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「ラデツキー行進曲」 ヨーゼフ・ロート

平田達治 訳  鳥影社

トロッタ家の謎

昨晩から「ラデツキー行進曲」を読み始めた。第一部第三章でカール・トロッタが直面した、自分の生涯に横たわる「死」という局面は、ロードジムにもブッツァティーの短編集にも出てきた主題だったな。 それからあと一つ。このトロッタ家というのは各代みんな男子一人で、嫁いできた妻は早死している。なんかここまでの家系のこだわりにはきっと何かある… 父系家族。
(2008 01/15) 

代りの人、いませんか?


「ラデツキー行進曲」順調に読み進め、今半分くらい。第8章に「この小説の舞台になっている時代の頃は、死んでいった人々の代りがすぐ来ることもなく、亡くなった人のことを思い出す時間がたっぷりあった」という意味のことが書いてあった。小説内の時代と小説執筆の時代との間に横たわるのは第一次世界大戦。 
第2部となり、だんだん時代様相がコンラッド「密偵」と似てきた。読みやすさでは正反対かもしれない両者だが、世界観は似ているのかも? 
(2008 01/17) 

第一次世界大戦勃発


「ラデツキー行進曲」も大詰め、オーストリアの皇帝継承者の皇太子がサラエボで暗殺され、第一次世界大戦が始まる。この小説内では、事件があってから戦争が始まるまで数週間の間があるのだが、実際の歴史でもそうだったのか?

その数週間にカール・トロッタ少尉は軍隊を退役し、曾祖父がそうであったように農民の間で生活していく。しかし、戦争勃発とともにまた軍隊にもどり(戻れるものなのだろうか? 第一次世界大戦前にはこういう慣行もあったのか?)、そして戦死してしまう。
あとは、父である郡長のその後の話がエピローグとして残っている。 本当にオーストリア=ハンガリー帝国の人達は第一次世界大戦勃発が自国の滅亡を意味している、と直感したのだろうか…
(2008 01/23) 

ヨゼフ・ロートとその父

昨日で「ラデツキー行進曲」を読み終えた。
ロートという人は大人になるまで自分の父親を知らなかったらしい。父親はどんな人だったか、いろいろ想像する少年時代だったらしい。それが物語作家としての気質と練習になったのとともに、「ラデツキー行進曲」に繰り返し現れるような父と子の対話へのこだわりにも通じているのではないか、そう感じてしまう。 
(2008 01/24)

補足:「獣たちの伝説ー東欧のドイツ語文学地図」平野嘉彦 より

5章ロートでは「ラデツキー行進曲」やその後の遺稿を引きながら、オーストリア=ハンガリー帝国と農耕について、農耕をこの軍事国家に取り入れることの軋轢を描いた作品ではないかという。

 そこには、穀物が、もはや食される定めにない生きているパンが実っていた。 
(p110「ラデツキー行進曲」より)


こんな言葉あったかな。小麦を刈り入れパンにする人々が戦争によっていなくなったから。
(2015 12/13)

「獣たちの伝説」はこちら ↓


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