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「感動しなくなる」ことへの警鐘

「感動葬儀。フューネ」です。

「感動しない人生を送るのは、生きていないことと同じである」

という名言を残したのは相対性理論で有名なアインシュタインの言葉。
弊社社長の好きな言葉です。
アインシュタインがこのような名言を残したのはおそらく年を取るにつれて「感動しなくなる」ことへの警鐘ではないでしょうか。

「感動」するという行為は脳を刺激し、脳の発達には非常に重要な要素なのです。一般的に子供の頃は見たもの聞いたものが「感動」につながるのですが、大人になるにつれて「感動」しにくくなるものです。なぜならば、初めての体験というものが圧倒的に少なくなるからです。
例えば初めて見る映画で感動して大粒の涙を流して感動した映画でも2回目、3回目と再度見てみると残念ながら初めて見た時ほどの「感動」はそこにはありません。2度目、3度目と体験を重ねることによって慣れてしまう。
「慣れ」というものが「感動」することを奪っているのです。

今さらではありますが、フューネは「感動葬儀。」が商品です。たとえ、どんなに良いサービスでもフューネのスタッフもお客さまもそのサービスに慣れてしまうことが一番恐ろしいことです。涙を流すほど感動したことはおそらく一生忘れることが出来ない思い出になると思います。

脳の研究者茂木健一郎さんが解説するには前述の映画の例に当てはめてみると例え、映画のタイトルやストーリーを忘れたとしても涙を流した部分は覚えているもの。それは脳が必死なってその一場面を記憶と感情のシステムに残しているからだそうです。

フューネの考えるお葬式はお葬式に参列したすべての人に参列したお葬式のことを一生記憶に留めてほしい。決して亡くなった方のことを忘れないでほしいと願っています。そのためにはお客さまに涙を流すほど感動して頂けなければ記憶には残らないのです。

先程、大人になるにつれて「感動」しにくくなるものと言いましたが、それは葬儀においても同じことが言えます。葬儀に参列する経験が蓄積されてくる人ほど「葬儀」に慣れてきます。葬儀慣れしてしまった方はなかなかふつうのお葬式で「感動」はしてくださいません。

しかしながらそのような方でも思わず感動の涙を流してしまう感動があるのです。それは自分の孫くらいの年の子供さんが大粒の涙を流しているシーンを見て思わず感動してしまうのです。
人は感動している人を見て感動してしまう。こうして感動の輪は広がっていくのです。

亡くなった方への一番の供養は忘れないであげること。いつまでも記憶の中に残っていてほしいものです。

その為には兎にも角にも「感動葬儀。」フューネはこれからも「感動葬儀。」を提供しつづけます。

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