さようなら天満橋


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最近、引っ越した。

大阪市内の中央区に住んでいた。
京阪沿線の天満橋という駅が最寄で、少し散歩がてらと思えばキタ(梅田)にもミナミ(難波)にも徒歩で行けるようなロケーションだ。ザ・ビジネス街といった様相で、家の前は一方通行で四車線、昼夜問わずパトカーが駆け抜けて、けたたましい。土日になると人通りが途絶えるため、週末は飲食店が営業していなかったりするのは、住んでから分かったことだった。

天満橋~北浜のエリアはタワマンが立ち並んでおり、人生のWINNERっぽい人々がシャンパン片手に大川を見下ろしてるのかな、という光景を想起させた。そんな具合だから、中央区に住んでいるというと「ええとこに住んではりますねぇ」と反応されることが多かった。「そういうときは " 天満のあたり " ってボカしとくんや。お前はほんまにアホやの」と父親に笑われてその手があったかと納得したが、僕はかなり不器用で馬鹿正直なのだ。

では実際、僕がどんなところに住んでいたかというと、なんてことはない。日本人のほうが少ないんじゃないかというような胡散臭いワンルームマンションで、陽のあたらない5畳くらいのじめじめした部屋でかたつむりのように過ごしていた。家賃は5万円台だった。その地域の割にはあまりに安い、と散々言われるので、途中から事故物件だということにしてしまった。利便性と地価の割には確かに安めなので、本当に何か事案があったのかもしれないが最後まで怪現象は発生しなかった。偶然、お得な物件を見つけたに過ぎないのだと思う。

休みの日には、天神橋筋商店街までよく歩いた。
この通りは古書店街としての顔もあり、駄楽屋書房と天牛書店が特にお気に入りだった。昔のSTUDIO VOICEなんか、よく買ったのを覚えている。帰りには「はらドーナッツ」でプレーンのドーナツとアイスコーヒーをテイクアウトした。ここのドーナツは豆乳とおからで構成されており、よくわからないが体に良さげだ。

元気な日は、難波まで歩いた。
さすが街中というか、観葉植物の専門店とかコーヒースタンドとか、お洒落っぽい店が立ち並んでいて、結構な距離になっても進むたび色んな店が出現するので飽きることがなかった。うんうん…と何かにうなずきながら、最終的にKALDIに立ち寄ってささやかな贅沢らしきものをして帰宅する。

夜には、BARにも、何件か入ってみた。
" 行きつけのBARを作る " っていう、手垢にまみれたアレを、僕もやってみたかった。結果、ぜんぜんダメだった。まずアルコールに弱いからすぐ頭が痛くなる。バーテンさんと会話しても、やっぱり住んでる世界が違いすぎて世間話が関の山。他のお客さんに話しかけるなんてのはもってのほかで、生来の人見知りも相まって二度と入れない店がどんどん増えていった。恥ずかしい。


白状すると、どこか空虚な日々だった。
悪くは、ない。昼も夜も賑やかで、あちらが潰れてもこちらで建つ店々。
都会はすべてが消費によって成り立っている。僕がまんざらではないと思っていた数々は、この手で実感を伴って得たものではなく、また次の消費でしか潤せない渇きとして綿密に設計されたシステムでしかなかった。薄々勘付きながらも、シティボーイですねん、などとおどけ、うそぶきながら心のどこかではそんな街に本気ですがっていた。嘆かわしいことに、これが自分だと認めるしかなかった。


いつの日だったか、久しぶりに絵を描きはじめた。
上手じゃないけど、確かな自分の筆致、色使い、絵柄を久しぶりに見た。
過程、ってどこにも売ってなかったんだなと、ふと思う。喧噪から断絶されたこの5畳に求めていたものがあったと理解して、この街を出ようと決めた。


飾り半分に買ったSTUDIO VOICE、なんか難しくて半分くらいしか書いてることがわからない。でも、その半分でも糧になったら上出来じゃないか。もう、どうでもいいことで恰好つけなくていいんだよ。シティボーイじゃなくなったし、そもそもただの中年だから。

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