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どうも、院長のKazuです!

みなさま初めまして。
北海道深川市で開業30周年を迎える舟山歯科医院の院長、舟山一成です。
父親が30年前にこの地で開業し、今までにたくさんの患者さんとスタッフ達に支えられ、ここまで来ることが出来ました。30年の節目に心機一転リニューアルを行うこととしました。
今後、定期的に損しない歯の知識を投稿していこうと思います。今はSNSなどでも多くの情報を得られる時代。しかし、まだまだ世に出ない歯科業界の裏の話もあります。
ここでしか見られない内容を多く入れていきたいと思いますので、どうぞお楽しみに。


初投稿では、院長の僕の自己紹介を行なっていきます。
1990年4月、北海道旭川市生まれの33歳です。

旭川東高校に進学し、東京歯科大学に現役で進学しました。大学時代はサッカー部に所属し、週5回の部活と勉強をなんとか仲間と共に両立させることが出来ました。しかし、大学2年時には、飲み会の頻度の高さから、勉強に精が出せなくなってしまい、生活もだらけ、授業の欠席回数をオーバーしてしまい、ある日学年主任の先生から、突然「留年です。」と告げられました。

僕は頭が真っ白になり、すぐにどうすれば留年から逃れられるか、教授室に聞きにいきました。
「無理だよ。」と最初言われ、絶望していたところ、教授から、一度両親と面談をします。と言われ北海道から両親が呼ばれました。
僕は髪を黒染めし、スーツを着て、あとは運に任せるしかないと思い、両親と共に、面談を受けました。両親にはブチギレらると覚悟していましたが、まさかの、何も怒られることはなく、特に言葉はなかったのを今も思い出します。
「舟山くんはたまたま入試の成績がなかなかいい方です。一度だけチャンスを与えます。後期の試験は全ての教科で合格すること。そして毎日の授業態度も見ます。」とのことでした。

両親への申し訳なさと、このような状況になっても優しかったことに対し、このまま終わるわけにはいかない、本当の本気を出す時がきた。
ということで本気で勉強に取り組む日々が始まりました。

次の日朝学校で、一番後ろの列で一緒に授業を受けていたメンバーに「今日から俺は一番前で授業受けるわ!俺ら歯医者になるんだから、しっかり勉強して、遊ぶとき遊んでオンとオフをしっかりしようぜ!一緒に前で授業受けようぜ!」と投げかけましたが、

シーン。。。


そこで1人、友人のS君が
「俺もいくわ。」
と一言

あの時の感動は忘れられません。
本当にありがとう。
そして歯科医師になった今も彼とは一緒にセミナーを受けたりする仲間です。

その後後期の成績は試験全教科一発合格、そして総合試験の結果は3位となり、大学5,6年の時は「勉強委員になってほしい、お前の周りの不良グループをまとめてほしい」と、教授から直々にオファーをいただきました。

「もちろんっすやるっす。」

と留年とせずチャンスを与えてくれた大学にも恩がありましたので、即答しました。

僕たちは8人ほどで勉強グループを作り、毎日22時まで自習室で勉強し、夜のメンバーも作りみんなを率いて、ファミレスで毎日午前2時まで勉強の日々を送り、見事全員卒業試験、そして国家試験も現役合格に至ることが出来ました。

大学だけでも非常に濃い日々を過ごさせていただき、一生の先輩・後輩・同期にも恵まれました。
本当に周りに感謝しかありません。



卒業後は、慶應義塾大学の歯科口腔外科の医局に入り、歯科医師の基礎を学びました。あの慶應大学の附属病院ですので、様々なVIPの方々が来ます。
まず教わったのは、礼儀と礼節。
メールの文章の書き方など 社会人としての基礎。

多くの芸能人やVIPの方に直接対応するのはまず僕たち研修医の仕事でしたので、失礼なことをするわけにはいきません。毎回緊張したのを覚えております。

その日々の中で歯周病チームの憧れのカリスマ先輩と初めて食事をする機会が来ました。「お前、この慶應での目標は?」
と聞かれ、「同期の中でトップになります。」と即答しました。
「いいね。」と一言。

