豆きんたろう3

中国に行きオットにはキャリアがのこったが、廃人になった私にはなにものこらなかった話

なんかもやもやが止まらないので
とりあえずアウトプットする。

故郷に帰ってくると、
かわいくてたまらない育ち盛りの
2歳児むすめが出迎えてくれ。
育児を楽しんでいる両親がいる。

【子供は3歳までに親孝行する】
こんな言葉があるけど、本当にそう思う。
寝かしつける時に全身ですりよってくる甘え、キラキラした目で笑いかけてくる満面の笑顔。

子供が私に送っていたものは、
まさに一点の曇もない信頼と愛情。
この感情は大人のソレとは全くの別物。

・・・・わたしはこの年齢の子をおいて、
上京して仕事して、それだけの価値があることをしてるのかな。とか

たまの満員電車に、ぎゅうぎゅう詰めになりながら、ゆられながら思う。
(東京から湘南までは遠いんです。
夏は海を近くに感じることができ
良い環境とはおもうけど、今は寒いし、
なんなんだろね)
仕事はいつでもできる、子育ては今だけ。

実際、仕事は起ち上げの
中華系のスタートアップらしく、
なにもかも自分で動かなければ指示はない。

普段がリモートワークなので、仲間は少ない。
厳しいオットが裏にまわってくれるので、
その点は感謝。
しかし、
業界的には絶対いける、という確信はある。
日中の美少女コンテストの協賛になり、
動画マーケティングも展開していく。
このプロジェクトは成功させる必要がある~

将来、インバウンドにおいて重要な位置を
しめてくると思う。

あと1年後、ぜったい、いける業界。
美容医療と再生医療。
幹細胞治療など、
チャイナの富裕層がこぞって受けに来る。

ママ活動に力を注いでいた私が、
ここまでして「でかせぎはは」を
行動に移したのも、
現状を変えたかったから。

・オットには仕事のキャリアが残ったが
私はなにもできない!😭
ここまで考える脳がなかったのも、私の弱点である。アタマが弱い。自覚ある。

駐在妻として中国にわたったものの、
自分は環境になじめずパニック障害になり、
工場は閉鎖、その後、一念発起し、
現地就職、中国人の社長秘書になるも、セクハラと賄賂の日々、と、
なんだかもう内容が濃すぎな日々を過ごした。
その間に、無職のオットが起業、ビンボー生活・・と。

しかし、それらの日々から一体何を学んだんだろう。

・心とからだの健康がなによりも大切なこと。
・やりたい夢がある人を応援すること
・どんな状況でも絶対に光はあること
・世の中には、チャイナルールが存在する事
・・これぐらいかな?

自分は何も、成長してない。
最近思うのが、
私にはふわふわとした夢はあっても、将来の決定的な夢がない。
ってゆってももうそんなこと言ってられないんだけど。
もっと自己理解をすすめる必要がある。
なにに価値を見いだし、
どんな人生を歩みたいのか。
まずは自分がわくわくするゴールを決めないと。

妊娠出産にもタイムリミットがあるしね。
家族、こども、仕事、自分のこころ、
こころと頭が離ればなれ。
いろんな所に意識が飛んでる感じ。
ベンチャー企業の社長の嫁、という立場も環境がめまぐるしく変化する&
本人達は楽しくても影響を直接受ける特殊な立場でもある。

環境の変化もさることながら、
経済的な影響は本当にメンタルがやられる。
そういう人を選んでしまったのだから、
今後の人生も、想像をこえるいろんな変化が訪れるのであろう。

その点についても多々、他含み、色々感じる所もある。そもそも論。

自分は一体なにがしたいんだろう。
他人に感情の波を乱されたくない。
何にでも対応できる柔軟な働き方。
33歳、色々なやむ年頃でもあります。

ある人に言われた。(トマト作りが得意)
「性格的にいいものがそろってるけど、まずは、心の整理だね」と。
まずはそこが大事だな。
芯は決まってるけど、これが正直な現時点の気持ち。

その点では、最近、自己理解やメンタルヘルス、起業家の家族について
情報をもらえたのが本気で嬉しかった。

かいたらスッキリしましたな。
今やること
・今の仕事で圧倒的な結果を作る→無心でやる→子供を迎えに行くもしくは大阪でもできる働き方

・起業家の嫁
とくに資金調達までの時差。
としてどっかにアウトプットしたい
・自己理解を深める
・妊娠出産について真剣に考える
(ここに重要性をおくのは、35歳をさかいに、妊孕性が下がる、という物理的限界が存在するため。)

こんなしょうもない文章、
ありがとうございました〜


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