-Dernier- 日本からフランスを思う
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日記
8/15
8/16
8/27 (8/18-8/25)
感想
日本に帰ってきた。現実の国日本。もちろん自分が日本で暮らしているから、いろんな現実が帰国と同時に立ち現れるわけだけど、それだけでなく、日本という国の押し付けがましさは、ヨーロッパには、少なくともフランスにはないものだと思う。
フランスから帰ってきてまず見えてきたのは、日本の異様さというか、特殊さだった。適切にいえば僕には日本が特殊なのかフランスが特殊なのかはわからないし、西洋と東洋、もしくはヨーロッパとアジアのどちらかが世界のスタンダードなのだと主張する気もない。ただ、フランスから帰ってきて日本って本当に変な国だなと感じたというだけだ。
ただ、断っておきたいのは、どちらが正しいとか望ましいとかいう問題ではないということである。それは米とパンのどちらが望ましい食事か問うことがなんの意味もなさないのと同じようなものだ。どちらを望ましいと感じうかは人それぞれだろう。僕はフランスのほうが肌に合うと感じたけれど、いっしょに留学に行った人たちの中には日本のほうが(気候以外で)すべてフランスに勝ると断言する人もいた(それもどうなのかと思うが…)。
とにかく日本は、(気候だけではなくて)人間まで湿度が高い。日本人は他人に興味を持ちすぎている。これはアメリカに行ったときもオーストラリアに行ったときも思った(そしておそらくこれは日本以外のアジア諸国にもいえる*1)けれど、日本人の他人に対する興味と期待値は他国と比べて異常に高い。日本人の多くは、たまたまそこに居合わせた人間を含めて、自分の周りの人間が何をするのかということに非常に敏感だ。そして少しでも非常識なことをする人間を目に入れてネガティブに評価し怒り蔑む。目に”はいる”のではない。目に”いれる”のだ。その行為は極めて能動的である。電車の中で自分とは関係のない席で足を広げている人間を見て心のなかで悪態をつく。自分はシートに座ることができていても関係がない。自分の利益に関係がなくても、非常識を見つけては蔑む。そして人とそれを笑う。主体的かつ能動的にそういうことをする。しかし、それはネガティブな評価のとき行われるのではない。いい人を見つけだして評価することも同様に行う。ネガティブな評価のときと同じモチベーションがあるかどうかは分からないが…。とにかく、他人を単なる他人のままにしておくことができないのが日本人である。フランス人なんかにとっては他人は他人に過ぎない。他人が多少何をしようとも、それに対してわざわざ評価をしたり、感情を湧き起こしたりしない。他人に興味がない。もちろんフランス人(だけでなく世界中の人)にも人間関係の悩みはあるだろうし、友人にはある程度の興味は持っているだろう。しかし日本人のように評価するために他人の情報を探し出したりはしない。
他に思ったのは、フランスは「快-不快」の軸と「自由-不自由」の軸がほとんど完全に分離しているということだ。フランスにおいては「快いが不自由」な状態や「不快だが自由」な空間が存在し得る。日本においてはそれは難しい。日本では「快-不快」と「自由-不自由」は混合してしまっている。日本においては、不快な思いをしなくて済むことが「自由」である、言い換えれば、不快からの解放が自由である。またさらにいえば「快-不快」は「自由-不自由」よりも優先される。自由であることよりも不快でないことが重要なのである。これはフランスにはない感覚のなのではないだろうか。日本のリベラルが世界のリベラルと違うものに変質してしまったのもこの「自由」に対する感覚の違いが大きいといえるだろう。
先程の電車の席の話はこことも関係している。フランスの電車やバスには日本のそれらのような長椅子式のシートはない。全ての椅子が一人用の椅子として(横には並んでいながらも)独立している。間に仕切りなどはなくてもどこまでが一人分なのかが明確に示されている。つまり一人分の空間を確立することでその空間内の自由を確保し、それを侵害しないことを強制している。その中であれば足を広げようとも腕を組もうともなにも言われない。一方日本の電車はどこまでが一人分なのかが明示的に示されない長椅子式のシートがほとんどである。乗客の自由は状況次第である。そこで重視されるのは自由ではなく、周りの人間に不快を与えない態度と姿勢である。逆に言えば不快さえ感じなければそこに自由は不必要である。
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これはまだしっかりと考えられていない、ほとんど妄想みたいな考えなんだけど、日本でやたらと性犯罪がクローズアップされ、憎悪の対象となっているのは、痴漢や盗撮といった性犯罪以外に普段から遭う可能性のある犯罪というのが存在していないからなのではないかと思う。フランスにいると常にスリに遭う可能性を考えながら行動しなくては行けないし、ちょっとやばそうな雰囲気の物乞いが道に座ってるし、常に周りの状況に気を配って行動することになる。つまり我々から安心を奪う存在が性犯罪者以外にもいる。日本においてはそれが性犯罪者しかないから、安心を奪うものとして憎悪されているのではないかと思う。
*1よくよく考えたら言えない気がしてきました(9/5追記)
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