マイペースクリーチャー

チョロQをご存知だろうか。
俺はチョロQを愛していた、それはいわゆる車の赤ちゃんであり自分の中で可愛い玩具の王子様として君臨していた。ゼンマイ仕掛けが内蔵されており、車体を後方に引いてやった分だけ前に進む。小学生時分の俺はこいつに首ったけで、限られたクリスマスプレゼントの機会をチョロQ用レーシングコースに充てがったり、DIYが得意な父親に頼み込んでメタリックカラーに塗装してもらったりしていた。



当時、いつも一緒に遊ぶ仲良しの友達三人がいたが、彼らとは主にTVゲームや鬼ごっこなどの遊びが主だったのでチョロQの存在は秘匿されていた。このプライベートゾーンには誰も近づかせないようにしていた。

ドラえもんの単行本に " チョコQ " というブートレグめいた名称で題材にされた話もあり、その回だけは200回以上読み直した。スネ夫が財力にモノをいわせ、"チョコQ " に水上走行などのトンデモ改造を施したものを見せびらかし、圧倒されたのび太がドラえもんの道具を借り魔改造バトルを展開する。こんな内容だったと記憶している。他愛もないが、ドラえもんにも登場するほどチョロQは市民権を得ている、そう独り合点するには十分な内容であった。

ある日、終末が訪れた。
小学校高学年に差し掛かった頃、『ミニ四駆』の台頭が始まった。
『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の世界線が現実に侵食してきた。
そのスタイリッシュなフォルムと大々的に行われるコロコロコミックとのタイアップは、当時の小学生達を魅了するのに十分なインパクトを放っていた。

俺はクソみたいな気分になった。聖域への冒涜。仲良しの友達三人もシャイニングスコーピオンがどうの、モーターがどうのとお熱を上げはじめ言っていることが理解できなかった。一応グループなので一緒には居るが、当方チョロQに自信アリなどおくびにも出せず、話についていけなくなり始めた。星馬豪が俺の部屋の畳にションベンしにきやがったと思った。

コロコロコミックがトチ狂って、ミニ四駆を忘却しチョロQだけの特集ページを紙面の半分ぐらい組めばいいのにと毎日かなりガチめに妄想した。俺はなけなしの対抗心として、父親に相談し当時流行っていた『肉抜き』をチョロQに施してもらった。これは車体をくり抜くことでボディを軽量化しスピードアップを図るというミニ四駆改造の一種であり、結論から言って元々さくらんぼぐらいの重さしかないチョロQに風穴を開けたところで限りなく無意味だったのだが「俺は同じ舞台で踊(や)れる」と自分に言い聞かせるためには欠かせない儀式だった。

「本堂にミニ四(よん)持っていって速さ比べよう」
いつかの放課後、友達の一人が提案した。彼はお寺の息子だった。本堂というのは、みんなで正座してナンマンダブをやる広い畳の部屋だ。俺は来ても来なくても、といった扱われ方だったが、この日は顔を出していた。みんな持ってきた? との呼びかけに、他の二人は自慢のミニ四駆で応じる。手ぶらだったはずの俺はポケットに手を突っ込んで " マシン " を取り出した。

「これ、チョロQやん」
肉抜きされた小さなGT-Rを前に、誰かが率直な小並感を告げた。場の失笑を買うのは承知の上だった。俺は覚悟ができた。お前達は? 本堂の端から端まで " マシン " が並び、一斉にスタートした。ミニ四駆の軌跡が一瞬で向かい側の壁際までたどり着く中、一台だけ " ハイハイ " をしながら進むGT-Rがいる。チョロQのぜんまいパワーではゴールに辿り着くことすらできなかった。一人だけ、おままごとをしている。

マジョリティ(ミニ四駆保持者)達は、一台を除く三台の中で勝敗を論ずるのに盛り上がっていた。俺は胎児のような格好で親指をしゃぶっているだけの存在に成り下がり、ご本尊様の前でその醜態を晒していた。チョロQが好きなだけだったのに、どうしてこんなことになっちゃうの? ここでその日の記憶が途絶えており、おそらく白角でも飲んで早めに寝たものだと思われる。


数ヶ月で、このババをこいたようなブームは鎮静を迎えた。少なくとも自分の周囲では。友達は三人ともまともだったので、ミニ四駆が終わった後は再び俺を迎え入れてくれた。だが、この優しさが今後長らく俺を苦しめることになる。


人間はコミュニティに所属し、その中で円滑な人間関係を築きながらより優位に立てるポジションを目指す生き物だ。だからまともな感覚を持った人間なら「集団の中で迫害される可能性」を極度に恐れる。チョロQの件は特段おかしな体験でもなくて、誰でも似たようなことを子供の頃に経験していることだろう。ただ、まともな人ならこんな目に遭うと「次からは周りが良しとしていることに合わせるようにしよう」と経験を次に活かして大人になっていくはずなのに、俺は馬鹿だからとことんマイペースを貫いた。スラムダンクより幽遊白書、青春パンクよりプログレメタルといった感じで別に意地になっているわけではないが今でいう逆張りみたいなことを続けていた。

その結果、一般常識・教養や釣り・ゴルフといった大人の男性が最低限わきまえないといけない知識すら持たないマイペースクリーチャーと化した。学生時代までは個人主義が許されたのでまだよかったが、社会人になって歳を重ねていくうちにこの同調圧力が年々強まっており、いま人生で結構なもがき苦しみ方をしている。当然だ、社会人は社会に合わせるから社会人なのだから。

そんなこんなを悩んでいるうちに、俺も子供に恵まれた。
育児をしていく中で、ふと自分の過去を振り返って「この子がもう少し大きくなって、マイナーなセンスばかりチョイスするようになったらどうしようか?」と悩むことがある。チョロQなんか笑われるからミニ四駆にしときなさい、なんて言うか? そんなもの個人の自由だし、親がチョロQ選んできた分際で説得力ゼロだ。そもそもマジョリティであることは生きやすさとの親和性が高いだけでイコール幸福とはならない。チョロQもミニ四駆もどっちも遊びなさい、というのも「周りの人みんなと上手くやりなさい」と同じくらい身も蓋もなく、それができれば誰も苦労なんてしないだろうという話でもある。人間は興味のないものはどうしても興味を持てないし、好きなことは法で規制されても手を出すからだ。


俺は自分の身勝手を呪い続けてきたが、持って生まれたサガであり間違いではなかったのか? でも、生き苦しいのは事実なわけで。満遍なく関心を持つのが一番正しかったのかもしれないが、そのバランスの取れなさが俺そのものなのだろう。とりあえず釣りでも始めて、世間への理解を深めることにしよう。

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