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「いかに端的に伝えるか」を正義としてきた弊害

僕は、自分の意見や気持ちを長いこと話すことができません。
肌感としては、1分ぐらい話し続けると不安になってきます。

今回は、なぜ自分はそうなったのか、そしてそのことによる弊害は何なのかについて、少し考えていこうと思います。

なぜ自分はそうなってしまったのか。
その理由は、いくつか考えられます。


1. 自分が話している時、相手の時間を奪っている感覚がすごく強いこと
2. そもそも自分の話にそこまで自信がないこと
3. 高校の時に『最短時間の最大効率』というモットーで高校野球をやってきて、短く伝えることが正義だと思い続けてきたこと
4. 自分の気持ちを伝えるのに必要な正確な言葉を持っていないこと
5. どうせ言っても伝わらないだろうという諦めがあること


などです。

そして、
最近そのことによる弊害を感じ始めてきました。

僕が今まで端的に伝えて、
伝わっていると思っていたことは、
実は伝わっていなかった
ということが多くなってきたのです。

反対に
正確に自分を表現できている人は、
伝えたいことを伝えられているなと感じました。

これらのことから、
「短く伝えること」はそれ自体はあるに越したことではないものの、
「正確に」伝えることが何よりも重要なことである。
ということを実感しました。

「正確に」伝えることが真の目的であって、
「短く」伝えることはあったらいいものに過ぎないのです。

例えるなら、
いちご狩りにおいて
「正確さ」は、イチゴそのもので、
「端的さ」は、練乳です。(例えが下手。。)

何より大事なのはイチゴの美味しさであるにも関わらず、
僕は、練乳を美味しくすることに労力を割いていたのです。(いや、わかりづれー)

ということで、
話は多少長くなってもいいから、「正確に」伝えることを最優先にしよう。
と強く思いました。

しかし、

1. 自分が話している時、相手の時間を奪っている感覚がすごく強いこと
2. そもそも自分の話にそこまで自信がないこと
3. 高校の時に『最短時間の最大効率』というモットーで高校野球をやってきて、短く伝えることが正義だと思い続けてきたこと
4. 自分の気持ちを伝えるのに必要な正確な言葉を持っていないこと
5. どうせ言っても伝わらないだろうという諦めがあること

これらの課題を解決しなければ、僕は「正確に伝えること」のスタート地点にも立てません。

ですので、これらの改善法を考えていきます。
まずは、
1. 自分が話している時、相手の時間を奪っている感覚がすごく強いこと
について。

これは今「正確に」伝えることができずに、再びやり取りをするのが、一番相手の時間を奪うんだ。という意識をもてばいいのだと思います。
なので、とにかく「正確な言葉」で伝えるようにする。

2. そもそも自分の話にそこまで自信がないこと
について。
自分の意見や気持ちには「善悪」は存在しないですし、思った感情については紛れもない事実なので、そこに関しては100%自信を持っていい。
それに対して、どう思うかは相手の問題であり、自分の問題ではない。

この意識をもてば、解決可能な気がします。

3. 高校の時に『最短時間の最大効率』というモットーで高校野球をやってきて、短く伝えることが正義だと思い続けてきたこと

これは、
「正確に」伝えることこそが正義なのだ。
というマインドチェンジをすること。ですね。簡単なはずです。

4. 自分の気持ちを伝えるのに必要な正確な言葉を持っていないこと

これは、どうやったら相手に「正確に」伝わるのかを
ない頭かっぽじって、死ぬほど考えろ。
あと、本読め、文章を書け、テキトーに発言するな。
で終わるかなと思います。

5. どうせ言っても伝わらないだろうという諦めがあること

そんなもんは自分の最善を尽くしてから、言え。
最善を尽くす前に何を戯言を言っているんだという感じですね。



はい。頑張っていきます。
では、最後は僕が好きな見城徹さんの言葉で締めたいと思います。


読書によって正確な言葉と自己検証はもたらされ、正確な言葉と自己検証によって深い思考が可能になる。そして深い思考こそが、その人の人生を決める唯一のバックボーンになるのだ。

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