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母の最期

母が旅立った。

とうとう亡くなった。
やっと亡くなったと言ってもいい。

昨夜病院から危篤との知らせがあり、兄が病院へ面会にいき、30分ほど様子を見て帰ってきたという。

そして今朝、5時過ぎに再度危篤の連絡に、兄が到着してから医師の死亡宣告がなされた。

先月誤嚥性肺炎で入院し、胃瘻からの栄養ではもう限界だと言われ、CVポートをすすめられた。

誤嚥性肺炎が治って、再び施設に帰る予定だった。

最期の看取りについても、兄と施設のスタッフさんと話し合って、最期は長いことお世話になった施設で延命はしないということになっていた。

それがCVポートを入れる時に気胸になり、状況は変わった。

医師の見通しに反して、母の状態は徐々に悪化していった。

病院はコロナの対応で、面会制限が厳しく、いつ急変するかわからないからと、実の子どものみ可能ということで、私は8月9日に母に会いに行ってきた。

兄が先にきていて、私が到着してから声をかけると、言葉を発することができない母はなんとなくわかったような気がした。

「気がした」のは、すべて私たちの解釈にすぎない。

母はずっと、もう10年以上、意思の疎通ができない状態で寝たきりだった。

胃瘻を勧められた時、母は68歳だった。
その時から母の意思を確認することはできなかった。

私は母の病気が発症した時の年齢を超えてしまった。
あれから25年ほどの年月が経った。

当時2歳だった長男が27歳になった。

最初から医師に言われた通り、この病気が治ることはなかった。

ずっと状態が悪いと言われながら、兄の心房細動のアブレーションオペ入院が終わるまで、頑張って持ち堪えてくれた。

私は正直なところ、お盆の時期に父が迎えにきてくれるんじゃないかと思っていた。
もう充分にいっぱい頑張ったから。もう苦しまなくて良いと。

そして兄が無事に手術が成功して、退院後3日目に長男である息子、私の兄に看取られて息を引き取った。

すべてのタイミングが良かったと思う。

母はよく頑張った。ほんとによく頑張った。

母は私に人生に大切な、多くのことを教えてくれた。

ありがとう。ありがとう。ありがとう。

昭和20年2月15日生まれ。享年78歳


 
今日も読んでくださり、ありがとうございました。🙏

母は子どもが大好きで、初孫である私の長男とよく写真を撮っては飾っていた。


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