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「今和次郎 思い出の品の整理学」 今和次郎

STANDARD BOOKS    平凡社

奈良のほんの入り口で購入。
(2024 04/20)

考現学とは

先程買った今和次郎の本を少し。考古学に対しての考現学(意外に変換できた)。考古学が歴史学の補助学問であるように、考現学は社会学の補助学問となる。と…続いての人類学との対比は今では難しいか。とにかくここで今氏が述べている考現学を、現代ではそれこそ社会学と人類学自身がやっている感じか(考現学がどうなっているのかはわからないが)。とにかくこのスタンダードブックスというシリーズ、今ではそのままでは受け入れられないこともあるが、いわゆる開拓者で「レジェンド」な学者の文集という位置付けか。ちなみに今和次郎はちくま学芸文庫で割と出ていて、それでどこかで見た名前だ、と思った。
(2024 04/20)

長脇差のパリのかみさん

絵の心得もあった(美術学校卒業)今氏は、柳田國男に助手としてついたのだが、「考現学」という看板を掲げてしまったため、柳田氏から破門されてしまったという(というのは、今氏の認識で柳田氏はそう思っていなかったらしいが)。

 長脇差のようなパンをかかえて、朝食のテーブルに急いで帰るパリのかみさんたちのショート・スカート姿とともに、第一次大戦の戦傷兵たちが、街にも公園にも、みられたのは一九三〇年のパリであった。大戦が終わって一二年になるのに、まだ、戦後の社会政策は整うまでにいたらなかったのだろう。
(p48-49)


「長脇差」というのが笑えるが、あとの記述は笑えない。

 そこで都会の人びとのたけのこ生活(身の皮をはぐように持物を売って生活すること)がはじまったわけだが、そこで農村の人たちは、子どもの着物から、大人の晴れ着へと欲しがるものが伸びていった。
(p70)


こちらは、第二次世界大戦後の日本の「物品交換所」の章から。この人の書きっぷりがいちいちおおらかで楽しいのだが、実際の暮らしは大変だったのだろう。何と何とを交換した、あるいはしたかったのかは、p72-73の今氏の絵に詳しく出ているが、左足だけなぜか複数ある地下足袋を右足のものを変えてくれ、とか面白い。そしてよく出てくる「みのり」って何だろう。タバコ?
次からは地方の民家の話が続く。

 浜辺にたって-ぶらっとそうできることは、たいへん幸福なことであるが-青い波のぎらぎらして広がっているはるかかなたに、かすんでいるひとつの島がみえる。そしてあそこの島へいってみたいと思う。人が住んでいるかしら、どんな村があって、どんな民家があるかしら、と思う。そしてその美しい島をクレヨンを持ちだして紙に描くと美術家の仕事としての絵ができるし、いろいろ想像したり考えたりした心持を書きつけると詩人の仕事の文学ができる。が、とうとうその島までいってみたくなって、その島へ上陸して、いろいろなものを実際にみ、不思議だと感じたことを細かに注意して、そして、それからいろいろなことを考えると、研究という仕事になるのである。
(p83)


そこまで簡単には行かないとは思うけれど(笑)
(2024 04/26)

「カマド道楽」より

 道楽事にしてはじめて科学にもなる。能率にも合理にも関連してくる。
(p107)


短文だけど、思い切ったことを言うなあ。
(2024 05/01)

子ども部屋不要論、ほか

「子ども部屋不要論」
今氏自身は、家の中を歩き回りながらその時々気に入ったところで仕事をするというスタンスだったらしい。だから、同じく家の中を歩き回っている子ども(というか孫)と重なる時も多い。でも、そこでは暗黙の了解が成り立って場所の占有権、物の所有権、そして共有権というものができあがっていく。それをしないで部屋に閉じ込める?ような子ども部屋はどうだろうか。と今氏は述べている。

 いうならば、機械的な行動を、機械的な環境において営ませる傾向であるのだが、仕事を終えてわが家に帰っても、住宅は機械であるという空間に縛られたのでは、どうかというのが疑問になる。
(p113)


