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「トゥアレグ 自由への帰路」 デコード豊崎アリサ

イースト・プレス


街々書林吉祥寺で購入。
(2023 07/16)

アリサ氏生い立ち(第1章)

p24まで読んでみた。
冒険家で今は骨董品店主?のフランス人の父と、単身フランスに渡った日本人の母の間に生まれた。子供の頃、弟とともに父のアフリカを含む冒険に連れてもらっていた。その後日本に来た時に、湿気が多いし虫もいるしで、アフリカみたいだ…と思ったらしい。高校・大学はフランスで、また日本に来て、バブル期のホステス勤め(この頃の外国人って日本来てホステス経験する人多くない?確かアンジェラ・カーターとか)や会社員勤め…ただ、「空気を読んで」政治・社会的関心が乏しく意見を言わない日本社会は、「サムライ」に憧れた彼女には窮屈だった…そしてその「サムライ」をサハラの真ん中で見つける…
(2023 07/17)

第1章は、そこからモーリタニアへラリーに随伴する医療ボランティアへ同行。日本出国の時に在留証明?の延長されてなくて、他のメンバーと同じ日に出られず、「日本に帰国できなくてもいいから急いで下さい」と言って次の便に乗せてもらった。同行が終わって、観光客向けのラクダツアーに参加していると、本物の遊牧民に出会った。というところまで。
(2023 07/22)

塩キャラバン(第2章)

第2章はいよいよニジェールのトゥアレグとの塩キャラバン同行。男達の中でたった一人の女性、言葉(タマシェク語…トゥアレグとは元々タマシェク語を話す人々の意…というのは自分の勘違い、下記注参照))を覚えて、即席でムスリムになって出発。ガイド等3人でスタートしたが、後に大規模な塩キャラバンと出会って同行することに。このキャラバンも元をたどれば3つのグループの寄せ集めらしい。危険な旅路に出る場合、いろいろなグループがそれぞれの事情でくっついたり離れたり、でも基本的には合同して進む…という話をどこかで読んだような…

トゥアレグは、ニジェールなどのサヘル地域の国及びそこの中心民族(黒人系)を軽蔑していることが多いという。それは遊牧民と農耕民という古くからの対立に加え、ここの場合はそれら黒人政府達がトゥアレグの独立を認めず、彼らの領域が4以上の国に分割されてしまったからでもある。そんな中、トゥアレグ達を応援し出稼ぎの人々を受け入れたのがリビア。

 トゥアレグにとって食事より大事なこのお茶は、ことわざにもなっている。1杯目は人生のように苦い、2杯目は愛のように強い、3杯目は死のように甘い。
(p47-48)


トゥアレグのお茶は、朝、昼、晩、夜と淹れる。人生と1日の動きの重なり。
キャラバンの旅の途中で、「テネレの木」というアカシアの木とその近くの井戸があった。しかしテネレの木は事故で倒され、代わりに日本人が「鉄の木」のコンテンポラリーアートを建てた…これがp61にある写真。そしてこれを作ったのは篠原勝之氏。通称クマさん…ってあの人か…オビにもピーター・バラカンと並んで言葉が引かれていたのはそういう経緯だったのか。
オアシスのカヌリ族の村。カヌリ族は黒人系ではあるが、ここではそこまで対立はなさそう。ただ、こういう村では、キャラバンは定住民の家に入ることはなく、近くでキャンプしているという。
(2023 08/07)

昨日は第2章残りと第3章始め。
第2章ではビルマ(ニジェールの町の名前)まで塩キャラバンに同行、その後調べてみると塩キャラバンは旱魃などのセイフティネットにも貢献しているという。それはビルマから南下しナイジェリアへ入るルートが関係している。それを捉えた映画を作成しようと思い立つ…
というところまで。
一つ訂正。第2章でタマシェク語を話すからトゥアレグという名前というのは誤り。「トゥアレグ」という名前はアラビア語で「神に見捨てられた者」を意味する。7世紀のイスラム化を拒み砂漠へ撤退したことを受けた言葉。彼ら自身は「イマジェレン」(自由な人々」と自らを呼んでいる(現在は彼らもムスリムが多い)。
(2023 08/09)

