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無職から農業をはじめよう。vol.1

自己紹介から

とりあえずこの記事を読む人のために自己紹介しておこうと思います。
ただいま、さいたま市に住む47歳。無職。妻と5歳の娘と数年前に買ったマイホームを持つしがないおじさんです。
今はこの記事を家の近くのスタバで書いている。
元々は工業大学を卒業し、都内のスタジオの照明などを手掛けるメーカーに就職したのだが2年で倒産。ちょうどスターバックスが日本に進出してきた時期もあり空前のコーヒー、スタンドタイプの喫茶店が全盛期。大学に落ちたら飲食の世界に行こうと思っていたこともあり、都内のコーヒー店の社員に転職。しかし、給料も安く、労働時間も長い。やってられん!と2年で退職。次はイタリアンレストランの支配人。これは給料はよかったのだが社長のワンマンぶりがすごかった。一カ月前に友達の結婚式に出たいので休ませてほしいと願ったら、即答で断られた。当時は独身なので、まだいいがこれでは彼女や家族を持つことが想像できない。また2年で退職。
もう、自分で時間を管理できる仕事をしようとアルバイトに転向した。
掛け持ちを常に3つ。多い時で4つ。体がもつまでやってみようと一度試してみた。平日週5で飲食店のランチキッチン、平日週5の夕方でオフィス清掃、あとは夜勤でホテルの清掃。そしてまたランチの飲食店へ。3日に一回家に帰るシフトを組み一カ月やってみたが月43万円が限界だった。限界を知るうえでよかったが長くは続かないし、なにせモチベーションが上がらない。何かないものか?と探して一人でできるアウトドアにたどり着いた。

アウトドア三昧

一人でできるアウトドアはなにか?と聞いて今はソロキャンプなんかが流行っているが、面白くない。どうせなら今までと真逆のことをしてみようと運動音痴で中学の時に体育で5キロしか走ったことなかったのだが、マラソンに挑戦してみた。どうせならフル!42.195キロをやってみたい。
どうせ走り切れないと思っていたのだが全身筋肉痛になりながら5時間で完走してしまった。こうなるとどこまでできるかやってみたくなり、当時、はやり始めたトレイルマラソン、山も登ってみたいけどどこに行けばいいのか?わからないし、地図もよめない。ということでオリエンテーリング。最近はクレージージャーニーで有名になったアドベンチャーレースにも出てみたいということでマウンテンバイク。あっという間に装備やら予定やらが埋まっていく。その年は年間50大会あちこちに日本をまわり、参加した。また地方に行けばその土地の百名山に登って帰ってくる生活をしていた。
ここまでくると出費がすごいことになっていてバイト代のほとんどをつぎ込んでいた。来年の予定を考えるときにどうせならこれを一つにまとめて何か面白いことに挑戦できないかな?とおもって探していたら魅力的なものを見つけた。

砂漠マラソン

マラソンをする人なら一度は聞いたことあると思う。その名の通り砂漠をはしるのである。当時はフランスの運営会社のサハラマラソン。アメリカにある運営会社の砂漠マラソンがあり、後者は世界で年間数回砂漠マラソンを行っている。当時はチリのアタカマ砂漠、エジプトのサハラ砂漠、中国のゴビ砂漠。それと毎年場所が変わる砂漠マラソンと二年に一回それらの大会を3つ完走すれば参加できる南極マラソンと調べればしらべるほど楽しそうなマラソン大会を見つけた。しかし、これは現地集合現地解散。参加費は30万円くらい。しかし、毎年これくらいはアウトドアにつかっていたのであまり気にならない。とりあえず近場でということで何も考えずに中国のゴビ砂漠マラソンに参加した。この時のことはアマゾンで電子書籍化しているので興味があれば読んでください。


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グリーンランド

砂漠マラソンが終わり次は、南極を目指していくだけなのだが南極マラソンは参加費が100万円と高額だった。南がだめなら北だ!ということで北極を目指すことにしてなにかないかな?と、探しているとグリーンランドのシオラパルクという村に日本人が住んでいる。ということを知り興味が沸いた。その村は世界で2番目に北にある村ということで好奇心がそそられる。しかも言葉が通じる人がいる。しかし、グリーンランドは基本みんなの移動は船、冬は犬ぞり。検索して近くの町までは航空券が買えるのだがそこからその村にはどうやって行けばいいかわからない。仕方ないので海で乗れる持っていけるものということでシーカヤックで行くことにした。この時のこともアマゾンで電子書籍化しているのでぜひ読んでもらいたい。最近知ったのだが角幡唯介さんが本にしたり、NHKといったりしているみたいでその一年前に訪れていたので会えなくて残念だった。

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自分で食べ物を生み出す。

グリーンランドや辺境の土地を旅行して思うのだが人々はたべものは自分で作っている、そういったことを日本でもできないかと思うようになり当時平日は都内、週末は千葉の九十九里で過ごしていたのだが何かできないものかとさがしていた。その時知ったのが家庭菜園だった。狩猟免許も考えていたのだがなかなかハードルがたかい。そして獲った後の肉にするまでが想像できない。そこで、農業というか作物づくりをしてみることにした。これがやってみるとおもしろい。こうやって野菜ってできるのか!の連続でしかも小さな土地なのに一人では食べきれないくらいのものが採れる。

結婚

と言いつつもそれよりももう一人でやりたいこともやり切った感があり、家族を持ちたいと思うようになっていた。一緒に普通の生活でのんびりできる人をさがして、旅したところで見てきたような楽しそうな家族が欲しいと思うようになり、ご縁があって結婚してそれまでの生活をやめて埼玉県に引っ越して、就職もして、子供ができ、マイホームも買った。
しかし、お金はいいんだが時間が長い。あちらがたてばこちらが立たずである。妻の育休も明けてフルで働くと誰が子供の面倒を見る?急な病気になったとき誰がいける?と問題ができてきて、それならば収入は落ちるかもしれないけど一度諦めかけた農業やらしてよということでまた仕事をやめて本格的に農業に志すことになりました。

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