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今年の年末は、「第九」も「メサイア」もないけれど・・・。

一昨日の木曜日の夜。上野にある東京藝術大学の奏楽堂で、山下一史指揮する、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」を聴いて来ました。オーケストラは、藝大フィルハーモニア管弦楽団。

山下さんは、東京藝大で、10年前から教鞭を取っていらっしゃいます。もちろん指揮科の先生です。昨年から、このオーケストラ(藝大の卒業生で組織されています。一応プロのオーケストラです)のシェフに就任されています(まぁ、大学の教員内で、持ち回りの感じですが)。

私は山下さんの指揮の時しか行かないので、詳しいことはわからないのですが、このオーケストラは、秋には合唱団(声楽科の在校生で組織されているようです)との共演をするようです。コンサートにも「合唱定期演奏会」とありますのでね。

今回は、山下さんお得意のブラームスの「ドイツ・レクイエム」一曲のみ。大体上演時間1時間20分ほど。なので、休憩がありませんでした。

「ドイツ・レクイエム」は、ブラームスの出世作なのだそうです。師匠筋のロベルト・シューマンに認められはしたものの、シューマンがブラームスを世の中に押し出し切る前に亡くなったので、いささか苦労したらしいです。

プログラムによれば、ウィーンでの初演は失敗(ブラームスは、こういうこと割にある人です)。それを翌年、今度はブラームス自身の指揮で上演すると(場所は、北ドイツのブレーメンだったそうです)、大成功。さらにその翌年ライプツィヒで、全曲演奏されると、その年だけで20回も再演される人気曲になったのだそうです。それが、ブラームスを作曲家として世に認めさせることになったそうです。

作品自体の存在は、もちろん知っていましたが、これまで聴く機会がありませんでした。私自身が合唱を好んで聴きに行くタイプでもないからでしょうね。割に、アマチュアの合唱団が取り上げているのを目にしますから、人気曲でもあるんでしょう。

さて。例によって、何の予備知識もなく、演奏に向き合いました。

合唱団は全員マスク着用です。その姿に、いささかげんなりはしたのですが、いざ演奏が始まると、彼・彼女たちのマスクが気にならないほどの熱演です。これは、昨年末にやはり山下&芸大フィルに、学生の合唱団で聴いたヘンデルの「メサイア」の時も感じたことでしたが・・・。

彼らの”歌える喜び・聴いてもらえる喜び”が、そのまま声に乗っているからかな、という印象です。山下さんとオーケストラも、彼らの純粋な思いに応えて、ともに高みに登ろうとしているように、私は聴きました。山下さんにしても、オーケストラの方々にしても、演奏機会が奪われて、苦しんだ経験をお持ちなのですからね。

山下&芸大フィルは、何度も聴いているのですが、今回初めて、「すごく良くなってるなぁ」と感じました。演奏してらっしゃる方々の多くの表情も幸せそうでしたし、響きの熱量がなかなか大きいのです。山下さんの思いが、楽団員にも合唱団にもいきわたって、通じ合ったうえでの響きに聴こえました。

「ドイツ・レクイエム」というタイトルからもわかるように、聖書の詩句をブラームスが選び抜いて、それらに曲を付けた作品です。山下さんがクリスチャンだという話は聴きませんが、彼がこうした作品を指揮するとき、私はいつも”音楽の普遍性”というものを感じます。

作品の宗教性を越えて、聴く者に訴えるものを持っているように感じるんですね。如何なる信仰を持っていても、その演奏を聴けば、崇高なものへの畏敬の念を抱く。それは宗教的な神ではなくて、もっと広い生命への大きな愛情。出会って12年。当初感じていたエネルギッシュの熱量は衰えを知りませんが、加えて、慈愛のようなおおらかさも加わっているのがここ数年の山下一史だと、私は認識しています。

演奏が始まってから、私はしばらく心臓をどんどん叩かれているような強いリズムを感じていました。それは、私の中にあるキリスト教への(ひいては宗教全般への)拒否感を、次第に崩していきました。演奏に集中するにつれ、指揮をする山下さんの声を聴いた気がしました。

「こんなにひどい世の中だからこそ、音楽は必要なんです。日々の疲れやつらさを忘れて、ひととき音楽に没頭してください」

山下さんご自身も日々感じていらっしゃるであろう様々な思いを、指揮をする両手にこめられている気がしました(最近の山下さんは、いわゆる”指揮棒”をお使いじゃないので)。

同時に、今回の演奏で、私の中にあった山下さんへの疑問の回答をもいただいた気がしました。

山下さんが愛してらっしゃるシューマンとかブラームスとかは、”音楽の父”ヨハン・セバスチャン・バッハを、深く尊敬し、また研究もした人たちです。なので、私は山下さんが千葉響の音楽監督に就任されたとき、「これで、山下さんのバッハも聴ける!」と、喜んだものでした。私にとっても、バッハは”音楽の父”ですから。

ところが、現在に至るまで、私は山下さんの指揮でのバッハの演奏を聴いたことがありません。今年の8月に、ほぼクローズ状態の(250席しかないオーケストラのコンサートなんて、クローズみたいなもんです)バロックプログラムで、初めてバッハの「ブランデンブルク協奏曲」を1曲、取り上げたようですけれど、私は聴けていませんのでね。定期演奏会なり、もっと大きな特別演奏会で演奏してほしいのですけれど、まだ実現していないのです。

けれど。今回のブラームスを聴いて、「あ、山下さんにとっては、これが”バッハ”なんだ」と、突然腑に落ちたのです。ブラームスやシューマンの作品、あるいは、メンデルスゾーンなどの、ご自身が愛してらっしゃる作曲家の作品に息づいている”バッハ”を表現すること。それが、指揮者・山下一史が試みていることなのだ、と、納得したのです。まぁ、何時かは、バッハそのものの演奏も聴いてみたいですけれどねぇ。

若干の楽章の合間での小休止を入れつつも、休憩なしで演奏された「ドイツ・レクイエム」を、聴いているうち、私は想いました。

「今年は、『第九』も『メサイア』も、年末に聴く予定ないけれど、この演奏聴ければ、充分だわ!!!」

今年の私にとっての「第九」であり、「メサイア」でもあったということですね。それほどのすべてが一体となった名演だったと、私は確信しています。

まぁ、もっとも、だからって、このコンサートが今年最後だってわけではないわけでして・・・・・(^^;
今の予定では、この後は、千葉県内を山下&千葉響がいくつか回りますので、それを追いかけます。さっそく明日、君津での特別演奏会です。それが終わると、旭市と市原市での特別演奏会です。市原市のコンサートが来月の23日ですので、これが年内は最終のものになる予定です。

山下さんは、この市原市のコンサートまで、随分過密スケジュールで、しかも関東を飛び出すものもいくつかありますから、ファンとしてはお身体が気がかりです。寒暖差も大きくなりましたしね。山下さんも、23日の市原市のコンサートがお仕事納めになりそうですけれども。私は、一ファンとして、ご活躍とご自愛を祈りながら、追いかけようと思っています。

急速に、冬がやってきましたね。北の地方では雪の予報も出ているようで、激変に恐れおののく寒がりの私です。皆様も、くれぐれもご自愛くださいませm(__)m💕💛


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