塩キャラバン、ナイジェリアへ(第3章)

 親子は歩きながら栄養たっぷりのアラジラを飲み、水がなくなると子どもたちがまた水袋を担ぐラクダへ走り、水を足してからまた戻る。
 その「歩く食事」の支度を毎日2回も繰り返す子どもたちに私はいつも感心していた。食事を作ったり、水を配ったりする少年たちがキャラバンの「背中の目」になって、後方でラクダが暴れたり荷物が落ちたりしないように常に見張っていた。
(p106-107)


キャラバンにトゥアレグの女性は同行しない。「歩く食事」というのがなかなか感覚掴めなかったけれど、こうやっているのか…

 この広大な交易を行なっているのは、塩の生産者や消費者ではなく第三者である。その第三者が仲立ちをし自分自身の生活を成り立たせながら、生産者や消費者の需要を満たしている。彼らは北と西に広がる過酷な地域から来ている原住民である。彼らは何か月もかけて、何千頭ものラクダに塩を積んで無限の空間を横断し、塩と麦を交換する人たちの地域へ移動する。このような生産の交換は、民族間の連帯の意識として自然界の法則に深く刻まれているのだ
(p115 19世紀のドイツの探検家、ハインリヒ・バルトの1860年の探検日記より)


現在では海で生産された塩がこの地にも流入している。そのため、このビルマで昔から続く製法で作っている塩はトゥアレグなどの現地需要用に限定されてしまっている。一方、このビルマの地でも製法を簡略化して作った塩も出回っている。こうした塩は少し濁っていることが多い。南のサヘル地域(ナイジェリア等)からヨーロッパへ向かおうと経済移民がこの地を通るが、ここで資金が尽き、この粗放な製塩作業に就いて離れられなくなる、というケースもある。

 たしかに雨の砂漠は目印のないグレーの世界だ。砂と空が溶け合い、ひとつの大きな霧の中を歩いているようだった。星も太陽も見えない砂漠でひとつでも誤ると死んでしまうのだ。
(p120)


テネレ砂漠での突然の雨。これまで灼熱の中を歩いてきた著者は喜ぶが、周りのトゥアレグ達は不安を感じていた。ただ、雨は悪いことだけではない。緑が戻ってきて、ラクダ達にも草をはませることができた。
(2023 08/10)

南の農民ハウサ族と交易する為に南下し、ハウサ族の農村地域でゲートもなくナイジェリア領内へ。ハウサ族の地域は両国にまたがっている様子。
ハウサの農村での彼らトゥアレグの遊牧民は上客扱い。それは彼らがラクダの糞など肥料になるものを提供してくれるから。でも、「ハウサの女を妻としたら「あれこれ買って」と言われて大変だ」とも言う。そんなトゥアレグ達は必要ないものは1円でも買わない主義。それが自由につながっていると考え、国の教育も嫌っている感がある。高等教育受けても職が無く、街で不良化してしまう例も多いらしい。後、やはりトラックで運ぶ塩との競争は熾烈なものがあり、この本ではトゥアレグに好意的になっている感があるが、実際は結構塩キャラバンの存続危機になっていると思うのだが…
著者はカノ(トゥアレグの象徴のようなインディゴの布も、物価の安いカノで買うという)からニアメへ、そこで入国スタンプがないのをなんとか切り抜けてパリへ戻る。第3章終わり。

第4章「密航ルート」


ニジェールのアーリットから、第3章の旅の直後にも行ったアルジェリアのジャネットへ。タマンラセット経由では遠回りになるので、と直行ルートで行く。ここは正式なルートではないのだが、普段から当地のトゥアレグが行き来しているという。しかし著者が行った時には、直前のバス襲撃テロが起きて、不穏な雰囲気。結局、コンゴやカメルーンなどからヨーロッパへと向かう移民達と共に行動することになる。著者は昔、父親とともにアフリカ旅行をしていて、彼ら移民達ともカセットを借りたりと仲良くなるのだが、一方トゥアレグは第1章でもあったように、黒人達を「奴隷」と呼んで差別意識を持っている。その一方で、ニジェールの役人はトゥアレグを「土人」と言っていたり(人によって変わるとは思うが)…
そんなここにいる移民希望の黒人達は、フランス語が話せ、大学卒業してたり、エンジニアだったりする人々が多い。