そこで、機械的な生活と風景をたまには変えようとするのが、旅行とかのレジャー活動なのだという。

 それにしても、住宅の機械化という考えから、住まいのなかにわだかまっていた従来からのいろいろな因習が、ノックアウトされるなりゆきを生んだことはうれしい。
(p114)


子ども部屋不要論なんていうタイトルから、懐古趣味なだけかな、という危惧も多少はあったが、そうでなくてよかった…p114の「因習」の具体例は居間とか玄関とか。
(2024 05/02)

「郊外・街路・書斎」より

 たとえば一つのマッチは家庭のなかでは実用品であるのに、カフェーの小テーブル上のそれは、分析することの不可能な妙な近代的立場のものと化せられている。
(p141)


「パサージュ論」のベンヤミンと視線は似ているような気がするのだが、実際に会わせてみたら案外に反発してしまうかも。ジンメルならいけそう?(何が?)
次は「早稲田村繁昌記」。早稲田村といっても、早稲田大学とその学生生活の歴史…ここで興味深い事実が。早稲田大学の校旗のデザインを今和次郎がしていたらしい。今氏は早稲田大学建築科の一年目からの助手になり、その後助教授になる(卒業生ではない)。
(2024 05/03)

ジャンパー研究者の行き着く先は…

朝起きて、一気読みして読み終わり。

 物的機能主義では、どこまでも人間を機械とみたててその研究を進めていると考えられるのに対して、生態学は住む環境における人間の行動を、心理状態までをも含めて研究しようという立場だといえるのであろう。
(p174)


「学ぶ態度と教える技術」より。今氏とともに歩いた生態学者の。雑草の自然環境での生態観察を見て。ここでの論点は、上記p113の文章と重なるところではあるが、この小論では二つの立場の対立を、文部省と農林水産省(省名は当時のもの)の立場の対立としている。機能教育と現場教育というように。

「人づくりの哲学」では、秀才教育と底辺教育(非行対策室という面の二極化を指摘して、同じ問題の側面なのだという(ここでも今度は文部省と法務省の立場の相違が説かれる)。その中から、八王子の医療刑務所(受刑者の病院)の所長が「昔はこの辺一帯でヒバリが巣を作っていたが、今ではこの刑務所の塀の中だけになってしまった」(大意)という言葉を受けての一節。

 不思議にその言葉は詩のようにひびく。刑務所の囲いの外の社会は、今日生きていくための生存競争の場、弱肉強食の競技場の場であることを象徴するかのようにひびく言葉だ。そして、生存競争の真っ只中に知能の競技場のかたちで営まれているのが、今日の学校というものだとうけとれるし、また、家庭も、そういう社会の魔力にひかれて営まれているのではないかと思われてくる。そして、思いきり高い空で鳴きたいヒバリが象徴しているのが、この世の青少年たちではないのか。
(p194)


この章の刑務所、そして後の章の炭鉱、どちらも今氏はユニホーム(受刑者の服や炭鉱の作業着)の改良の依頼を受けて、実際に現場に入っていく。

一方、そんな今氏のトレードマークがジャンパー姿。家にはスーツとか礼服とかの類が本当にないらしく、この姿でどこでも出かける。本人にとっては、その姿と周りの人々や文化との摩擦が、服装やエチケット、習俗などを観察できる機会になるという。そういう機会を次々現れるクエスト攻略のように見せてくれるのが「ジャンパーを着て四〇年」。結婚式から宮様への訪問、アメリカ大使のティーパーティーまで。この時はそれを新聞記事に書いたら、アメリカ大使館から「日本人にもイエスマンではない人がいたのか」と快哉された、という。
でも最終章の「結婚披露の会での演説」での「予言」(50年後には、披露宴へ出席している人々の服装はほとんど今氏のようなカジュアルなものになる)は、書かれた1967年からほぼ50年経とうとしている今、実現している…とは言えないかなあ。若干広がりは出てきたとは思うけれど。

ちなみに、書くの忘れてたけど、この本の編集は南陀楼綾繁氏(変換した!)。確かに彼は今氏の思想を受け継いでいる一人なのかも? でも、なだらかに続くテーマを年代など考えず彷徨する楽しみもあるとはいえ、やはり発表年次別に並べた方がわかりやすかった気も。
(2024 05/04)

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