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三陸ツアー 6日目

 長い東北ツアー最終日は、「バイクツーリング」です。今までは違うのか、と言われれば、まぁツーリングなんですけど、あくまで旅の手段としてバイクに乗ってきた、という側面が強くて、あくまでテーマは被災地を巡る旅でした。
 最後の夜は福島市内のビジネスホテルで(久々にウニを食べない夜)、最後の6日目は横浜に帰るだけです。とはいえ、せっかく福島県にいるので、バイクの旅も楽しまなくては。そこで足を向けたのは「磐梯吾妻スカイライン」です。
 先ごろネットニュースでも、日本ではないような風景と話題になっていました。私は若い頃に来るまで走っているんですが、実はあまり印象がなくて、あらためてバイクで走ろうというわけです。磐梯吾妻スカイラインは吾妻連峰をぶち抜く山岳ルートですから、ワインディングをガッツリ楽しめますね。

 4日目・5日目と雨に祟られこの日も予報では曇り。しかし早朝目を覚ましてカーテンを開けると、抜けるような濃い夏空が広がっていました。急いでチェックアウトを済ませてバイクに飛び乗って走り出しました。

 途中遅い車に悩まされながらもグングンと標高を上げ、1400mを超えたあたりでスコーンと視界がひらけました。吾妻連峰一切経山と吾妻小富士が目の前に迫り、火山特有の荒涼とした光景が迎えてくれます。走っても楽しいし、止まっても楽しい、素晴らしい景色でした。

路面もよく変な気を使うことなく走れます。ペースを抑えてあまりバンクさせずに、広がる世界に意識を向け、しっとりとコーナリングを楽しみます。風はなく、気温は高からず低からずでメッシュのウエアに気持ちい空気を流し込んでくれます。

 こんなすごい道だったっけ? と首を傾げる思いもありますが、以前は車でしたからね。今回はバイクですから。バイクには空があるんです! 目の前を遮るものはありません。澄んだ空気に、わずかにこもる火山性ガスの臭気が気分を高揚させてくれます。

 中間地点の浄土平にはレストハウスやビジターセンターなどがあり、賑わっていました。早めに来たので、人もそこまで多くありません。ただ休憩するだけでは面白くないので、すぐそばに蟠る吾妻小富士(1707m)に登ります。階段をちょっと上がれば、すぐに火口壁の稜線に出られます。楽ちんな登山です。すり鉢状の火口と美しい山体は典型的なスコリア丘ですね。スコリアと軽石が堆積して、表情豊か。のんびりお鉢巡りをして、自分が走ってきた道を眺めます。これまた贅沢極まりない。

 1時間足らずで降りてきたら、先程よりぐっと増えた車とバイク。天気いいからバイク大集合ですね。ここは道志村か!?というくらいの台数です。

 ここからは林間のワインディングロードを流しながら猪苗代湖畔にでます。今度は猪苗代湖のキラキラした水面や広がる田園が目に優しい。東北の空は広く、あえて速度をあげず、だらだらと走るのがいいですね。

 国道294を南下しているうちに、白河を抜け、栃木県に。ついに東北が終わってしまいました。ここで前日のリベンジです。前日は雨のため、丸森城や桑折西山城に行くことを断念していました。旅に山城はつきものですからね、最後に一つお城に登らねば!
 そこでやってきたのは那須烏山市。那須氏の居城、烏山城です。那須氏といえば平家物語の那須与一が知られますが、嫡流は烏山城を居城として勢力を広げ、室町時代には誇り高い有力な国衆として関東戦国史に名を残します。

 関東の国衆は独立性が高く、小田原北条氏・関東管領上杉氏・古河公方・常陸佐竹氏などの有力な盟主たちが繰り返す争乱の中で、それぞれが強かに独自の動きを見せます。これが実はすごく面白い。
 那須氏で言えば、戦国末期の資晴は佐竹・宇都宮両氏に挟まれながらも軍略優れ、幾度も撃退しています。一方で北条氏や奥羽伊達氏と繋がり、外交によって孤立を避け、所領を守り続けました。残念ながら豊臣秀吉の小田原征伐によって改易となりますが、のちに徳川家康の御伽衆になっています。子孫は一時的ですが烏山城に復帰しています。その行く末も含め、こういう人物の存在が関東戦国史の醍醐味ですね。

 さて、肝心の烏山城ですが、中世城郭ながら近世に入ってからも藩庁として機能しているため、かなり改変を受けています

 中世初期は山頂の第Ⅰ郭「古本丸」が主郭ですが、戦国期には一段下がる第Ⅱ郭が本丸とされたようです。全体の構造としては第Ⅰ郭を中心に四方に延びる尾根にそれぞれ曲輪を作り、その間を堀切で念入りに断ち切っています。空堀も雄大で幅・深さとも十分ですが、これは近世の改修かもしれません。第Ⅱ郭には石垣もありますが、近世のものですね。

 山頂を中心にした縄張りは豪壮で、非常に雄大かつ緻密な縄張りをしていると感じました。近世改修を差し引いても、戦国期に宇都宮・佐竹を相手に一歩も引かなかっただけのことはありますね。地形図で見ると、山体西側がやや傾斜がゆるく、ここに大きな堀を掘ってるのはやっぱり弱点ですかね。

 とまぁ色々回ったんですが、実は早々に撤退しました。一つはヤブ蚊の多さ! 雨上がりのせいか、常に複数が接近戦を仕掛けてきて、防戦一方。気が散ってメモも取れません。また、どの曲輪も雑草伸び放題で、攻城戦仕様じゃないので隅々まで入りづらいのです(これも蚊が多い原因かもしれません)。堀切も曲輪の土塁も見応え充分なのに。もちろん、夏に攻城戦を仕掛けるほうが間違っているのですが…。山としても荒れていてとても歩きにくいのです。
 もっと言えば、案内も不親切で、申し訳程度しかありません。山城なんてそんなもんだろうと言われるかもしれませんが、例えば静岡の高天神城などは夏でも非常に見て回りやすく整備され、案内もしっかりしていました。

 せっかく市の中心に雄偉な城跡があるのですから、行政が文化財としてもう少し整備して、市民が誇れるようにしてほしいものです。正直言うと、お城を見ればその街の観光行政のレベルが分かるんです。

 というわけで6日間に及んだ東北の旅もこれで終わりです。栃木県にいるので最後に「バイク神社」としてライダーの崇敬を集める安住神社に参拝。いつもなら巫女さんと記念写真が撮れるのですが、コロナのせいで今はやってないんですね。今までで一番コロナに怒りを覚えた瞬間でした。

 6日間の総走行距離は1758.2km。見学時間がどうしても長くなるので、日数ほど距離が伸びないのはしょうがないですね。
 驚くべきは燃費です。通算で27.1km/Lを記録しました。空冷4気筒エンジンのリッターバイクでは冗談みたいな数字です。高速では30km/Lオーバーもしていたので、そこで稼いだと思いきや、高速利用は約690キロ。4割程度でしかないんです。あとはオール一般道!(…一般道を1000km走ってたのか) つまり、山道や市街地なども含めて高燃費が出せるバイクってことですね。

 翌々日、雨でドロドロになったバイクは、しっかり洗いました。再びピカピカです!

(三陸ツアー記 おしまい)

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