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越谷界隈の人々。 [第1回] 小川英明さん


- 小川さん、今日は宜しくお願いします。まずは、自己紹介というか簡単なプロフィールをお聞かせください。

私、大相模の小川と申します。よろしくお願いします。先祖代々大相模地区に住んでおり、現在、越谷市役所に勤務しております。6年前に母校である大相模小学校でPTA会長としてお世話になったのがきっかけで地域の活動に少しずつ関わるようになってきました。

- なるほど。PTAは地域活動のスタートとよく言われますが小川さんもそんな感じなのですね。今は、地域でどんな活動をされているのでしょうか?

そうですね。小川英明の所期の目的、志を目覚めさせてくれたのがPTA活動でした。感謝しております。PTA活動は地域活動の登竜門と言われています。社会の役に立ちたい、社会貢献をしたいという志のもと役所に就職しましたが、次第にその志が薄れ、自治会や子供会等地域活動は相方に押し付け、所期の目的や志を忘れてしまっていました。そんな時、地元の同級生から「PTAをちょっとだけ頼む」と言われたのがきっかけに呼び起こされた次第です。現在は、PTAは卒業しましたが、若い頃の志を思い出し、何か地域貢献したいということで、大相模小学校学校評議員、大相模地区コミュニティ推進協議会、地元自治会活動や防災士になり微力ながら活動しております。また、越谷を活気あふれるまちにしよう!面白いまちにしようという「越谷な夜」にも開催当初から参加させていただいており“地域のバカ者”として活動しております。

- 越谷市役所にお勤めとのことですが、やはり若いころから公共への関わりという意識を強く持たれていたのでしょか。若かりし頃のお話をちょっとお聞きしたいのですが。

学生の頃(20歳の頃)は友人と酒を酌み交わしながらそれぞれ将来の夢を語り、「男子たる者こうあるべきだ!」等と熱い激論を交わしたものでした。その頃は、景気はまだそんなに悪くはなかったので、当時、城山三郎氏の本に夢中になっている友人がいて「男は企業でバリバリ稼いで、何れは事業を興して一旗あげるぐらいの気持ち、志がなければ駄目だ!男ではない!」等と言われた懐かしい記憶があります。私の場合、父親が他の行政でしたが公務員だった父の影響が大きかったと思います。家族を守ること、それが男子たる者のやるべきことであると思った次第です。また、中学校の卒業文集に将来は越谷市長になる(本当は、公務員になると書きたかったのですが(笑))と書いた記憶があり、社会に貢献することは何となくですが考えていたような気がします。就活は、(友人たちからは先程のとおり色々言われましたが)公務員志望でした。民間企業でも公務員でも、社会の役に立ちたいという思い、社会貢献ということは念頭にあったと思います。ちなみに、突っ込まれる前に言っておきますが、20歳の頃には市長なんてとんでもない話であって、今後も公職には全く興味はありませんので(笑)。公僕でありますが、ひとりの市民として地域に関わって行きたいと考えています。

- ほぉー、中学の卒業文集で越谷市長になると書かれていたのですか。青年時代から志ある方だったようですね!その小川さんからみて、今の「越谷」という街はどのようなイメージでしょうか。 

そこは突っ込むところではないと言ったはずですが。(笑)
そうですね、「越谷」には、近隣市町と違ってまちの職人気質(かたぎ)を感じています。「越谷」のイメージは、職人気質で技術があったり、その商品等開発したのが元は「越谷」でありながら、具体的に商品名等だしませんが、みなさんよくご存知の物を近隣市町にもっていかれているということを感じます。支障がないところで、例えば、国民健康保険の発祥の地は、越ヶ谷であることはご案内のとおりです。昭和10年に相扶共済を目的として実施していた越ヶ谷順正会をモデルに、国が国民健康保険制度を作ったものですが、国民健康保険制度が始まって一番乗りは残念ながら越谷ではないのです。先輩たちが培ってこられたもの、何か新しいものを生み出す力とかエネルギーというような気質は今も変わらずにあると感じます。そう、地域の若い人たちの「まちを活性化させよう!」という熱いエネルギーを感じます。例えば「越谷な夜」も然りです。同じ志のある人たちのネットワークが友だち繋がりの連鎖で広がっていき、たくさんの同志が集まり大きなパワーを感じます。私も微力ながら、公務員である前にひとりの市民として参加活動をしているところです。また、市役所内でも仕事が終わった後に若い職員有志たちが集まり、越谷のまちづくりについて勉強会をしているグループがあります。職員の中にもそんな熱い思いのあるヤツがいるのです。越谷はそんなパワーのあるまちだと思います。越谷は昔からソーシャルキャピタルが豊かなまちで、それは現在も続いてきていると感じます。

