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発信せんとや生まれけむ

こんにちは。初投稿です。私は大学で経営学者をしています。初めての記事なので自己紹介から始めていますが、このnoteの読者はおそらくFacebook経由でたどり着いた、私のことを既に知っている方のはず、だったら自己紹介は不要じゃないか、とか、不要なことを考えつつ書いております。

突然ですが、私の仕事は大学教員です。大学教員って何してるの、とたまに訊かれます。大学教員の仕事はおおきく三つあります。

・運営(所属組織の運営管理業務。行政、とかアドミニ、と呼ぶ人も)
・教育(学生に授業をしたり、ゼミで指導したり)
・研究(論文執筆にはじまる学術研究)

の三つです。他にも社会活動とかあるんですが、ほぼ全員がやってるのはこの三つかなと。
人によって任せられてる仕事の多寡があったり、個人の興味でリソースの配分が違ったりはするものの、ほぼ全ての大学教員は、この三つをこなしながら大学で先生をしています。

この三つのうち、教育と研究は、「発信」するという性質を多分に含んでいます。自分の論考や、あるいは他人が創ったりまとめた知識を、また誰かに伝えていくという仕事です。教育ならば学生に知識を伝えたり経験を積む補助をしたり、研究は主に同業者、つまり関連領域の研究者に向かって発信されますし、場合によっては社会一般や、経営学の場合は実務家に発信するケースもあります。例えば私の兄弟子である長内厚先生(早稲田大学)は、テレビを主戦場の一つとして、コメンテーターとして発信をされています。これも研究者が為し得る重要な発信です。

さて、本稿のタイトルですが、昨年出版された同タイトルの論文から拝借しました。なおこの論文を読めば、「今の経営学(者)」がざっくりどんな環境に晒されていて、どんなことを考えて仕事(主に研究)に向かっているか、ということがおよそ伝わると思います。

藤本隆宏 (2020). 「発信せんとや生まれけむ―ジャーナル点数主義と日本の経営学―」『組織科学』53(4) 18-28.

藤本先生は日本でもきわめて著名な経営学者であられ、特に自動車研究については世界的に影響力のある方です。長年東京大学で教鞭を採られ、東大の友人曰く学生目線では「トヨタの人」という認識らしいです。さもありなん。ちなみに藤本先生は、私の師匠の椙山泰生先生の師匠なので私は孫弟子にあたりますが、一度しかお話したことはありません(ご挨拶しただけです)。

以下、論文アブストラクトから引用。

私見を述べる.(1)一経営学者の存在理由は「良いメッセージの発信」であり,海外ジャーナルからの発信はその重要な一部だがすべてではない.

これを読んだとき、すごく腑に落ちるものがありました。なるほど、良いメッセージの発信。自分が今までしたかったこと、かつうまく表現できなかったものがすんなり収まったように感じました。

研究者になるような人間は、役に立たないことや些末なことまで、色々と考えているものです。それが他者にとって有用であるか有価値であるかはさておき、色々しょうもないことを、たまに大事なことを考えている。考えてたらやっぱり形にしたくなって、形にしたらやっぱり人に見せたくなる。そういう欲望の連鎖のすえ、研究者は発信を行います。

ただ、発信はそんなに安易でも簡単でもない。現代はポストトゥルースの時代だとか言われています。コロナ禍においても、利害が入り乱れ、諸論があまりに氾濫していて、収拾がつかない。こんな状況で「まともな」発信をするのも中々難しいものがあります。
「バズワード」は否定的なニュアンスで用いられてきた言葉だと認識していますが、今や「バズる」は概ね肯定的な事象として捉えられています。バズるって良いことなんや、とちょっと驚き。なんかよーわからんけど流行ってる!ってことが、view数が稼げてるから歓迎される、悪名は無名に勝る、という論理で、社会が支配されつつある。
また、もはや定着した感のある炎上現象。もう何から炎上するかわからんし、たかが(敢えて、たかがと言います)SNSでの炎上で、築いた地位を簡単に追われてしまったり、日常生活を脅かされることも起きる社会。そういう社会で細々とでも発信するのはちょっと怖いものがあり、たまに投稿してはやっぱり消したり、みたいなこともしていたり。

ただ、やっぱり何か発信した方がいいな、というか、したいな、と思ったので、今後noteに不定期で「発信」していこうかな、という動機での投稿になります(なんと結論が遠い、長ったらしい発信でしょうか)。

京大の経営管理大学院でお世話になった小林潔司先生が、昨年の緊急事態宣言頃に仰っていました(先生のFacebookでは、良質の発信を高頻度で拝読できます)。コロナ禍ではたしかに諸活動が制限されているのだけど、個人で思考する知的活動の時間だけは増えたはずだ、と。たしかに。そして知的活動に費やせる時間が増えた一方で、世の人々、私も含めて、練られた思考の結果、より良いものが生まれたかというと、まだ覚束ない。とりあえず、お仕事の合間に色々考えたことを、発信していきたいと思います。発信せんとや生まれけむ。


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