ロマンティック・シティ


二日酔いどころでなく、明らかにまだ酔っている状態で目覚めた。
鏡に映る顔は真っ赤でふらつきが酷く、思考もやや異常をきたしている。車通勤なら即詰みの状態だったが、あいにく徒歩だったので出社せざるを得なかった。

ジンを浴びるように飲んだのが相当に堪えた。
日曜日に成城石井で購入した「桜尾」が殊更に美味く、ゾンビランドサガ・リベンジを観ながら氷を入れる手が止まらなかった。次第に「チョロQはミニ四駆より社会的地位が低い」という妄想に取りつかれるようになり、憤慨しながら千鳥足で布団に激突、そのまま死亡した始末であった。

マスクで赤ら顔を隠せるので同僚たちには気付かれなかったはずと祈るが、倦怠感と強くなっていく頭痛には何度も根を上げそうになった。全く不備のない見積依頼書をFAXしておいて、電話で一つひとつの項目をひたすら読み上げていく客の相手をする。わざわざ電話してくるので補足事項でもあるのかと思ったが何もない。言外に至急の返信を催促しているのだろうか。一方、ダイイング・メッセージじみた殴り書きをそのまま送りつけてくる野人に限って一切の連絡もなく、こういった手合いにはサイキックで要望を汲み取るしかない。この業界に入ってから第六感だけが芳しい成長を遂げた。ポール・フェニックスはツキノワグマの子供をいじめているだけじゃないだろうか?

紙仕事を片付けていくうちに " リミットブレイク " が近づいていることを悟った。社内のトイレは危険すぎる。一階に降りて倉庫の先輩には一瞥もくれず、目ぼしいスポットを漁りはじめる。事務所の裏に、4LDK程の一軒家があった。自家用車一台、育ち盛りの子供が二人。模範的な家庭。汚すには丁度良いと思ったと同時に向かい側のドブへ盛大に吐いた。

4度に渡って、バナナミルク味のプロテインを浴びせた。
酒気の消臭に飲んでおいたブレスケアが大変よい仕事をしたのか、凄まじい爽快感が体中を突き抜ける。初夏の候極まり、快晴の空がゲロをキラキラと照らし出す。アニメ版の矢吹丈がまき散らしていたのはこれだったのか、と合点がいった。混じりっ気のない純白の吐瀉物はある種の神々しささえ称えており、向かいの4LDKを祝福しているのではと解釈しはじめた俺はいよいよ腹立だしくなってきた。

思うところはあったが、胸は軽くなったためそのまま会社近辺を散策した。大阪はけたたましいイメージがあるかもしれないが、一歩郊外に出れば田畑が広がっている。弊社近辺も多分に漏れず、緑を満喫するには悪くない。特に全長10M程の小さなトンネルが佇むあたりは神秘的だ。バカでかいフォントで彩られた「まんこ」のグラフィティに目を瞑れば、ジブリめいた雰囲気を醸し出しているのでリフレッシュに丁度いい。

ミント味の唾をたらしながら、絵のことを考える。
先日、久々に一枚描いたのはいいが、どう見ても190cm以上はありそうな女が二体、できあがってしまった。本来は170cm程、7~8等身で収まる算段だった。細部を描きこみやすくするためA3用紙に変えたのだが、全体のアタリをとる加減に手こずってしまい、女性的な小顔にしようと努めているうちに10等身くらいの超人と化していた。一時期、際限なく等身が上がってしまった「キャプテン翼」の集合イラストがネット上で流行ったことがありその折は爆笑していたのだが、月日が流れて高橋先生と同じ轍を踏むことになるとは思いもよらなかった。先生は狙いがあってのことだが、意図した等身に仕上げられないのは単純に己の拙さによるところなので、要鍛錬である。

全体に見ても、あと一歩の決め手に欠ける感が否めず。
頭の回転を促すため鴨川をふらついてみたりしたが、結局答えは出なかった。敢えて陰を描かなかったのが悪手かとも考えたが、これはそもそも平面的な表現で素晴らしい作品を描いている先人に倣う試みという当初の方針に背いてしまうため、自分で挙げておきながらお門違いとなる。自分は人体を描くのについて苦手意識が大変強かったので、昔に比べれば幾分かマシになったかしらと己を慰めてみるが、何かこう、そもそもの部分であきたりないというのはもどかしいことこの上ない。腕が上がれば目が肥えて、目が肥ゆるからこそ腕を上げようとする営みで上達というものは成り立っているのでこれが人間たるものかとも納得しようとするが、もう少しでブレイクスルー的な何かが訪れるのでは、と期待するのも人のサガである。使用済みのコンドームを横目に眺めながら、答えを探そうとする。このトンネルは、格好の青姦スポットでもあった。

この光景とも、あと2ヵ月でお別れだ。
本社への異動が決まり、慌ただしい引っ越し作業が見えてきている。働くのは嫌いだが、だからといって絵に逃げるのはもっと嫌なので業務内容や責任が重くなるのは止むなしと辞令を呑んだ。自分にとって絵を描くのは拳を鍛えることと同義なので、それが社会に寄与するか否かは功夫(クンフー)にあたって関係がない。俺は餓狼伝の堤城平のようにありたい。仕事も絵も、やることをやる他にない。わかっているのにそれをやり切れていない感覚が、むず痒い。

踵を返して、反対方向のコンビニへ向かった。
ほぼ病み上がりなので、鮭おむすびを一つだけ買う。
帰りにもう一度吐瀉物を見に行ったら、干上がっていた。
会社の駐車場で同僚と出くわす。
コンビニ逆なのにおにぎりどうしたの? と聞かれたので、4LDKから盗んだことにした。

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