秋だけど夏の本を紹介してもいいよね
10月になった。風が涼しくなって、すっかり秋めいてきた。夏なんて早く終われと散々思っていたのに、いざ過ぎてみると名残惜しくなるのが不思議だ。
そんなことは置いておいて、皆さんはボーカロイド曲、いわゆるボカロ曲をお聞きになるだろうか。私は聞く。知らない人のために簡単に説明すると、歌詞とメロディーを入力すると、機械が歌ってくれる仕組みを使った曲、とでも言えるだろうか。もちろん人の歌声も好きだが、感情のない機械の声が映える曲というのも存在すると思う。
前置きはこのくらいにして、つい先日の9月半ば、夏の終わりにある小説が発売された。
「あの夏が飽和する。」カンザキイオリ/河出書房新社
題名や著者名を見て、ピンと来る人もいるかもしれない。ボカロ業界には、非常に名の通った人物と曲名だからだ。そう、この本は、普段曲を作っている人が、自身の作品を小説にしたものなのだ。
この本について語るのには欠かせない曲がある。それがこの小説の元となっている、「あの夏が飽和する。( https://youtu.be/2hz0lhAs0Kg )」だ。ここでは、投稿されて間もない2020ver.へのリンクを貼っておく。ボカロを聞き慣れていない人には違和感があるかもれないが、ぜひストーリーとメロディーに耳を傾けてもらいたいものだ。
さて、ここはあくまでも書評の場であるから、本の話に戻ろうと思う。ストーリーは、曲にある出来事から十数年後が舞台になっている。文を書くのが本業の方ではないから、と最初は様子見していたが、読み進めるうちにそんなことは忘れ去って、物語にのめり込んでいた。
この本の感想を一言で表すとしたら、えげつなかった、だ。なにせ、最低人間か狂った人間しか出てこない。目の前の女を昔の恋人と混同しまくる男を筆頭に、様々な方向に捻じ曲がった人たち。善人を作らないあたり、作者のカンザキさんらしいと言えばらしいが…
登場人物だけでなく、物語の進行もえげつなかった。クライマックスだ!と思ったら、実際はまだ半分しか読んでいなかったり。何だこれは、新手の拷問かと思った。そのままクライマックスにぶん殴られ続けて一気読み。睡眠時間まで削られた。うん、やっぱりえげつない。
さてさて、自分で言うのも何だが、えげつないでまとめるのは書評としてどうかと思うので、もう少し伝わりやすいように言い直すことにする。これは、狂気と後悔で塗り固められたような話だった。吐き気がするほど真っ黒くドロドロで、まるで救いのない話だった。私にとっては。だって、堕ちるところまで堕ちた最善、という良いんだか悪いんだか分からないところに終着するからだ。でも、人を信じることをまるで知らなかった彼らには…とても前向きな、救いの物語だったのかもしれないとも思う。
喋りすぎてネタバレしてしまっている気がしないでもないが、これは読後の興奮が犯した罪ということで…悪いのは私じゃない。うん、きっとそう。
読書の秋。季節関係なく本を読む人々にとってはなんの意味もない言葉な気もするが、心地よい秋の空気の中で本を読むと、何だか風流なことをしている気分に浸れて良い。動機が不純?そんなことはない。たぶん。
さあ、今年の秋はどんな本に出会えるだろうか。
皇學館大学 ふみくら倶楽部2年 飛鳥