体験記

ただいま~

毎日が何もかも個人的で、他人と共有する用に解釈するには時間がかかりそうだったので、終わりまで取っとこうと思って外向きの文章を書かずにいた。明日起こる何かが今日の経験の意味をひっくり返す中、しゃらくせえ価値観がぐるぐると回り続け、一向に北を教えてくれない。ただ、今となってははもう次の日はないので、安心して機内でへいこら文字を綴っている。北はここだ。シベリア平原から星が見えるよ


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ハバロフスクきらめく

座席下の充電口が使い物にならず、とりあえずパソコンのバッテリーが尽き果てるまで。がらんどうの寮で過ごした昨日の夜は12時過ぎに眠りにつき、自然に目が覚めてすわ寝坊かとスマホを見たら朝方の2時半だった。ねむりが浅すぎる。離陸前に時差ボケが始まっている。

枕の向きを西から東に変えただけでなんだか知らないところに泊っているみたいでワクワクして寝つきが悪くなってしまうタイプだ。今回の留学中止にもなんとか明日からのワクワクを見出しているので、くやしさとかよりも検疫期間中にロシア語をガチるのが楽しみだ。シャバに出てくるころにはペラペラになっていることと思うぜ、同胞!たまにハイ期にわけもなく急に心臓が痛くなることがある。たぶん度を越してウキウキしているんだと思う。今、軽くハイ期だと思う。春だし

むしろ残り一か月くらいになって寂しがったり怖がったりする間もなく、一瞬でとどめを刺してくれたのは良かった。ホームシック止めの薬にと携えた親子丼の素は最後まで開けずにお持ち帰り。


在英中にブログを発信しなかったもう一つの理由を「いかにも交換留学生っぽくて恥ずかしい」などというあいまいな言葉でヘラヘラごまかしてきたが、つまるところ、コンテンツ力とは何か、という疑問に屈したのである。
わたくしごときが日々思ったこと(つれづれ日記とかいうひねりもない名前にありがちな)を記したところでさして面白くもない。かといって留学中に体験したこと10選!みたいなやつもいけ好かない。そうゆうのは経験の取捨選択であって、みんな~に伝えたいことと誰にも伝えたくないことをえり好むのがなんだか人の目を気にして生きているみたいで気に食わなかったし、(とはいえブログは人の目ありきなのですがね。桶からあふれた自意識の滴りがブログよ)私は承認欲求に食われず外と内側をうまく切り分けられるほどうまくできてないし、なにより生活とはひとつなぎの連続体であって、一つだけ無理に切り出してしまえば、断面図がなんだか嘘くさくなる気がしたからだ。私の生活がどれほど嘘くさくなったところでしゃらくせ~という感じでどうでもよいのですが、やっぱりこの半年間は私なりに大事なので、できるだけ傷つけずに持って帰りたいな~と思っていました。観光客でなくて住民をやってみたい、という気持ちのことですね。来た時にものめずらしがってむやみに撮ったキングスクロスまわりの写真が、昨日見返すとなんてあたりまえのなんでもない風景に見えて、憧れの地をまるごとモノにした達成感と、それでも湧き上がる物足りなさ。いっそ飽きたかったなあ!

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帰ったら半年を洗い流さないと

あとは、出会う人をコンテンツにしたくないな~という気後れがあった。友達と遊んだ旨のSNS投稿をしないというひねくれの結果、斜に構えたアカウントになっている。私とあなたの経験をあなた以外にたったの2秒で消費されたくないし、いいね~もしくはそれほどいくないね~というカジュアルな二択にされたくないからだ。いいかいくないかは私が決めるッ。という戦闘的な理由をやわらかく内向きの棘に言い換えるならば、留学生ブログなどというしゃらくせえものを始めた暁には、他人の中にコンテンツを見出そうと躍起になりだすと思ったのである。そういうのはとてもみじめだ。出会いを探しに社交場にいくほうがまだ出会いのための出会いという感じでよっぽど健全だ。