この先輩には他では絶対に教われない歯科医師としての基礎を学びました。
夜中の2時に呼び出されても、ジャケットと革靴に着替えて飛んで行きました。
慶應での3年間が今の僕の人生の基礎です。
同期にも恵まれ、今も交流しています。

慶應での3年目の生活が終わろうとしている頃、出向と言って他病院に行かなければならない時期がやってきます。選択肢としては、口腔外科の専門病院・病院歯科・一般歯科でした。 僕は将来的に実家に帰るか、自分で新たに開業するかのみしか考えていなかったため、最初の二つは候補には入っていませんでした。
しかし、教授から「お前が一般歯科の病院に行きたいのはわかる。ただ、もう1人同じ気持ちのやつがいる。じゃんけんで決めてくれ。」と言われ、
少し考えさせてください…
「僕はじゃんけんで将来決めたくないので、申し訳ないですが、慶應を辞めさせてください。」と言いました。

教授には色々と期待していただいていた分、非常に残念な思いをさせてしまったと今も思っております。
しかし、自分の選択肢は全く後悔していません。

辞めると言ったはいいものの、次の就職先は決まっていません。
まだ何も成し遂げていないし、得意分野もない。北海道に帰るのは早いと考え、
とりあえず、片っ端からクリニックの見学に行きました。

そんな中で出会ったのがN先生
歯周病のスペシャリストで、当時のN先生は今の僕と同年代。見学時には治療の丁寧さと綺麗さに感動しました。その後の食事でも、この人ならめちゃくちゃ尊敬できる。一緒に働きたい。そう思いました。
しかし一緒に働ける病院は静岡県。行ったこともないしもちろん知り合いもいない。色々と悩んでいました。

多くの先輩方にも相談し、両親には「静岡まではやめときなさい」とまで言われました。しかし、自分の人生、後悔はしたくないと思い、N先生との電話で「僕、静岡行きます。よろしくお願いいたします。」と答えました。


静岡へ引っ越し、新しい生活が始まりました。
見知らぬ土地で不安でもありましたが、希望の方が大きかったです。
仕事はとにかくN先生の技術と知識を全て吸収していこうと気合を入れていました。とても楽しく、充実していましたが、一向に友達ができません。
これは流石に少し寂しかったです。友達がいないので、結局毎週末東京に帰り、大学や研修医時代の友達と会う。そんな日々を数ヶ月続けていました。

そんなある日、たまたまの席で2個上の方と出会いました。
僕と同じように東京の大学をでて、今の生活に燻っているようでした。趣味は仕事とビジネス書。僕とほぼ同じ中身の人間でした。すぐに仲良くなり、毎週飲みに行く中になりました。毎回お互いの将来のアツい話で盛り上がっている中、「先生に紹介したい人がいる。今度会おう。セッティングするよ。」と言われました。

紹介されたのは同じ2個上の歯科技工士さんでした。
初めまして、と挨拶した瞬間、こいつの目は本物だ。絶対いいやつだし仲良くなれる気がする。と確信して 
気づいたら毎週3人で朝まで飲みに行くようになりました。

この技工士のJとは今もお互いに北海道と静岡を行き来したり、人生相談もする仲。生涯の親友です。



患者さんにも恵まれ、とても仕事が充実していたある日、師匠のN先生から、話があると言われ、
「開業することになった。」とのこと
この人についてきたのに、いなくなってしまう。しかも急に…
色々とショックでしたが、
逆に院長となり、いい経験が積めると前向きに考えていくことにしました。

初のマネジメント
幸い、スタッフとは良い関係性を気づけていたため、みんなに支えられながら、仕事もうまく行っていました。


しかし、そんななか、だんだんと病院内の様子がおかしくなっていったのに気づきました。
ところどころで聞く噂
「この病院は赤字で、いつ潰れるかわからない」と。

歯科以外にも介護施設や内科や整形外科などが入っていた総合クリニックで、全体の経営は大幅な赤字でした。

他の先生方にもアドバイスをいただき、今できることをやるしかない。
治療を進めるよりも、患者さんの紹介先を探すことを優先するしかない。
スタッフみんなで協力しあい、一人一人に紹介状と保証書をお渡ししていくことにしました。

