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100円と1円と諭吉


2020/07/04、土曜日の昼下がり。
アマゾンで注文した荷物を受け取りに近所のコンビニに行った。

レジに新型コロナウイルス対策のための寄付金を募るボックスがあった。
1円や5円が無愛想に散らばっていた。

よく見ると、その中にひときわ目立っている硬貨があった。
それは、100円玉だった。

「100円募金するなんて、なんて気前のいい人なんだ。」
僕はそう思った。

いや、でもまてよ?
100円の寄付は、新卒1年目の僕でもできるぞ?

これは、おもしろい。

例えば飲み会で100円多く出したところで、
誰からも「気前がいい」とは思われないだろう。

けれど、
1円や5円ばかりの募金箱の中では、
100円というのは、光り輝いてみえる。


同じ100円でも、場所によって見え方が違うのだ。

それに対して、
諭吉は、いつでもどこでも輝いている。
いわば、最強だ。

このことは、人間社会にも応用できそうだ。
自分が最強ならば、戦う場所は考えなくていい。
ただそうじゃないなら、
戦う場所を考えて、
光り輝ける場所を選んだ方がいいだろう。

そんなことを思った。

これはあれですね。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」
という故事とも少し似てますな。

昔の人は、いろんな言葉を考えるものだ。


今日はこんな感じ。

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