零度の風

虚ろになっていく窓の下で うつくしい
思い出がぼくの顔を啄んでいる
それから
歩いてきた幾つもの道が 
古い
風景に変わるのを見ていた (たぶん
ぼくが人になるまえのことだ)

暗い場所を
かつて川だった苔むした
道の先を
一筋の光が走っている (ぼくは
まだぼくであるのだろうか
風が吹く
枯葉がひとつ裏返る
ああ なくしてしまった
ぼくは大切なものをなくしてしまった)

昼と夜
朝と夕暮れ
絶え間なく意識はとぎれ
ふるさとの湖に
釣り糸を垂らす人の後ろ姿が
雪の奥にまぎれ
朽ちてゆく 鼻唄のメロディー
ぼくがぼくである証明
木漏れ日を浴びて
赤児のような眼をみひらいて

季節は寒へ
やがては暖へ
スイッチを捻るたび
ぼくの想念にノイズがはしる
薄汚れた窓 吹きつのる零度の風
鳴る
バスタオルが鳴る
片足のもげたズボンが
肩に穴空いたTシャツが鳴る 光
街灯の光
駐車場の光
工事現場の光 光
かつてあった誘蛾灯
かつてあった太陽
鳴る 
背後で鳴るいちまいの窓

ぼくは途方に暮れてしまった(これからも
その予定がある)
ぼくは道を失くしてしまった(これからも
その予定がある)
ぼくは厚着をして 
それでも
魂はこんなに寒い

(また最初から行こうじゃないか)
(靴下の予備はたくさんある)
(歩いていこうじゃないか)
(襟を立ててさ、少し気取った足取りで)

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