小6の時にイマジナリーフレンズが6人いた話

昨日から脳にアメリカのチアリーダーを住まわせ始めて、心無いテレビ番組やセンセーショナルなインターネット記事などに腹が立った時「アメリカのチアリーダーはこんなことでいちいち目くじらを立てたりしない」と思うことで脳を清潔に保つエクササイズを始めました。脳のアメリカのチアリーダーにもちゃんと栄養がいくように登下校中にカーリー・レイ・ジェプセンを聴いたりする

話は変わりますが私は小学生の時にイマジナリーフレンドをこさえたことがある。


イマジナリーフレンド(英: Imaginary friend)とは、「空想の友人」のことであり、心理学、精神医学における現象名の1つである。イマジナリーコンパニオンと呼ばれることや、IFと略されることもある。(Wikipediaより)

その、風変わりな友人を得たきっかけはよく覚えていないが、小5くらいのとき塾の社会のテストで「白川郷」の漢字が思い出せずに「白河豪」と書いて誰やねんと突っ込まれたのが命名の由来だったことは一応覚えている。そう、そいつは豪という名前の男の子だった。しかも関西弁の

まずテストのときは彼を頭の中に呼び出して、「これってなんだっけ?」とか聞きながら問題を解くようになった。試験って一人でやるから緊張するし、誰かとしゃべりながらとくとだいぶストレスが軽減するよね。それから試験中にものごとを聞くにとどまらず、普通の勉強中も記憶を白河君に分担させるようになった。「社会」の科目を任せた。算数は自分でやった

科目ごとに一人ずついたほうがいいな、と思い立ったので徐々に頭の中の人数を増やした。イマジナリーフレンドがイマジナリーフレンズになった瞬間である。だから、勉強するときは大体そいつらと頭の中でしゃべりながらだった。特に白河君はジョークも言った。全部忘れたけど、ちょっと面白かった覚えがある。

小学校の頃は誰とも話が合わなかったので友達が少なく、特に同じ方面に帰る人は一人もいなかった。だが、私の頭の中には六人もいたので大丈夫だった。学校の帰り道、頭のフレンズとおしゃべりしていた。その6人は私抜きで遊びに行ったりしないし、私にわからない話はしないし、いつもかなり優しい。私に今日あったことの話、彼らに今日あったことの話、ずっとしていた。

もちろん中学入試当日にも彼らは大活躍で、科目が変わるごとに入れ代わり立ち代わり担当者が現れては答えを教えたり一緒に考えたりしてくれた。だが中学に上がってからは、ちゃんと生身の友達ができたので、もう話すこともなくなってだいぶ長らく忘れていた。白河君いがいの名前はもう思い出せない。

現実世界に白河君たち六人の姿が見えたことはないのでそういう方面の病気ではないと思うし、誰にも話したことがないので妄想と現実の区別はついていたと思う。ただ、小学六年生というのはおさなごが遊び相手にイマジナリーフレンドを作るには随分と遅い年齢だし、私はそのちょっと異常な脳内環境に対してちっとも悪びれずにいたので、まあ多少は奇人だったかもしれない。こっそりと。

思い当たることといえば小学校低学年の頃、学校の机の中に入れるおどうぐばこを家に見立てて、色鉛筆や文房具の中にスペースをこさえて、タオルをしいて寝床にしておちゃけんのストラップを飼っていた。自分だけの箱庭を作るのが好きだったのかもしれない

オチャけんなつかしくてウケる

暗記事項を脳内友人に任せるというのもなんかオカルトっぽくて面白いですね。結局は自分の脳のリソースだと思うんだけど、教科ごとに棚を作って整理整頓して覚える分効率は良かったのかなあ。どうなんですかね。

今では空想の友人はひとりもいないが、頭の中で会話する癖は一切直らず、ラジオや音楽を爆音で聞いているときと本を真剣に読んでいるときと実際に人と会話しているとき以外は常に、頭の中で誰かとしゃべりっぱなしでいます。永遠に実在しない会話のシミュレーションをしています。脳の喉がカラカラです。爆音で「I really like you」を聴いています。私はアメリカのチアリーダーではありません。助けてください

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