映画を壊し観する


あれもしたいしこれもしたい。
しかしなんか億劫だ、気が進まない、身構えてる、緊張する、などの
症状が表れたらだいたい僕の場合「損したくない」と思っているときだ。
せこい。名作とわかってるのにまだ読みたくない漫画が山ほどあるのだけど、それを何故読まないかというと「最高のコンディションで、最終巻まで一気読みしたい」などと勿体ぶってるから。つまり、何につけても楽しむ上で100点を取ろうと密かに企んでいる。

残念ながらそんなコンディションなどはやってこないし全ては自由であります。僕は自分自身この、ウンコのような人間なのに完璧主義者であるのをいい加減壊さなくてはならない。このような次第があるため、手っ取り早い解体工事として「映画を壊し観する」というのを実践している。

サブスクの発展により、Netflix や amazon prime などの動画配信サービスがごく身近になった。特に何かを観る予定もないけど、なんともなしにサイトを開いては気になった作品をマイリストに登録……。結果、「積ん読」ならぬ「積ん観」のような集合体が生まれ、スクロールバーがどんどん細くなっていく。

これはもう、壊し観を実践する時期がきております。
やり方は簡単、再生ボタンを押すだけ。心の準備が出来てないとか、あと30分で出かけるんだけどとか、待ったなしでクリック。字幕で観たいとかのお堅い志向も放棄し、吹き替えで山ちゃんの声を楽しむ。

音はデカめにしておこう。冷蔵庫にちょっと行くとか、トイレを済ませるとか、焼豚を煮込みながらとかでも内容は聞こえてくるようにしておく。離席するのにいちいち停止ボタンはいらない。観たり観なかったりすることで、たぶんストーリーの半分くらいは抜け落ちるだろうけど、それがいい。人間の脳はだいたいの推測で意外と楽しめるようにできている。

映画も小説も " 完璧に理解せねばならないのでは " という謎の義務感を背負ってしまってる人は少なくはないと思う。かくいう僕自身がまさにそうで、ちょっとでも聞き逃したところがあれば巻き戻し、理解できないシーンがあれば停止ボタンで熟考。やっとの思いで観終えてネットを調べると、自分がまったく気づいていなかった伏線や小ネタを細かく解説している人が喝采を浴びている。すげ~などと小さく拍手しながら、己の理解力は0(ゼロ)ではないかとちょっと落ち込む。自分はダメ人間だとかぶりを振りながら、心の奥底ではそんなはずはないと期待している。このプライドを、壊して観るのであります。

こないだジョーカーを適当に観たところ、普通に楽しめた。
お父さんとどういう関係だったのかよくわかんなかったけど、Wikipediaで解決しました。次は「もう終わりにしよう」にしようかな。

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