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「マヌエル・センデロの最後の歌」 アリエル・ドルフマン

吉田秀太郎 訳  ラテンアメリカ文学選集  現代企画室

ドルフマンは「ドナルド・ダックを読む」でそういう象徴の意味を表そうとした批評を書いた人。こっちは未読なので内容はまだわからないが、やはり面白そう。彼もオランダに亡命したが今はチリに戻っている。

チリの軍事独裁下。胎児たちの「こんな世の中なんか産まれてたまるか」という連帯運動。それを含めいろんな世代がみんな同じ場所に集まって座っていて、次々に語りたい人が語り出す。という感じ。円環の場所。どの時代の話を読んでいても同じに感じる。これはどこかでであったような・・・。そうか、マルケスの「百年の孤独」か。 

さて、居場所がない空虚感を味わうことの多い昨今。自分の探し出し、押し広げていきたいことが目の前にありそうな気がして辿りつけない。その為に本など読んでいるわけですが、それは線香花火みたいなもの。束の間についても、すぐ消えてしまいます。もどかしい&現実世界の影響力の大きさに唖然。

でも、自分のそんな悩みなど世界の全体からすれば小さい方。前の日記の「マヌエル・センデロの最後の歌」の亡命者のところ読んでそう感じる。亡命すると、例えまた祖国に戻れることがあっても、ここは自分の居場所ではないと、喪失感を感じるみたい。
内なる亡命と外への亡命か…
(2009 06/29)

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