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「エクトール・セルヴァダック」 ジュール・ヴェルヌ

石橋正孝 訳  ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクション  インスクリプト

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ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクション全5巻ラインナップ


「ハテラス船長の航海と冒険」荒原邦博訳
「地球から月へ 月を回って 上も下もなく」石橋正孝訳
「エクトール・セルヴァダック」石橋正孝訳(当巻)
「蒸気で動く家」荒原邦博・三枝大修訳
「カルパチアの城 ヴィルヘルム・シュトーリッツの秘密」新島進訳

文遊社でもヴェルヌ作品の翻訳が出ている(シリーズ?)

訳者解説から


この作品は、ヴェルヌの初期から中期、英雄の不在と反ユダヤ人主義が目立つ作品とのこと。ちなみに物語の大筋は、地球に再接近した彗星が、その時フランスのある県を剥離させ彗星上に載せてしまい、一年間彗星にいて太陽系一周するというもの。

 現地に赴いて情報や資料を収集するのは学者たちにふさわしい振る舞いとは見なされておらず、彼らの務めとは、他の者たちから寄せられるそうした材料を用いて演繹的な思考をめぐらすことであった。十七世紀のイギリス経験論以降、帰納法に基づく実証的な科学の普及が移動の地位を徐々に上昇させ、十九世紀になって全面化した
(p490)


演繹と帰納というのは論理学の裏表で対概念だと思っていたが、歴史的形成の歴史があったのか。そこに移動、旅の地位が絡む。この変化を受けて、いわゆるグランドツアーなるものも発達したという。

 その彼ら(ロマン主義文学者)の貴重な実践が「旅行」や「観光」と混同されることだけはなんとしてでも避けなければならない。こうして目の敵とされた「観光」とは対照的に、物理的な制御がままならず、主体性が大幅に制限されるからこそ、逆説的にも「旅」は想像力や言語能力を駆使して知的な制御を試みる機会をふんだんにもたらすのだ、とする発想の逆転が生じる。
(p491)


これは未だに自分を含む旅好きには受け継がれている、と思う。
(2024 01/08)

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