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竹原市街並保存地域ほか

この日回ったのは、三原城跡、竹原町並み保存地域、広島空港、尾道ラーメン、スーパー銭湯… 小早川家(沼田と竹原)を巡る旅なのか…
竹原ゆかりの人物に頼山陽(叔父のところによく帰省した)と池田勇人首相がいるが、両者とも日本人に多大な影響を与えたところ…は似てる。
京都下鴨神社の荘園となったことに始まる竹原。江戸期には塩田開発が赤穂から伝わり、またここから松永浜(広島県)や波止浜(愛媛県)等に伝わった(この辺の浜が後につく地名は塩田開発の関係が多い)。完成した塩は冬は太平洋経由で清水や倉賀野から内陸へ、それ以外は日本海経由で糸魚川や直江津経由で内陸へ運ばれた。塩の道へバトンタッチ、というわけ。これらの塩を待ち望んでいる村や町では塩のことを「竹原」と呼び、舟が来ると「竹原が来た」と言って喜んだらしい(何故「赤穂」ではないのか?)。
現在の竹原市街は大部分がその塩田地域であり、当時の町が保存地域として残っている。その中で頼一家も生まれたわけだ。

街並入口


(2009 12/13)

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