泉さんを聴きたいと願っていたのは、我ながら不思議です。数年前、山下一史&千葉交響楽団と共演されたのですが、その演奏は抽選に外れて聴けなかったので、その分、何か渇望のような疼きがあったのでしょう(なにしろ、演奏曲がラヴェルの「左手のための協奏曲」で、私が大好きな作品でしたしね)。

さて。ほぼ満席の会場の真ん中の席で、私は、舘野さんのピアノの最初の音の深さに、戦慄したのでした。

光を内包した、けれど深い深い闇。エネルギーを充満させた静けさ。私のヴォキャブラリーでは、これが表現の限界ですが、私が今まで聴いた中で、こんなにピアノの音が、じんわりとしみてきたのは初めてでした。

いまでも、あの時の舘野さんの姿を思い出しては、立ち尽くす思いです。

実は開演直前まで、偶然お隣になった年配の女性との会話が弾んでいたので、プログラムも観ていなかったのです。♬ひとつ読めない素人の私ですから、演奏前に付け焼刃で知識を詰め込むようなことは一切しませんが、プログラムで演奏曲目くらいは確認します。けれど、今回はそれすらしないで、ぶっつけ本番で、聴いたのでした。

帰宅後に、本当に演奏曲目だけ並べてある(!)プログラムで確認したら、オープニング曲は、久保禎という方の「左手の祈り(舘野泉に捧ぐ)」という作品。舘野さんは、ご自身が左手のみで演奏されるようになって、国内外の作曲家たちに、左手だけで演奏できるピアノ曲を委嘱しているそうですが、今回のこの久保作品もその一つのようです。

「祈り・・・・かぁ」

あの時の舘野さんの姿を思い出して、何か腑に落ちた気がしました。

さらに、この作品の後、平野一郎という方の「鬼の生活~左手のピアノで綴る野帳(フィールドノオト)」という、13の楽章からなる長い作品が演奏されたのです。おそらく、2曲で、40分はかかっているはず。その間、もちろん、舘野さんのピアノの音しか聴こえないわけですが、その時間を私は一切退屈しないで、過ごしたのですねえ。オーケストラが恋しくなる、ということがなかったのです。

これには、自分でも驚いたものです。舘野さんの、両手で弾いても、こんなに豊かな表現は難しいだろうと思わせる独自の世界に、すっかり浸りきっていたのでした。ピアノ嫌いをも惹き込んでしまう舘野さんのピアノ! 

加えて、舘野さんが演奏された作品は、いわゆる”現代曲”です。今生きている音楽家の作品ですね。私は、これも聴くとストレスになることがほとんどなので、好きじゃありません。ところが、今回はそうじゃなかった。もちろん、理解できなかった部分もありましたが、それは、いわゆる”クラシック音楽”作品にだって、ごろごろあります。

これを要するに、ついてゆけない部分もあるにせよ、拒否反応もなく、楽しめたということなんですよね。舘野さん担当の第1部が終演した時、私の中にあったのは、「舘野さん、すごい・・・・・!」という畏怖にも似た感情だけでした。

昨今の、往々にしてやりきれなさばかりが募る状況で聴いた舘野泉は、魂を震わす力を持っていました。

これは、第2部の草笛光子さんとの共演で、はっきりするのですが、今夜はここまでしとうございますm(__)m

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