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音楽を聴きながら戦慄もし、深い感銘も受けた話

<昨日申し上げた通り、本日は、6日の木曜日の夜に聴いてきた、仙台フィルハーモニー管弦楽団の東京公演のレポートです。本日の画像は、私がメインの曲の演奏から受けた印象に近いなぁ、と思っていただいてきた作品です>

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3年ぶりの、仙台フィルの東京公演。もちろん、私にとって、であります。仙台フィルは 、来ていましたから。

「最愛のオーケストラ」と言いつつ、昨今では圧倒的に、最愛のマエストロが率いる千葉交響楽団を聴くことが多いし、レポートも千葉響のものが増えてしまっています。我ながら、「私、本当に仙台フィルのファンを名乗る資格、あるんかい?」と首をひねる有様です。

けれども、昨年の秋、5年ぶりの仙台で仙台フィル&山下一史での定期演奏会を聴いて、「ああ、私には、やはり、仙台フィルなんだ!」と確信しました。その確信を、6日の夜、再認識した感じです。

今回は、指揮者に、楽団初の桂冠指揮者・パスカル・ヴェロを据え、「仏蘭西から亜米利加」(フランスからアメリカ)というテーマを設定。プログラムは、ジョージ・ガーシュウイン&アーロン・コープランドという、アメリカの20世紀の作曲家の作品で構成されていました。

ガーシュウインは、フランスの作曲家・モーリス・ラヴェルを敬愛していたことで有名ですし、コープランドは第2次世界大戦後、フランスに留学して、ナディア・ブーランジェに師事しています。テーマはこの辺りの背景も指すのでしょうね。

ただ、今回の指揮者のマエストロ・ヴェロは、アメリカ音楽がお好きだし、得意にもしてらっしゃるんですね。私が仙台フィルとのコンビで初めて聴いた定期演奏会のプログラムは、実にマニアックな南米音楽の作品が並んでいました。メインのアルベルト・ヒナステラの「エスタンシア」という作品以外、私は全然知らなかったんですが、サービス精神旺盛なコンビの演奏は、素人も充分に楽しめる濃密な時間を作ってくれたものでした。

さて。オープニングはガーシュウインの「パリのアメリカ人」。なんでもガーシュウインが初めてパリに行ったときの、戸惑いとか失敗などをもとにした作品だそうです。それだけにコミカルでお茶目な要素が大きく、聴いていて文句なく楽しめるんです、が。

今回の仙台フィルの演奏から、そうした感じを受けなかったんですね、私。さっき触れましたが、仙台フィルは聴き手へのサービス精神がとても旺盛なオーケストラなんです。ヴェロさんもそう言う一面をお持ちなので、こうした作品は、本当に楽しい演奏になるはず、なんですが。

どうも、私が知る軽快さがない。聴いていて、自然に身体が動くような、明るさが足らないんです。

ふと思いました。

「仙台フィル、こりゃあ、相当くたびれてるわ💦」

実は仙台フィルは、このサントリーホールでのコンサートの直前、弘前市でコンサートをやっているんです。弘前市から戻ってきて、翌日にはリハーサル(これは、仙台で、ですが)。指揮者も演奏曲目も全然違います。如何にプロとは申せ、蓄積された疲労も大きかったことでしょう。寒暖差も大きいですしね。プロの厳しさを、改めて思ったことでした。

それでも、後半になるにつけ、次第に本来の仙台フィルらしさが出てきたので、私も安堵したものでした。それでも、コープランドの演奏に、若干の危惧はあったんですが。

けれども。やはり、仙台フィルはプロのオーケストラでした!!! 私の危惧を吹き飛ばす、渾身のコープランドを前半・後半の2曲で、聴かせてくれたのでした。

前半のメインが「オルガンと管弦楽のための交響曲」。そしてコンサートとしてのメインは、「交響曲第3番」。どちらも、私は聴くのは初めてでした。

「オルガンと管弦楽のための交響曲」は、パンフレットにある、奥田佳道さんの解説によれば、演奏されることが極めて少ないのだそうです。聴いた私の印象では、とてもいい作品だと思うのですが。