ただ、いつだって一番チャーミングなのは偶然が引き合わせた出会いに決まっていて、そんなふうに人生の街角のどこかでぶつかった相手を好きになるその一連の清流に、相手とのことを不特定多数にシェアしたい、という不純物が混じった瞬間に、その人と真っ向から対峙することができなくなる。その人が自分の興味を引いたから、ではなく自分の背後の知りもしないだれかに届けるため、のコミュニケーションなんてみっともない。肩ごしのそいつらに支配されるなよ。おい、俺の目を見て話せッ。

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さて、やかましく勿体ぶったおしゃべりのわりには、恥ずかしげもなく思い出のシェアをしようと思います。ただ、何の勉強についての見識が深まったとかそういう教務課に提出するたぐいのことはあたいたち子供が読んでも面白くないと思いますので、割愛…

とはいえ留学生活の大半を占めた学業について触れぬわけにゆかないので、奨学金パトロンの方々にはお聞かせできない嫌味ったらしいところから赤裸々に始めると、生まれて初めての劣等生とゆう体験がとてもよいことだったと思います。

客観的に見て学業エリート街道を自我芽生えしころより闊歩してきたわたくしですが、その勉学イージーモードたるゆえんの半分は自我芽生えしころよりの読書量にあり、スマートフォンと映画に出会う大学入学まではひたすらにページを繰り続け、比肩なき豊富な語彙量を手に入れたのであります。
このような逸話が伝わっている。3歳ごろ、電車の広告の【社】という漢字を指さしていきなり母親に「これ、『しゃ』でしょ」と言って彼女の度肝を抜いたらしい。なんということはない、何度も読み聞かせをせがんだこぐまちゃんシリーズの絵本の表紙にはどれにも小さくこぐま社と記されているのである。でもザッカーバーグの幼少期みたいなエピソードである。ひらがなと漢字の区別がつかなかった太古の話である。

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てかさひらがなとカタカナの区別って普通に成長してたらいつ頃つくようになるんだろう。外国人向けの日本語の教科書には文字そのものを習い始める前の章にひらがなとカタカナと漢字を分類するドリルが載っていることがある。

さて、そんなわたくしにとって日本語を操ることは右足と左足を交互に繰り出すことよりたやすく、ぶっちぎり優等生として全校の尊敬を一手に引き受けるハーマイオニーかくやの小学生時代を過ごす。(頭が良すぎて鼻にかけていたため、定期的にいじめられてはいた)中高は賢い周囲に思うように太刀打ちできずに最初の挫折を味わったが、出る杭が打たれない環境への喜びにその辛酸はどうにも心地よく、さらには文章を書くのがうまいというとりえと呼ぶにはデカすぎる特技をひっさげ、自意識折れることなく鼻高々に修業。大学受験の帰り道、こんなんで受かっちゃったら一生努力できずに人生舐めちゃうな~と思ったことを鮮明に覚えている。たぶんデータで見たら頑張ったけど主観的には本気とは程遠く、ただ私は要領がよすぎるのである。坂の上の雲にこういう言葉がある。

「…まわりをながめてみれば、自分が何者であるかがわかってきます」
「何者かね」
「学問は、二流。学問をするに必要な根気が二流」
「根気が二流かね」
「おもしろかろうがおもしろくなかろうがとにかく耐え忍んで勉強してゆくという意味の根気です。学問にはそれが必要です。あしはどうも」
と、真之は自嘲した。
「要領がよすぎる」

学問向いてないんじゃね、という思いが大学に入ってうすうすと正体を現し始める。これはあなたには意外でしょうね。映画に溺れるにつれ読書を次第にやめたが、学業に特に差しさわりは一切なく、高校までの読書量を切り崩すことで大学のレポートは余裕でなんとかなったし、豊富な語彙力とレトリックで授業もゼミもいくらでもごまかせる。ここらへんで気づき始めるのは、要領が良すぎて泥臭い学問的努力ができないということである。「学問には痴けの一念のような粘りが必要だが、要領のいい者はそれができない」(ここでいう学問的努力とは、さんすうドリルや第二外国語を含まない。これらは機械的学習だからだ)