- 「越谷な夜」では、この春に小川さんのコーディネイトによるイベントが開催されたそうですが、具体的にはどんなイベントだったのでしょうか。 

「越谷な夜」には、かれこれ4年程前に始まった当初から殆どの参加させていただいています。「越谷な夜」に参加するようになったきっかけは、PTA活動をしていた時に出会った友人に誘われたのがきっかけです。「越谷な夜」をコーディネートしたきっかけは、三年前に「越谷な夜」で当時1年生だった大学生に出会ったことでした。その後、Twitterやフェイスブックでも交流を深めていました。昨年、その大学生に誘われ、日本橋から日光まで歩く催物に参加しました(私は日本橋から草加までの初日の日程に参加)。そのイベントは若い人が中心に運営されていており、若者が運営するイベントは活気溢れるエネルギーを痛感しました。地域を盛り上げ活性化させるのは、昔から若者であり、ヨソ者であり、バカ者であると言われています。「越谷な夜」を更にバージョンアップすべく、「若者」=若い力を取り入れたいと考え、“若者、ヨソ者、バカ者“がまちを変える!というキーワードで提案させていただきました。「越谷な夜」で若い力を感じ、若者と繋がって越谷をどんどん面白くしていけたらと考えております。ちなみに、その後開催された「越谷な夜」では、私の後に続き、越谷市産業支援課の小船さんが企画コーディネートされました。これまで待ちの構えだった行政が積極的に地域に飛び出して一地域人としての考え行動する姿は、一歩踏み込んだ感がありこれから益々面白くなってくると感じました。あえて辛口なことを言わせてもらうと、小船さん、ちょっと内容が固かったかな(笑)

ちなみに、私は若者でもなく、先祖代々この地に住む地元民であるのでヨソ者でもありません。残り一つのバカ者です(官である前に民であり、なんのために、誰のために仕事をしているのかを念頭に、まちおこしや地域活動にどんどん参加していく、地域に飛び出す公務員として活動しております。

- なるほど~、一つの組織にとらわれることなく水平展開されているあたりが小川流なんでしょうね。ところで、小川さんが水平展開されている活動の中のひとつに「防災士」というちょっと馴染み薄いキーワードがでてきました。これはどのような資格?組織? で、どのような活動をされているのでしょうか。

PTA活動は、ボランティア活動の登竜門といいました。私は、現役PTAを卒業後、引き続き地域活動(社会貢献)をしていきたいと考えていました。そんな時、3.11がありました。これをきっかけに自分はどんなことができるだろうかと考えました。地域の方で、防災士の資格を取得された方がいて、私もこの資格を取得し、地域防災の角度から地域活動をして行こうと思いました。みなさん、防災士って何?と思われる方が殆どだと思います。消火器の関連する会社の人と思われた方もいらっしゃいましたから(笑)

ご質問の「防災士」の資格ですが、特定非営利活動法人日本防災士機構が認定するもので、国家資格ではなく、民間の資格になります。私は、特定非営利活動法人日本防災士会(以下「日本防災士会」という)と埼玉県防災士会(日本防災士会埼玉県支部)に所属しております。 日本防災士会は、阪神・淡路大震災の教訓を踏まえ、公の力に頼るものではなく国民一人ひとりがわが事として、自分の命は自分で守る、地域は地域で守る、職場は職場で守るという基本に、平常時、災害発生時における防災・減災活動の担い手となる人材育成することを目的として「防災士」制度が出発されたものです。日本防災会会員の活動理念は、地域防災力の向上に努め、防災協働社会の実現に寄与することです。そのためには、自治体との緊密な連携が不可欠です。 私は、私が取組んでいる防災協働社会の実現や地域まちづくりにおいても、行政単独では限界があると以前から考えていました。そのためには、行政職員が地域に飛び出し、積極的に地域と関わる必要があると考え活動しているところです。

小川英明は、中学校の卒業文集で将来の夢は越谷市長になる書きましたが、「公務員になる」ことが将来の夢でした。中学生の時点で、公務員と書くとあまりにも現実的過ぎているので、格好つけということもあり書いたというのが本当のところでした(笑)夢は、叶ったわけです。 社会貢献、地域ボランティア等と大上段に構えた言い方をしておりますが、私が活動していることは、亡き父の影響が大きいと思っています。私の活動は、全ては子どものためです。将来、子どもに大変な思いをさせないためにオヤジが出来る範囲で活動しているだけなのです。「現状維持」というと、今までのやっていたことを踏襲すればよいものだと考えてしまいます。それは、時代遅れの陳腐なものに成り下がり化石と化します。「現状維持」とは、諸先輩たちが築き上げてきた歴史と伝統を守りつつ、時代の変化、流れに応じて少しずつ変えていくことだと考えています。活動するにあたり、みなさんにご迷惑をおかけすることもあろうかとおもいますが、今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

小川さんへのコンタクトはこちら →  https://www.facebook.com/amenbmen




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