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「プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?」 メアリアン・ウルフ

小松淳子 訳  インターシフト

日本語脳?


アルファベット体系の言語と、中国語と、それから日本語と、それぞれを読字した時の活性化する脳の部位が異なるという。どっちが優れているとかいう話ではないのだが、表音文字と表意文字では読む回路が違うらしい。

日本語は漢字を読む時と仮名を読む時と違う…いろいろな場面によって違うらしい。だからって、日本語脳が優秀という話ではないことは、自分見ても明らか(笑)。

でも、中国にはつい最近まで「女書」という女性専用?の仮名みたいなのがあって、それを紹介した本もあるらしい。中国の全女性が使っていたわけではない、とは思うが…そういう文字の使用者は、日本人と読時の脳回路は似てる?…女書の最後の使用者がつい最近亡くなって、また文化が一つ理解不能に…まあ、ジェンダー差別による産物なのだが…(だからこそ?) はい。
(2011 09/07)

丸暗記の功罪、問答の功罪

 物語と本とは、彼女がそうした感情を自分自身で試してみるための安全な場所となる。…(中略)…ここで作用するのは、情動と読字の相互関係だ。
(p130ー131)

ソクラテスが書き言葉に反対した理由と、子供の読字能力関係の発達について。
ソクラテスの方は
1・書き言葉は柔軟性に欠ける
2・書き言葉は記憶と口承を破壊する
3・書き言葉は書き手を離れて、読む必要のないところまで行ってしまう。
ふむふむ。まあ、詳しいことは省くが、ソラで言える詩とかいくつある?

発達の方で、冒頭の引用。彼女とは幼児。本を読む、聞かせるというのは、読字能力だけでなく、感情とか空間認識とか類推とかいろんなものに影響しあっている…というのが、ここでの強調点。でも、読み聞かせの比較実験って倫理的にどうなのかと少し思った。 でもこの話は、ブルデューなどにつながるのではないか。
(2011 09/08)

読字環境


(英語の)文字と音の対応について子供達が学ぶのは、童謡とか詩とかの頭韻や脚韻など。向こうの人?って、やけに詩とかを暗唱していてそれをアイデンティティーの柱にしているなあ、と前から思っていたのだが、なるほどそういう側面もあったのか。そこは日本語環境とは違うところのひとつ。

もうひとつ読字環境について。家庭に1冊の本もない環境の子供は、充分に本がある(種類は問わず)家の子供に対し、幼稚園時点でもう取り返しのつかないくらいの読字能力の差がついているとか。読字能力がその後の人生を左右することは言うまでもない。こうなるとブルデュー以前の話といった感がある。読字能力がないということは内面も…
(2011 09/13)

アメリカの子供の4割が…


解読初心者から流暢な読み手へ、その移行。で、標題なのですが、アメリカの子供の4割ほどが、この段階をクリアしてないという調査結果が引かれている。
書かれていることが現実のことではなく、また複数の意味をかけているとか、書かれていないこと、伏線の重要性など。また読むことが感情を刺激し共感を得ることなど…こうしたことに欠けている子供がどう育つのか…

感情というのはなんだか理性的でないものとして軽視されてきた感があるが、最近は重要性が再認識されてきているよう。ここでの認知的側面もそうだし、ホックシールドの感情社会学的側面なども…
(2011 09/15)

ディスレクシア

 こうした文化的発明(引用者注 読字能力のこと)は、言語や視覚のように、子どもに゛誕生の贈り物゛として与えられることはない。
(p253)


今日からディスレクシア(読字障害)の話に入る。著者の子供もディスレクシアであるらしい。で、引用文はまたもや前章までのまとめ的な文章。
視覚はいいとして、言語はチョムスキー理論を前提としている。言葉を持たない民族はいないけど、文字を持たない民族は結構いる。日本人も漢字に出合うまではそうだった。その違いははっきり覚えておきたい。
ディスレクシアに戻ると、本人も周囲もそれに気づかないことが多いそうだ。そして先天的な脳の欠陥ではないこと、文章を扱う能力に差異はないこと。何せ作家のアーヴィングやそれからアインシュタインとかもそうだったらしい…
(2011 09/19)

ディスレクシアの概論的な話の章(7章)の後半。原因として考えられるのは、脳のどこしかしらに欠陥がある場合、各部位の連結がうまくいっていない場合、機能は問題ないがスピード(流暢さ)に問題がある場合、それから原因なのか結果なのかわからないけれど別のルートを通って言語処理が行われている場合もあるそう。
(2011 09/21)

道を切り開く読書と書くこと

目の前に二つの選択肢があるなら、たいてい三つめもあるものだ
(p334)


読書とインターネットの話題になり、なんかこういう二分法的思考にならなくても…と、少し思っていた頃に現れたこのことわざ。切羽つまったときはこのことわざ思い出してみよう。
続いて注から、p5(注独自ページ)のベンヤミンの読書と筆書(書き移し)についての、一つ一つじっくり読みたい文章。読み手は上空から、書き手は道を歩き、しかも後ろの道はすぐジャングルに閉ざされる…そんなような…
(2011 09/25)

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