さて、こういった傲慢な懸念を前置きにひっさげ渡航したわけですが、留学先でとったある授業において、21年間こしらえてきた高い高い塔が根元から倒木する事件が起きる。これは最終学年向けに開講された新宗教(西洋で展開するイスラム教や、カルト宗教など)についての授業なんですが、えげつない文献量や今までお習いしたこともない未知の分野であること以上に、周りの生徒のレベルが高すぎる。毎週のディスカッションでは担当の生徒が持ち寄った文献のその先への質問に対して活発な議論が交わされ、日本では聞いたこともない指定外の文献をそらで引用しながら即興で理論を組み立てていくばけもんみたいなのがいっぱいいて、やばい香りがする溌溂とした女性教授が薫り高い応酬にニヤニヤしながら時折口をはさむ。私はというと、ただ唖然としながら、人が話している間に集中力を切らさないようにするのが精いっぱいで、やっとこさ立てた毎週の目標が「まいじゅぎょうにいっかいははつげんする」という屈辱的なレベルの低さで、それでも脱落し破ること数回。情けね~~~~!!!!!情けね~~~~~~~~!!!!!!!

それでも21年間こさえてきた鼻の高さはちょっとやそっとでは折れず、「私ですらこのざまなのだからほかの留学生にもっと詰んでるやつなんていっぱいいるだろう。私が私でよかったな!ハ!」という捨てきれぬ驕りの流木にすがり半泣きで濁流をサバイブする前期半年間だったのですが、この経験が私にとっては日本ではとても得難いものだったと思います。(留学体験記常套句!)昔勉強のほんとうにできない子供たちが赤点留年回避をめざすための逆・アベンジャーズのような塾で勉強を教えていたのですが、あがきながら力尽きて教室を沈殿していくキモチってこんな感じなんだな…と今になって分かりました。無力!

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100袋入った紅茶の箱を飲み干すたびに、モノホンらしき生活が近づいてくる気がしていた

もともと持っていた日本語能力に比べると、スーパーカーを乗りこなしていたのが急にガタガタの中古車に乗り換える羽目になり、カーブを曲がるのもやっと…というもどかしさは尋常ではなく(だって運転手はおんなじなんだもん)、文献を読むにあたって日本語のそれみたいな爆速スキミングができないストレスは半端ない。要するに、泥臭い努力をこれまでしてこなかったので、上から順番に一行ずつ読むというやって当たり前の行為にたいする忌避感と正面から向き合うこととなる。万引きを繰り返していたらお金を払ってモノを買いたくなくなるのと一緒である。ただ、保護観察期間中にズルをするわけにもいかないので、嫌がる脳に鞭打って机に向かうその瞬間だけは、もしかしたら本気出して勉強してたことにしてもいいかな~と思っています。

ただし、後期は慣れもあってか履修しているクラスで幅を利かせはじめ、イスラム教についての授業でムスリムよりよくしゃべる謎の学生として先生に気に入られるなど、有り余る才は隠しきれないのであった。オ~ホホホ オ~ホホホホホ

そういえば新宗教の授業といえば、新宗教団体にフィールドワークしてエスノグラフィーを書くという期末課題。(人類学をやっておきながら、フィールドワークといえば野山に赴いてお花を摘んだりするイメージがいまだに脳裏をよぎる)ガタガタ震えながらカルトの神殿に赴き、信者の方々や教祖の奥さんに楽しくインタビューができたのですが、有機野菜を通じた魂の浄化の話をのめりこんで聞くあまり奥さんと仲良くなりすぎて教祖に目を付けられ、「通過儀礼を受けて信者にならないとこれ以上の取材はうけつけませんぞ」みたいなことをオブラートに包んでメールで言われて震えあがるなど、なかなかスリリングな駆け引きができました。