 実は、私にもわからないことが多かった。「どうして命懸けでヨーロッパに行きたいの?」とアランに聞いたら、「チャレンジしたいから」と答えた。アフリカを出て世界を見たい冒険心は素晴らしいが、何回も密航して何回も送還され、何回も屈辱を受けている。そもそも彼らはヨーロッパに無事にたどり着いたとしても、不法滞在者としてまったく自由のない身分となる。皮肉なことに、こうやって出稼ぎに行く移民はトゥアレグにとっての最高の収入源となっていた。
(p185)


最後は、ジャネットまで50キロくらいの場所で、「警察がたくさんいるから移民達はここから歩いて行け」と、黒人の移民達は、ガイドもなくとぼとぼ歩いていくこととなる。
(2023 08/12)

第5章「放浪する女」


前半はマリのトゥアレグの伝説的バンド、ティナリウェンの現地ライブ、そこからまた国境を越えてタマンラセット経由ジャネットへ。後半はそのジャネット、ラクダ使いのハマニの家での生活。マリでは1963年に政府軍によるトゥアレグ虐殺事件が起こった。ティナリウェンのメンバーはリビアに向かい、そこでロックやレゲエ、そしてギター自体を知ったという。ジャネットでは、男達は昼は家から出て外で過ごし、女達が家にいる、という習慣がある。遊牧生活の習慣だろうけれど、都市化してきたジャネットだと傍目には変に思える。そんなに仕事があるわけではないから、男達はカフェに行き、「仕事を探す」という名目で、ゲームしたり通る女をじっと見てたりするそう。
(2023 08/13)

第6章「サハラ・エリキ」


これはラクダのキャラバン旅を1週間くらいかけてたどるツアーの名前。また密航しながらニジェールからアルジェリアへラクダを輸送し、ツアーをする。それはよくあるちょっとだけラクダと歩くものではなく、自分でラクダを操るまでの本格的なもの。中には中高年の団体ツアーが当てられて日本食まで持ち込まれてしまうこともあった(添乗員の立場も(どこまで説明受けてたかもわからず)わからないでもないが)けれど、徐々に参加者も増えていく。タッシリ・ナジェールの元住民(干魃で都市に定住)をガイドに岩絵を見にいくとか、自分が行けるかはともかく興味深い。

 「『見て来た』『行って来た』とはまったくちがう『ラクダの生活のリズムで、共に旅をする』と勝手に理解しました。そんな新しい旅の形だということにもっと早く気が付けば、もっと楽しい2週間を送れたと悔やまれます。地球は人間だけが生活しているのではないことを教えてくれた旅でした。」
(p255-256)


と参加者の一人、脇若さん(女性)がSNSで投稿している。彼女は前に1時間くらいだけのモロッコでのラクダツアーに参加して、こちらもそういうものだと思ったという。途中で引き返すとか言い出しながら、最後の方はトゥアレグ達とも仲良くなって帰っていった。
上の感想の後、著者は冷静に続ける。

 脇若さんは、はじめからエリキ・キャラバンの内容をもっと知っていたらきっと来なかっただろう。その彼女が遊牧の本質まで理解してくれたことは、とても力強いエリキ・ツアーの第一歩だった。
(p256)


なるほどね。勘違いしないと前に進まないこともあるわけか…
(2023 08/15)

第6章を最後まで。
干魃とイスラム原理主義者によるテロで、サハラ・エリキの行動がし難くなり、結局一旦日本に戻るところまで。
その間に、フーコー神父(1916年、あるトゥアレグ人によって暗殺(?)の修道院…彼は当時のトゥアレグの王ムサ・アグ・アマスタンと親交を持った…と、イスラム・スーフィズムの聖地の一つ、イン・サラーを巡った。

 ムスリムは1日5回祈りをすることではない。善意を尽くさなければムスリムではない。それだけだ。
(p292)