ある患者さんからは急に閉院するなんて無責任だと怒られたり、また、ある患者さんには先生は今後どうするの?大丈夫?と心配のお声をいただいたりしました。

その心配してくれた1人の患者さんは静岡で大手のスーパーチェーンの社長さんでした。色々と親身に話を聞いてくださり、僕は改めてお礼も言いたいと思い、名刺を交換させていただき、後日経営されているカフェでお話しさせていただく機会をいただきました。

これからの将来のアドバイス、今までのこと、そしてご自身で経営されている会社のことなど、とても勉強になるお話を聞かせていただきました。このご恩は忘れずに、今も定期的に経営のアドバイスをいただきに直接静岡まで会いにいっています。

他にも以前に静岡の勉強会で出会った同じ東京歯科大学の10個上ほどの先輩方には患者さんの紹介先になってくれたり、直接病院まで来ていただき、お世話になりました。今も定期的に連絡をとらせてもらっています。


そんなこんなで周りの人の支えありきで、静岡生活は終わりました。
そこで次の選択肢は二つ、また東京に戻り、勤務するか
ついに実家の北海道に帰るか

色々と考えた結果、北海道に戻ることにしました。

ただし、元々考えていた、札幌の都心で開業したいという目標が頭にあったため、札幌の都心の病院で常勤となり、実家の舟山歯科医院は非常勤で週2日〜3日での勤務で行くこととしました。



札幌の病院は大通りのど真ん中の都会型の医院でマイクロスコープが全ユニットにあるというまさに充実した設備のある病院
こんな病院を目標に頑張ろうと決意し、札幌生活が始まりました。

しかし、だんだんと違和感を感じていきます。
そこでの院長の治療内容は、セラミックやインプラント治療など、一見最先端のことをやっているように思えます。
しかし、僕が今まで真面目に学んできたこととは少し違う…

よく見てみると、セラミック治療やインプラント治療をした患者さんたちが、どんどん悪くなっていっていました。
定期検診で来ても、形だけのメインテナンスで、悪くなったインプラントを見て見ぬふり…

これは医療ではない、僕は自分の思う正しい医療をしたいし、患者さんに嘘はつきたくないと思っていました。
一見反発していたように思えたのでしょう。院長との関係性は次第に悪化していき、経営コンサルの方には毎月圧迫面接のようなものを受けていました。

正しいことをやっていれば必ず報われる そう考えていましたが、やはり人の病院です。自分だけが違うやり方をするには限界があり、かなり心身的なダメージを追っていました。

そんなある日、ある先輩に「俺の医院にくるか?」とありがたいお誘いがありました。
それがY先輩です。
週2日間 Y先輩の医院で非常勤をさせていただき、残りは実家の舟山歯科医院で働くという日々が始まりました。

ありがたいことに大通りの委員からY歯科医院にまで通ってくれる方が多くいて、自分の考える医療は間違っていなかったと確信に変わりました。



多くの先輩方にも後押ししていただき、2022年の4月父親の後を継ぎ、舟山歯科医院の院長になりました。

院長とありながら、週2日は勤務医をするという生活が続き、ついに2023年6月にY歯科を退職することになり、深川一本でいくことになりました。
院長業務に集中するためです。

Y先輩には公私共にお世話になり、本当に人生の師匠です。何かあったらまず相談したい そう思える先輩です。大好きです。


そんなこんなで現在舟山歯科医院の院長として日々診療を行い、ありがたいことに飲み会で出会ったT先生が常勤勤務医として就職してくれました。
最高なスタッフ達にも恵まれ楽しく診療しています。
北海道中から先生達が見学にもいらしてくれ、とても充実しています。




今後の目標

・最先端歯科治療と予防医療をベースにした、一人一人へのオーダーメイド治療・オーダーメイドメインテナンスを提供できる歯科医院を目指します。
・患者さんたちとスタッフ全員、舟山歯科に関わる全ての方々が笑顔になれるよう心からサポートします。
そして最終目標は歯科医療を通じて日本を笑顔にします。

これを達成するために今までどこにもない歯科医院をつくります。
皆さん、楽しみにしていてください。


ここまで読んでくれた皆様、ありがとうございました!!




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