何の因果か女子フラットの8人中5人がムスリムで、一緒に暮らしているうちに、今までは宗教というものを人生の縛りプレイみたいなものだと曖昧に捉えていたのが、見方が大きく変わりました。誰かが共用キッチンに男子を連れてくるとチャットグループに「ムスリム女子、ヒジャブ注意報!」って流れてきたり、隣の部屋の子が卒業プロムのドレスを選ぶ様子をみんなで野次っているうちに、ムスリム向けのドレスを扱ってるウェブサイトがあるんだな~と知るに至ったり。信仰が生活の軸にあるというブレなさには見習うものが多かったです。

あとはインド人を誘ってインドのグジャラート州に伝わる伝統的な祭りに行ったんですが、市民ホールの真ん中にでかい神木が据えられて、その周りを全員が踊り狂ってて熱気。ボリウッドで往々に登場する「一番うまく踊れる奴がセクシー」という無茶苦茶な概念が、生で見て初めて肌で分かったね。ボリウッドといえばインド映画の授業は、予習に課題の映画を観るので文献のほかに週3時間以上取られるため、一週間さぼってたツケが回り前日の夜中3時までかかって寝ぼけ眼で視聴する羽目になること多々。結局一学期かけて気づいたのは私はあんまりボリウッドクラシックは好きじゃないということ…流石に陳腐すぎる。その反動を受けたコンテンポラリーのほうがヒンディー社会風刺に走ってて面白い。イギリスではいろんなインド人に出会って、インドに対する解像度が跳ね上がった。どこの地域で何語が話されているかくらいはそらでわかるようになった

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インドのほかにも、他人との出会いが自分の感受性の世界に対する表面積を広げてくれた。その地域から来た知り合いの存在が、今まで苦手だったワールドニュースへの肉薄を迫るのだ。ロンドンを飛び出て旅行する機会にはついにあまり恵まれなかったが、この半年で主観的な世界の広さでなく深さがとても拡大した実感がある。壁掛けの世界地図を部屋に貼ったのは正解だったと思う。イギリスが真ん中の地図を眺めて初めて、イギリスとアメリカとか、ポルトガルとブラジルとかの近さを実感するのであった。そりゃ海も渡るわ。ほら日本が中心だと端と端に見えるじゃない?

あとは、語り合う相手もおらず一人ひっそりと温めていたいろんな趣味が同志を見つけて初めて花開く瞬間はナニモノにも代えがたい。ドキュメンタリー映画で知ったブラジルのデュエットグループAnavitoria(アナとヴィトリアで、アナヴィトリア)を応援しているのですが、プラハのユースホステルで頭上のベッドを割り当てられてたブラジル人の女の子がアナヴィトリアのライブTシャツを着ていて大いにぶちあがる。一緒に早起きして一日だけ一緒に闇雲に旅をした。留学先のポルトガルに旅立つ彼女をバスの窓越しに見送り、ホステルまでの西日射す帰り道にアナヴィトリアの音楽を聴きながらなんてシネマティックなんだろうと自己陶酔するのであった。ビフォア・サンライズっぽい。彼女は私に会うため五月にロンドンに来る予定だった。


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こうして音楽に直接の関係のない意味づけがなされるとき、プレイリストは本当に自分だけのものになる。写真や日記より体験そのものが明らかでない分、曲を聴くたびに思い起こされるそのときの気持ちは限りなくそのままのものだ。聴覚や嗅覚は、視覚情報よりはるかにビット数が少ない分、より感情との結びつきが自由だ。ディルという香草がある。レシピに従って何気なくカゴに放り込んだこのハーブの袋を開いた瞬間、強烈にロシアの香りがして腰を抜かしてしまった。テトリスのオープニング画面みたいな大聖堂の写真だとかよりよほど強く私の思い出に結びついているらしい。いつか匂いもインスタに投稿できるようになるのかな。だから機内でニルヴァーナなんて聴いてたらこれから先エモがらずに聴けなくなっちゃうよ。