 「問題は宗教ではなく文化だ」と答えた。タマンラセットのような大きな町で定住生活を送るトゥアレグの若者は、文化、規律や価値観も失われつつある。トゥアレグの男性たちがターバンを脱ぎ、女性たちが顔を隠す。まるで後退する社会文化的な現象が、年寄りや女性に対する尊敬を喪失させた。それはいずれ母系社会で実践していたイスラム教も忘れることになるかもしれない。
(p295)


上の文はイン・サラーでの老人の言葉、下の文はティナリウェンのメンバーの言葉。トゥアレグの女性たちは(他のムスリムのように)顔を隠さない。文化が変われば尊敬などの人間関係倫理も変わっていく。
後、著者が「憧れる」と挙げているのが、イザベル・エベラール。20世紀始め、男装しイスラムに改宗までしてこの地域旅した女性…って、この本(「砂漠の女」)、実は持ってたりして…
(2023 08/16)

第7章「原発とテロ」


第7章は前半は2011年の震災と原発事故の取材。後半はトゥアレグ達の反乱。MNLAというアザワド共和国設立派と、アンサル・ディンという原理主義的グループとに分裂する。そして内戦へ。原理主義者のグループは資金を持っており、貧困層を抱き込む。そこを脱走しても保護されなければ殺されるらしい。一瞬の明るい光は女性たちの力か。

 アザワドの女性たちを見て、いつか女性のリーダーが出てきてもおかしくないと思った。イスラム過激派のイデオロギーを排除する最高の力は、女性だ。
(p327)


過激派が保護下に置こうとする女性たちによってこそ、それを覆すことができる…このアザワド(サハラ砂漠のトゥアレグ等遊牧民の世界)地域は、クルド地域と似た構造を持つ。民族や遊牧生活地域を無視した国境線。イスラム原理主義、多国籍軍、そして地元遊牧民による平和を目指した共和国…違いは知名度だけか…次の章の話題にしても…

第8章「放射能の砂漠」


第8章はニジェールのウラン鉱山とその周りの遊牧民の被爆。奇形児が生まれたり、ラクダが次々死んだり、そうして鉱山でしか働けないように追い込まれていくが、彼らは皆仕事を辞めたがっている。

 土地の所有権を持たない遊牧民が住む場所に鉱山を造るのはとても簡単だ。国家に「空き地」として見なされているサハラ、モンゴルのゴビ、オーストラリアなどの世界中の砂漠には、ウラン資源が溢れていた。そこで暮らす人たちは、永遠に残る放射能汚染にともなう文化の破壊にも向き合っていた。しかし、先進国の人たちは、原発や軍事プログラムのために輸出されているウランがどこから来ているのか、ほとんど知らない。
(p350-351)


1980年代には、この地域で世界の4割のウランを産出していたという…
章の最後には、この取材で訪れたアゼリックのカデールという工場労働者と仲良くなり、結局結婚する、というおまけ?付き。
(2023 08/17)

第9章「自由への帰路」

昨夜、第9章読んで読み終わり。
三つの話題からなる。一つ目は、塩キャラバンの映画をキャラバンの人達に見せて、これから塩キャラバンは衰退するのか話し合いを持った話。携帯やバイクの普及を見て怪しいと思った著者だったが、もう子供達の世代はほとんど塩キャラバンはしていない様子。話し合いでは「塩キャラバンがしたい」と皆言うのだが…

二つ目はニジェールに突如起こったゴールドラッシュ。そこに行ってなかなか戻ってこない夫カデールと離婚した(はやっ…でもこの金鉱町調査にも同行してるし付き合いは継続している模様)。女性はいないし、さぞかし荒れている町ではないかと思いきや、「金のボス」の自治(治安維持の為兵士は要請しているが)の思想のおかげで、ウラン下落後のこの一帯の情勢をなんとか持たせている。

最後はアルジェリアのタジェラヒン岩絵ツアー。これが2020年の元旦のこと。トゥアレグのバンド、タミクレスのウスマンも途中参加(ツアー客の日本人が、来日時のライブも見ていた)。

 闇に沈む大地に太陽が昇った。我々のキャラバンは、台地を降りて砂漠を後にした。まもなく風が私たちの足跡を消し、砂漠は無の世界に戻った。新たな物語が生まれるために、いつもそうしてくれるのだ。
(p419)


(2023 08/18)

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