食事を行いたい


食事をするのはかなり難しい。
PCの前に座って何かを食べることが多くて、必然的にモニターから情報をザッピングしながらという格好になる。なんとなしにニュースやKindleを読んでるのだけど、それは食事中のついでなので本腰入れて見るつもりがない。なので内容はあまり頭に入ってこない。肝心の食事はというと、だいたいもう味の想像がついているものばかりなので手と口が栄養素を体に取り込まれるのを待つばかり。じゃあ僕の主観は何をしているのか? 何もしていない。

あまり親しくない人と食事をしているのに、これは似ている。
会話と味わいのどちらに集中すればよいのかわからず、いつの間にかすべてが終わっている。僕は食にそこまで関心はないけど、こんなものは食事と呼べないと思って、モニターを消してみることにした。

作り慣れたトマトソースパスタのような何か。
麺を口に運ぶところまでは同じ。麺を見なければフォークで巻けないし。口に含んで、咀嚼を待つ間。ここからがどうするか。皿と机の間ぐらいに視線が落ちるけど、そこには何の情報もない。そうなると、脳は考え事を始めてしまう。食事というこの行為のメタな認識の数々。" 純粋に味わうことだけを行う " がとても難しい。ごはんは瞑想だ。しかしジョギングもそうだけど、そもそも何か閃くというのはこういう「体は動いてるけど頭は暇なとき」だったりすることが多いのじゃないだろうか? さっきまで取り込んでいた情報が脳に保存され、肉体というハブを拠点に他の行為を通じてシナプスが繋がっていく感覚。偉人たちがアイデアを思いついたり突破口を見出したりする場所は、トイレやお風呂だったりする。先の条件は食事だって満たしているのだ。

僕は、その瞬間ごとを目一杯楽しみたいと思っている。
でも、色んなことで悩んでもいる。食事をすべきか、しないのか、それ自体を考えながらオリーブをかじる。

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