やり残した!しまった!みたいな歯ぎしり地団駄は思ったほどないけれど、こしらえた決して全然多くはないがとても大事な人々との最後の別れが電話越しの簡素なものになってしまったことは悔しく、そして悔しがれるほど大事な人々が少しできたことは確かにうれしい。英語という母語に比べればまだまだ不安定なコミュニケーションツールでこんなにしっかりした人間関係を築き上げられたという留学生なら当たり前のことが今でも信じられずにいる。洋画かぶれの私にとって英語はまだ指輪物語みたいなおとぎ話の中の言語に過ぎず、英語をしゃべるときは別の人間を演じているような気持になる。スロット2の人生みたいな感覚。


「イースター休暇にはあなたを海辺の私の家へお茶に招待しようと思っていたのよ。でもあなたの分のカップは次に来る時まで温めておきますからね」
南の町ブライトンからロンドンまで毎週木曜日の授業を一コマだけ聴講するために片道二時間かけてやってくる、まさにイギリスの淑女といった趣の闊達で上品な老婦人。授業の後に、よく喫茶店に繰り出して言語学の話でしこたま花を咲かせた。自分が英語社会に参入してから感じる自分の言語運用能力への歯がゆさから得た認知言語学的な気づきだとかに熱心に耳を傾けてくれる唯一の人だ。たとえば、私はまだRとLの聴き分けが苦手なのだが、これはどうやら記憶力にも延長するらしく、よく芸能欄で見かけているはずのレオナルド・ディカプリオのイニシャルがいつもわからなくなる。つまり、文字媒体を消費するときであっても音素に対する認知能力が影響してくるのだ。とゆうような話をめんどくさがらずに聞いて議論に持ち込んでくれる婦人ルーシーは、イギリスで一番年の離れた友達で、ここにスペシャルサンクスを記す。
ほかにも、実学とはいいがたい言語学というチャーミングな学問に全く真摯に向き合っている学生がクラスにたくさんいて、議論の引き合いに出される言語が世界を飛び回り、「私の言語では~」から始まる発言の連鎖に、興味のない人なら気にも留めないような小さな言語学的発見をこよなく愛する人々が一堂に会するその空間に居合わせるだけで無上の幸せを感じたものだ。あ~あ、全然物足りないし帰るのが本当に億劫だなあ。一方、日本の方の大学のOBパーティですこぶる偉い人に「大学なんて真面目に通ったって意味ないよ、ハハハ」という大変ありがたいお言葉を賜り、案外しっかり傷ついてしまった。こうして学問は死にました。みなさん、学問は死にました

てかさ、授業をサボって遊びにいってやったぜみたいなしょうもねー自慢って流石に在学中で飽きて終わりだと思ったけど、50歳くらいになってもまだやってる人がいっぱいいてしょうもねー武勇伝で無邪気に盛り上がれるんだなあと思うと本当に情けなくなるね。気づかない間に私もあんなふうになっちゃうんでしょうか。イヤすぎる。そうなる前に力いっぱいひっぱたいてくれ!

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あわただしさの中に一人一人がそれぞれの家に飛び立ち、最後の子が旅立つ来週には私たちのフラットが空になる。全体的に夜更かし気味だったフラットは、朝日が昇るまで薄い壁からキッチンの声が聞こえてくる。時々参加してはウノをしながらゲームオブスローンズのキャラクターを一緒にこき下ろしたり、紅茶片手にユーチューブをサーフィンしながら熱唱したり、時には一対一で人生にまつわる話をしたりした。私たちのキッチンの備蓄がかわるがわる知らぬ間に減り、あきれ顔で肩をすくめながらけっきょくウケてしまう箸が転がってもおかしい年ごろのフラットメイツとは、これから密に連絡を取ることはない。たぶん本気じゃないあなたの国にいつか会いに行くからねと、ちょっと本気の私の国にいつか遊びに来てねを挨拶の代わりに、接触禁止を無視したハグのたびにひとつずつ壁の薄いフラットから音が消える。物理的な距離よりも、時差が隔てる壁が厚い。メッセージがコンマで届く時代になっても同じ月を見上げることのできないことになっている地球の形が、たまにとても歯がゆい。

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半年間お世話になった日本の皆様、本当にありがとうございました。励ましの言葉がいつもうれしかったです。

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