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「増補改訂ハプスブルクの実験 多文化共存を目指して」 大津留厚

春風社

元々は中公新書の一冊。新たに章を加えて別の出版社から出したもの。こういう場合、逆に新書版が後になることが多い気がするのだが。

ボスニア・ヘルツェゴビナとチェコの言語政策


昨日から大津留氏のハプスブルク本を。
オーストリア=ハンガリー二重帝国では両国それぞれ別の政策が取られ、外交などだけまた別の共通部署が行う。国勢調査の言語調査も両国で聞き方異なるのだけど、共通部署の管轄となったボスニア・ヘルツェゴビナではまた異なる聞き方(というか宗派を聞く)になった。セルビア語かクロアチア語かの選択を避ける為に、セルビア・クロアチア語として表記した。文字だけで実際にはほとんど変わらない。

一方、チェコでは多民族国家の建前で役所が国民に出す文書等ではドイツ語かチェコ語どちらか相手の言語に合わせたが、役所内部での文書はドイツ語のみだった。これでは役人登用に差が出ると考えたパデーニという人が、内部文書をチェコ語でも出し採用の際も両方の言語を使える人のみという案を出したのだけど、ドイツ語派の反対に合い採決には至らず、そうしたら今度はチェコ語派の妨害に合う。この青年チェコ党の妨害の絵が出ているのだけど、シンバルとか金管とか持ってて、まるでオーケストラの練習風景みたい(笑)。
(2016 05/26)

小学校設立とアメリカ移民

ハプスブルクの方は、モラヴィア・ブルノ近郊の町(ミュシャの生家がある)での小学校設立の話。少数派のドイツ語系の設立と、前からあったユダヤ自治区のドイツ語系の閉鎖。そういった中で少しずつシオニズムが出てくる。

続いて、チェコのチェコ系とドイツ系のアメリカ・ミネソタへの移民。チェコの方はドヴォルザークの「アメリカ」弦楽四重奏曲作曲のエピソードもあり壁画も誇らしげなんだけど、ドイツの方はナチスが併合したズデーデン地方からだけになかなか自己主張できない環境にあり、1990年代くらいからやっと自ら語り始めたというところ。
(2016 05/27)

実験から民族自決へ


「ハプスブルクの実験」昨夜読み終え。選挙区は小選挙区制で様々な調整の結果、かなり総議席が増えることとなった。調整前に優遇されていたドイツ系やウクライナ、スロベニア系を除いてなんとか落ち着いたのかな。

第一次世界大戦時に青島のドイツ植民地に宣戦布告して、捕虜を日本国内に収容した関係で、同盟関係にあったオーストリア=ハンガリーの捕虜も収容されていた。ドイツ系は徳島始めいろいろなところに収容されたが、オーストリア=ハンガリー系は数も少ないので、兵庫県小野市と加西市にまたがる青野原というところに収容された。著者は阪神・淡路大震災の際に小野市の文化財保護の仕事をしてこのテーマも取り込んだという。

後書きでは、結局ハプスブルク帝国の多民族国家としての「実験」は、大戦後東欧諸国の「民族自決」に置き換わったとする。それでその地域が解放され安定化したかと言えばそうではないことは明らかだろう。「実験」はその場しのぎのものであったかもしれないけど、現在でも参考にはなる…例えば「クオーレ」のイタリアの事例との比較とか、イタリアもかなり多文化・多民族でもあったのに現在はかなり印象が異なる…
(2016 05/28)

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