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スピリチュアルマスターの独り言28「開かれたアカデミー」

いつからだろう、と考えてみた。私の中には、いつも学校を作る、という目標があった。

中二の時に、学校の体育館で、しかも前半、後半がひっくり返って上映された宮城まり子さんのドキュメンタリー「ねむの木学園」を見た後の、私もあんなことすると心に決め、大きな感動を覚えたときかもしれない。

今、住んでいる宮古島は、ねむの木だらけ!ねむの木の島で、その目標を違うレベルで叶えたのだ。半世紀の道のりだ。

まずは、音楽を学び、短大講師になった。今の仕事は、波動の調整だが、その波動を音楽で身につけ、波動の違いや、違う波動の感覚が分かった。音楽から溢れる神聖な響き、天才の演奏も最初の一音が奏でられる一瞬前から感じることができるのは、長年の積み重ねの結果だ。

次に日本語教師、日本人としてのリズムや生活、文化、習慣を海外の学生と共に、異文化比較、異言語比較から深めることができた。文化や習慣、態度が生み出すエネルギーの違い、その結果もたらされる身体の緊張具合。日本にいると重症化する私のアトピーは、いつもどの外国でも、ここから出れば一週間で治った。帰国すれば、それが宮崎県の自然と緩やかな日常であっても、一週間で復活した。そういうこと全てが、今役に立っている。

海外生活で、私の日本人的女性性は一気に壊された。180度違う人になって帰国した。これは、今、受講生の型、枠、箱を見つけることに大いに役に立っている。

自分の子供を、ただそのままで育てることの難しさを痛感した。もうすでに元夫と英会話スクールを経営していたので、子供のためにインターナショナルスクールをつくろうと奔走した。

その後は二つのインターナショナルで教職に就いた。そこでは、型破りな私の行動力が役に立った。他の人が求める良い人ではなく、学校が必要とする現実を生み出すブルドーザーみたいに働いた。その12年の間に数回、父兄と一緒にスクールを作ろうと試みた。また、新しいインターナショナルスクールから声をかけられたことも数回ある。

そして、イギリスのスピリチュアルスクールのティーチャー、マスター、プリンシパルと経験しながら、一生プリンシパルで仕事をするのだろうと思った途端、

とうとう、人々の魂の才能を開花させるため、日本人の特質に必要な学びを理解した上で、全人的な教育をする、全エネルギー、全次元を把握した上で安全に上昇するためのスクール、ホールエナジーマネージメント®️を実現させるチャレンジが、それまで学んできた仲間達のコミュニティー全体に与えられた。

それから二年後、ゴールデンハートアカデミーを設立させた。どちらも、夜寝ながら受け取った導きに従って、商標登録したり、カリキュラムを作ったりした。

それから二年。行き詰まりを感じる中、ようやく光が射して来た。スッキリと見えた!ゴールデンハートアカデミーは、この学びの入り口として新しい人が学び、ホールエナジーマネージメント®️で学んできたファシリテーターが教える場所、と思っていたが、反対だったのだ。

ホールエナジーマネージメント®️は、確実に光への道を進むカリキュラムでファシリテーターを育てている。そのファシリテーター達がとうとう、光のレベルに入る時、それぞれが自分自身の魂の響きを奏で、自由に自己表現する場所が必要になる。

それは、完全な自由が安全に確保されている場所でのみ可能になる。そこで表現される創造物からは、自然に人々の奥の光の入り口を触発し、開く穏やかでパワフルな作用がある。まるで子供のようなイノセントな行動からのみ、その効果が生まれる。

ゴールデンハートアカデミーは、光のレベルへの地上のポータルだった。光の世界の入り口を開く場所だったのだ!

そう分かった途端、ホールエナジーマネージメント®️のHPの中に、ゴールデンハートアカデミーが、すっと収まった。今月からサイトを一つにまとめることができた。

私の目標は、地上の学校ではなかった。光の世界の分校を、ここ地上に開校させるという、頭では決して思いもつかないことだった。光の世界にすでにあった学校に、地上から長い年月をかけてポータルを開いた!一緒に学んで来た仲間と共に!仲間のお陰で!

そして地上のクルーと、光のクルーが、一緒に働き始めた!!!


2/4に開催したオンラインワークショップ、地上クルー募集中!


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