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「サヘルに暮らす 西アフリカフルベ民俗誌」 小川了

NHKブックス  日本放送出版協会

セネガル フルベ序説(雑多な話)

「◯◯さんのところに行ってみな」と言われて、家にお世話になっていたら、実は同姓同名の別人だったけど、みんな何も気にしていなかった・・・
調査に行った村からの列車が来なくて歩いて帰ったけど、フルベ族の人は大柄で歩くのも早くてついていくのが大変だった・・・
フルベ族の人は食事をどちらかというと恥ずべきこと、人前ではしないことと考えている・・・
あるいはエピローグで、ガンビア川渡る直前に目眩が止まらず、ダカールに戻ったら「もう少し遅れたら死ぬところだった」と言われたり・・・
そんな話がたくさん。
(2011 02/11)

第3章は語りについて


語り部は世襲制で、語り部の楽器を壊すとかなりの弁償をしなければならないそうだ。また、ここで収録した語りは、語り部が楽器演奏は得意だが、語りが不得意というなんだかなあ的な(笑)語り部だったので、語りは別の人が行ったものらしい。

語りは

伝説ー男(が語る)ー昼ー真実というライン
お伽噺ー女(が語る)ー夜ー嘘というライン


とがあり、ここでは前者を2話収録。どっちも女が悪役っぽい。これがフルべ社会の「公」的見解なのか?「裏」の見解も見てみたい。
(2011  02/13)

第4章はフルべ社会の周辺の人達

特徴的なのは「外人」的な分類、セネガルの主要民族であるウォロフ族との関係(雨季は仲が悪く、乾季は仲がいい?)、それから「奴隷」という人々の存在。フルべ族の村には「奴隷」の人達だけの集落がある。主人?であるフルべ族は彼らと平等に暮らしながら(婚姻も多く、フルべ族の人々と変わらないようにも見える)、差別化したいという状況にあるらしい。現代では奴隷制はもちろん廃止されているわけではあるが、西アフリカにはこのような「緩やかな」奴隷制度の残滓があるようだ。

第5章は彼らの生業である牧畜と牛について


やはり牛についての言葉は数多い。梅棹忠夫の牧畜起源説にも触れながらフルべ族の生活を描いている。牛も飼われている人間についてのイメージを持っている?それから、母牛が死んだ仔牛に乳を授ける方法の一つとして、ヤギや羊に授乳してもらい、発情するまでヤギや羊とともに生活させる、というものもあった(発情してからは牛達と暮らす)。そういう牛は人間によくなつく…というのも面白い。

第6章は名前について

こちらはオルテガの「個人と社会」や、牧畜民族は個人主義的ではないかという議論を参照しながら。著者がフルべ族で一番重要な名付け方ではないかと考えている生まれた順番での名付け方に加え、重要な人物や出来事(著者の名前をつけたのもあるという)、出産当時の状況や場所をつけたもの、わざと悪い名前や無視しているような名付けもあった。名前は無文字社会では、語りや歴史ともなることがあるのでは?
(2011  02/20)

食べることと褒めることの禁忌


「サヘルに暮らす」の続き…は、フルベ族の生活哲学について。なんか要するに「羨ましそうな顔もせずに、驕らずに…」ということらしい。他の人が食べているのを見ているのはマナー違反だそう。食べ物をほしそうに見えるから、だそう。逆に食べている側としては、それを察して食事に招くべき…では、日常の食事はどうしているのか?というと、暗い中で食べるという。あんまりおいしく感じないんじゃないか?と思うのは外野の考え。

一方、人を誉めたりするのもあまりよくないらしい。別に誉めた人に悪意がなくとも、そういうところから妬みみたいなものが生まれる、という哲学らしい。誉められた方は「カール」と言えば解除されるらしいが。
あと、あんまりいいことが続くと、次は悪いことがあるかもしれないから、警戒するように…って、日本人にもなんとなくわかるような感じ?
(2011 02/22)

結婚制度とトリックスター

「サヘルに暮らす」読み終わり。最後の2章は結婚・婚約の制度と、それからそういう結婚式かなんかにいつの間にかいるヤクザもの・トリックスターについて。前者は夜這いと一夫多妻制は相補っているのではないかという指摘。後者は下卑た言葉や行為でひんしゅくかいながらも、いなければいないで寂しい?彼らが、「奴隷」出身という点が面白い。
(2011 02/25)

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