ただ、何となく感じるのは、この作品の第1楽章が、きわめて重くて暗くて、相当な力量がなければ、聴き手を惹き込めないからだろう、ということ。ヴィオラ・フルート・チェロ・ヴァイオリンの独奏から始まるのですが、その様が底なし沼を連想させるほど重くて暗いんです。ここへ、オルガンが加わって、さらにはハープも重なります。解説の奥田さんはこの様を「幽玄」と表現されていたのですが、私の耳にはそんな優雅な雰囲気は伝わってこなかった。オルガンの音色もハープのそれも、全然救いにならないんですから。

これを聴いた時、何故マエストロが、この珍しい作品を取り上げたのか、納得したのです。今の世界の状況を表現するにふさわしい。ヴェロさんは、そうお考えになったのではないか。そうして、仙台フィルとなら、十二分に表現できる。そう確信されたのだと。

頭上からのしかかってくるようなあまりに暗くて大きな音圧に、戦慄すら 覚えて、息をのんで舞台に集中する私がいました。

終わりがないようにすら感じた第1楽章の陰鬱さを、勢いよく吹き飛ばしたのが、第2楽章であり、第3楽章でした。重苦しさに包まれた会場が、一転、生命力あふれる生き生きとしてのびやかな世界へと変わってゆきます。心なしか、演奏されている楽団員の方々の表情も明るくなった気すらしました。

第3楽章は、開放感すらある広がりをも感じる演奏で、聴く者の心を勇気づける力を持っているように私は聴きました。この変容ぶりから、或る確信が生まれたのですが、それはメインの3番のシンフォニーを聴いて、揺らぎようのないものになりました。

3番の最終楽章には、コープランドの作品としては有名な「市民のためのファンファーレ」が含まれています。このメロディを聴いた時、私は仙台フィルとヴェロさんからのメッセージを受け取った気がしたのです。

「希望を棄ててはならない。かならず、希望はあるのだから」

高らかに鳴り響く、管楽器のファンファーレ。そのメロディが、様々に形を変えて、何度も何度も繰り返されるのです。もちろん、打楽器も弦楽器もハープも参加しています。この作品では、ピアノもありましたね。

奥田さんの解説によれば、「市民のためのファンファーレ」自体が、第2次世界大戦で傷ついたアメリカの国民を励ますために作られたのだそうです。

仙台フィルは、13年前に東日本大震災という地獄を目の当たりにして、そこから立ち上がってきたオーケストラです。今でも、被災された方々に音楽を届ける活動も続けている、稀有なオーケストラなんです。こうした演奏家集団だからこそ、届けられるメッセージがあるのだと、心身を震わせる思いとともに聴き入っていました。ヴェロさんも12年間のシェフとしての付き合いの中で、このオーケストラの性質をよくご存じだからこそ、引き出せた演奏でしょう。今の世界へのまなざしとともに、マエストロの人と音楽への深くて強い愛情と信頼を聴きとった気がしたものです。

どうかすると、現実世界にうんざりして、背を向けたくなる日々の中で、「あきらめなければ、大丈夫!」というエールを頂きました。悲観的にならず、大きな視点で構える必要があるなぁ、なんてつらつら考えながら、空腹を抱えて、家路についた私です(^_-)-☆

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6月もそろそろ中旬だというのに、関東近辺の梅雨入りは、もう少し先になるとやら。酷暑の源・太平洋高気圧様の元気が、今一つなのが理由だと、夜のニュースで、気象予報士さんが解説してました。雨がないのはもちろん困りますが、さりとて、湿度の高い日々は堪えますしねぇ(^^;晴れ間が少ないので、ならば、もう少し晴れてほしいものです。

ここまでお読みくださったあなたに、心から感謝いたしますm(__)m💕💛
ありがとうございますm(__)m💕💛

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