怖いのでライブに行った


僕はまともにライブへ行ったことがない。

高校生の頃、友人のバンドのライブを一瞬だけ見に行くとかは1、2回あった。でも、いわゆる「有名アーティストのライブ」には一度も行ったことがないのだ。

音楽を聴くこと自体は大好きで、色んなジャンルをディグりまくり毎日聴いているのだけどわざわざライブへ行く理由が自分の中に見当たらなかった。むしろ、その行為自体が「芸能人としてのミュージシャンに会いたい」というイベント的側面が強く、純粋な音楽的価値を薄めてしまう性質があるのでは? とか穿った見方をしているほどだった。

でも、ライブって楽しいのかな?
行ってみたらどうなるんだろう?
と考えた瞬間、自分の肌が強張り、そこ行ってはならん…という何らかのお告げを受けた感じがした。

自分は今、怖いのだと分かった。
みんなにとっては当たり前のことでも、やったことがないから怖いのだ。
なぜ怖いのか? 色々考えた結果、こんな不安が脳裏をシュンシュンよぎっていた。

・ガチっぽいファンの存在を目の当たりにし、圧倒されるのが怖い
・自分よりもそのアーティストがもっと好きなファンがいる現実を直視したくない(一番理解できてるのは自分だけ、という幻想を崩されたくない)
・大多数の一人になりたくない(自分は特別な存在のはずだから…)
・聞いたことのない爆音がくるっぽいし、その時の " グワッ " ときそうな感じが怖い
・ライブがもうすぐはじまる、という瞬間の緊張感に耐えられそうにない
・そもそもアーティスト自身が意外と本番下手だったら幻滅するかも
・オラつき狂ってるファンとか来たりする? 死因になるのでは?
・ファン同士で既に一定のコミュニティが生まれており、疎外感を抱いたらどうしよう
・ていうかライブって6,000円もするの? 元取れるような体験になるの??
・曲ごとに特定の振り付けとかある? 自分だけどんくさいことになりそう

怖い!
こんなにも不安要素がある。公表されてないだけで、毎日のように死者が出ている可能性がある。挙げだしたらキリがなく、生来のプライドの高さ、自意識過剰、ヘタレを痛感した。しかし、実際にこの目で確かめないと、わからないことだらけなのだ。ということで、ピアノとドラムだけの構成でシンガーソングライターをやっている日食なつこさんのライブに行くことにした。

イープラスで予約をする。
チケットの予約を、したことがないため、とても、難しく感じる。
規約に「紛争」「日本法」「合意管轄裁判所」などと書かれている。
法曹界の人を呼ばなくてはならない。

登録画面の時間制限が10分。焦る。ここで一回、眠くなってしまう。

予約成功。でもチケットの受け渡しが複雑。
生まれてはじめてファミリーポートを駆使した。
すべての気力を使い果たしたが、まだライブは始まってすらいない。

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会場。

大阪城の裏にあるTTホール。
入口前に警備員が複数立っており、威圧感を受けたため2往復した。

チケットを渡す要領がわからない。
これでいいの? という感じで渡すと、通れた。正解だったらしい。

中に入ると、何というか、至って普通の人たちだった。
老若男女問わず、読書が好きそうな、自分に近い属性の人々が集まっていた。命は保証されたようで、何よりです。

ライブ開始前。30分前からずっとそわそわする。
不安と、緊張と、ワクワクが入り乱れる。
これらは実は同じものらしいけど、僕のようなタイプは不安の要素を強く感じとってしまう。早くしてクレメンス、と思っていると、館内放送が流れた。日食なつこ本人の声だった。

来場客への挨拶と、携帯電話のマナーについての注意喚起。
もしマナー違反があれば日食なつこ本人が何をするかわかりませんのでご注意ください、と淡々とした口調で告げる。
みんなの緊張がほぐれる。

会場が暗くなり、水の流れるSEが響く。舞台左手からいよいよ日食なつこ本人が登場(長髪からマッシュルームカットになっていて、しばらく誰だかわからないまま拍手した)。

全員総立ちになり、本番が始まった。
すげー、ライブってこんな感じなんだ! すごい、すごい! とずっと思っていた。自分の興奮の行く末は日食なつこに委ねられていた。

僕のようなマイペースな人間は、ジェットコースターのように「高揚感を強制的に他者へ委ねられる状況」を非常に嫌う。
でも、不思議と今日はそれが心地良かった。

思っていたより爆音でもなかった。
ドラムの前には防音用の衝立が設けられていて、ピアノの音とぶつからないよう配慮されていた。これで鼓膜が破れる心配もなくなった。

曲の合間にMCが入る。
「今日は、もしかしたらライブに来るのが初めてって人もいるかもしれない。めちゃくちゃ怖かったと思う。でも、勇気を振り絞って来てくれて、ありがとう」という旨の話もしていた。この人の歌詞を読むと分かるが、誰よりも弱者の気持ちを分かってる人だ。10年ほどライブを続けてすっかりこなれた今でも、少し緊張しているのが伝わるし、ときどき言葉を選んでいたりする。それでも数百人の前でステージに立っている彼女の言葉は、痛いほどの説得力と重みと、優しさがあった。

最後に、来場客みんなで合唱する歌があった。
はじめは、ウォ~、オオ~と歌うだけだが、途中で歌詞も含めて歌おうと煽られると途端にみんな、歌えなくなった。その瞬間「もう間違えてもいいから!」と日食なつこが叫んで、全員自信なさげにもどんどん歌い始めていったのがとても印象的だった。

間違えてもいいから、というこの言葉は、その瞬間だけではなく我々の
今後の人生の判断すべてに対して訴えかけている。
それが分かったとき、ライブの存在意義をはっきりと理解できた。
音源だけじゃ、決して届けきれなかったメッセージ。
人の行動を変える力を肌で感じたとき、音ってほんとに振動でできてるんだと思った。

最後は、全員ステージに上がってこい! となって、登り切れない人で溢れるくらいに観客でいっぱいになった。自分も行きたかったけど、同じ列にいたお客さんが全く動かなかったためステージまで近づけなかった。他の人を押しのけてでも行こうとしなかった自分を恥じた。

「惰性の手拍子は要らない」という日食なつこ自身の強い意向で、ライブは
アンコール無しで終了になった。会場を出て、年甲斐もなく走り出しそうに
なった。終身雇用や年金制度が崩壊したこの現代で、" 年甲斐 " なんて言葉がもはや何の責任を取ってくれるんだろうか。だったら、日食なつこ手書きのこの歌詞どおり、盛大に、生涯をかけて間違ってやろうと思った。

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【ライブに行ってみてわかったこと】

・お客さん全然普通、無害
・熱狂的なファンもいれば、一曲しか知らない人もいっぱいいる。それでOK
・ライブ始まる前の緊張は、始まった後のカタルシスのためにある
・非日常の空間で大多数と一体になる感覚、全然悪くない
・曲ごとの振り付けをやるやらないとか、人それぞれでいい
・アーティストは、リスナーの人生ごと変えたいぐらいの気持ちをライブなら100%伝えきってくれる
・音源は聴覚だけで聴くもの、ライブは五感すべてで体験するもの

わからなくて怖かったものが、わかるに変わってすごくよかった。
また、色んなことがしてみたいです。



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