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リレーエッセィ 第43回:紺野 真太郎(一部抜粋) 2024年4月17日更新

(注)リレーエッセィ 第43回:紺野 真太郎の一部を抜粋したものです。

第43回:紺野 真太郎 2010年8月19日

『タイショウ』
1992年、私は静岡から上京してきた。別に静岡に不満があった分けでは
無い。ただ、東京への憧れが強かった。
今はどうか判らないが、当時、東京に住む地方出身者は、静岡県が1番
多かったと聞く。
都会とも田舎とも言えない静岡県ならではの県民性なのだろうか。

当時の私には、東京に行く金もコネも理由も無かった。ただ憧れていただけ
だから。でも行きたい。だから仕事を探した。
衣食住があって、ついでに上京の費用も出してくれるような都合の良い
ものを。

そこで目についたのが、新聞奨学生募集というもの。
これは新聞販売店の業務をこなしながら学校に通い、無事卒業すれば、
それまでに立て替えてもらった学費が免除になるというもの。

「これならいけるかも・・・」私は学生ではなかったが、問い合わせてみた
ところ、1度面接に来てくださいと言われ、言われるがままに東京まで
来た。
奨学生で無くてもアルバイトで良いということだったので、直ぐに「お願い
します」と返事をしたのを覚えている。

実際に東京に来て働き始めると、同じ販売店に奨学生として働いていた同い
年の「タイショウ」と仲良くなった。
もちろん「タイショウ」とはあだ名で、なんかのはずみで「よ、大将」と
呼んだ時になにか収まりが良く、それ以降もそう呼ぶようになっていた。

タイショウは山形県出身で、私と同じくギャンブル好きで話しも合った。
夕刊を配り終えるとよく一緒に遊びに出掛けた。配達用のジャージでカブに
乗って。
どこか垢抜けない2人だったが、それが結構心地よかったりもした。

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自分で新しい部屋を借り、1年半お世話になった販売店を辞める時が来た。
最後の配達を終え、私はタイショウの部屋を訪ねた。

「俺、辞めることにしたよ」
「辞めてどうするの」
「メンバーやろうと思って」
「そう・・いいなあ・・」

最後にタイショウが「いいなあ」とつぶやいたのが印象的であった。
学業と業務に追われ、忙しい日々を過ごしていたタイショウにとって、若さ
ゆえの行動で、好きな道に進むことに決めた私が羨ましく思えたのだろう。
それだけ、彼もまた麻雀を愛していたということだろう。

別々の道を進みだしたタイショウとはそれ以降、思い出して気にすることは
あっても、会うことは無かった。
数年後、私は人から前原雄大さんを紹介され、当時連載していた前原さんの
書くコラムに魅了され、この連盟を受験することに決め、今に至っている。

そして、タイショウとは思いがけない場で再会することとなる。
ある年の正月、私はロン2にゲストとして参戦していた。
その日は調子が良く、国士無双などをアガリ、上機嫌でプレイしていると、同卓していたユーザーからチャットで話しかけられた。

「お久しぶりです。昔一緒に働いていた○○です」
「!!・・・タイショウじゃないか・・・まだ麻雀やってたんだな・・」

人はこういう時に走馬灯のように過去の記憶が蘇るというが、この時の私も
まさにそんな感じであった。
ただ、この時の立場では他のユーザーの方も同卓していた為「お久しぶりで
す」と他人行儀な挨拶しか出来なかったが、PCの前では懐かしさや再開
できた嬉しさで胸が一杯になり、目は潤んでいた。

本当は「タイショウ、今は何やってんだよー」と昔みたいに話したかった。
でも、ネット上とはいえ再開出来たのだから、いつかまた直接出会える時も
くるだろう。
その時はまた、当時のように「タイショウ」と親愛の情を込めて呼びたいと
思う。

執筆:紺野 真太郎