見出し画像

たとえ、否定されることがあっても、私はメッセンジャーです❤

今日の午後、ちょっとショックなことがあって、しばらく落ち込んでいました。

泊まり勤務1日目で、次の泊まり勤務のための仮眠を取っている相方は、階下の部屋で爆睡中。今日も、小春日和の快晴。愛鳥たちの世話がひと段落して、休憩を取った折、スマフォでFacebookをのぞいたら、そこには、色で言えば、真っ黒な憤怒の塊のような、知人の投稿がありました。

その方の師匠筋にあたる方の愛猫さんが天国に帰って、1年。その猫さんは、投稿した知人にとても懐いていて、師匠が演奏旅行で留守にするときなど、その方のおうちに猫さんのお世話のために泊まることもあったようです(ようです、とあいまいな書き方なのは、彼らの投稿から、私が類推しているだけで、確認したわけではないからです)。

知人の師匠は、私が大ファンのチェンバロ奏者。その師匠Kさんを通じて、知人とも知り合ったのでした。知人は、もともとはロック方面の演奏家のようですが、何らかのご縁があって、Kさんを知り、通じ合うものがあったのか、チェンバロ関係の仕事をするようになったらしいです。

私は、人間関係を作るのが下手です。大好きなチェンバロ奏者であっても、踏み込んで親しくなろうとするのを躊躇するんです。演奏を好きになったのだから、と、勝手に一線を引くのですね。自分が♬一つわからない素人だから、というひけめもあるのかもしれません。

なので、Kさんと知人のYさんのなれそめも知らないままです。彼らのことを語るとき、「ようです」「らしいです」が多くなるのは、状況から判断しているにすぎないからです。

ファンとして、KさんにもYさんにも対している間はそれでもよかったのです。ところが、Kさんの愛猫さんが1年前になくなって、メッセージを託されたときから、ちょっと雰囲気が変わってきました。

Kさんは、愛猫さんからのメッセージを納得して受け容れてくださいました。ところが、Yさんは、悲嘆の大きさに自ら振り回され、持て余してすらいるように観えました。それは、なくなった猫さんが、「観ていられないから」と、予定外のメッセージを託してきたことからも、尋常ではない風情があったのです。

彼(Yさんは男性で、Kさんは女性です)は、猫さんが天国に帰った時から、他者からの慰めを拒絶している言動を、Facebookでしていました。私自身、喪った存在の大きさが大きいほど、その喪失感が大きいことを知っていますから、下手に慰めの言葉をかけることはしませんでした。逆効果になると、これもまたわかっているからです。

個人的なメールアドレスや電話番号も知りませんから、フェイスブックでの投稿に注意して、彼に余裕がある雰囲気の時だけ、ごくわずかにコメントする程度でした。

最近は落ち着いたように観えていました。

ところが、今日の投稿、読み進めてゆくと、本の感想に絡めたものだったのでしたが、そこにあるのは、私のような役割の否定でした。天国、死後の世界、生まれ変わり。それらを欺瞞だ詐欺だと、否定していました。自分には亡くなった猫の声など聴こえてこない。そんなものはないのだ。死んでしまえばすべては闇で暗黒で無なのだ。

猫さんがなくなってからの1年、彼は、彼女の(猫さんは20歳の女の子でした)あけた穴を必死で埋めようともがいたのでしょう。それができずに、たまたま出会った悪魔の歴史の研究の本に救われたようです。

投稿の後半の本の面白さを夢中で語るさまに、私は無力感を覚えたものでした。1年前、猫さんからのメッセージを伝えたときも、彼からの反応は皆無でした。こればかりは、誰もが体験できることでもなく、信用されなくても当然だと覚悟はしていました。

ただ、これまでメッセージを届けた方々が、こちらがびっくりするほど納得してくださったので、心のどこかで、彼にも伝わるはずだ、と、確信していたのかもしれません。それが、こういう形で面罵され、全否定されることで(もちろん、彼は投稿の中で私を名指ししてはいませんけれど)、覚悟していたとはいえ、自分の確信が慢心だったと、思い知らされたのでした。

気を取り直して、インコの世話を再開しましたが、やはり、気分は落ち込み気味です。私の様子がおかしいと気が付いたらしい、コミドリコンゴウインコのピポナが、私を叱るように、励ますように叫び始めました。

「かあさん、元気出して! かあさん、まちがってない!」

そんな風に言っていた気がします。

すると、ひょいと言葉が落ちてきました。

「あのお兄さん、がっかり! 私が好きだったおにいさんじゃない! いまのあの人は、私がいないのがかなしいんじゃないの。わたしがいないことをかなしんでいる自分に、酔ってるの!」

あらま! 天国に帰ったはずの猫さんからのメッセージです。

なかなか手厳しい言葉です。そういえば、飼い主さんだったKさんへのメッセージも、なかなか厳しいところがありました。Kさんは、「あの子らしい」と、おっしゃっていましたが。猫さんからの言葉が、続きます。

「だから、ドクター(私のことらしいです)、いちいちおちこまないの! Kが納得してるんだから、それでいいの。あんなやつのなさけないぐちに、つきあわないの!!!」

私が叱られてしまいました。すると、ピポナがその言葉を聴いていたかのように、うんうんとうなずくのです。

その途端、すーーーっと、楽になりました。沈んでいた気持ちが軽くなって、目の前が明るくなった気持ちです。

その時考えました。彼の全否定・面罵の言葉は、私が心のどこかで恐れていたから引き寄せちゃったのかな、と。それを解放するために、彼が、悪役を引き受けてくれたのかな、と。もちろん、彼にはそういう意識はなかったでしょうけれど。

そう考えると、ショックだったけれど、彼にも感謝しなきゃいけませんね。

やはり、きっかけがあれば、どーーーーーっと行きますね。このことがあった時、「あ、これ、noteに書ける!」って思った私は、やはり、メッセンジャーらしいです、はい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?