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「ルネサンス周航」 樺山紘一

福武文庫  福武書店

昨夜樺山氏の「ルネサンス周航」を読み始めた。ルネサンスは、イエスが信者の代表として犠牲になったのと同じように、これまでの(樺山氏は楽観的進歩主義という)アウグスティヌス的中世を悪(暗黒の中世観)とみなして成立したのではないか、という。 
(2014 12/19)

楕円の哲学

 そもそも歴史像とは、いまとここの知性が、自分を投影するスクリーンのうえに描かれるものだから。
(p76)


ルネサンスという時代は今(というかこの文章が書かれた1970年代後半)ありがたみを削りとられてきている、という。一つは中世12世紀ルネサンスの側から。もう一方は宗教改革、近代側から。ここで樺山氏は中世か近代かという問題ではなく、いろいろな運動の流れ込む特異点としてルネサンスを捉えているようだ。だからルネサンス的な時代は様々なところに現れうる。
花田清輝が「復興期の精神」で室町末から桃山期の日本を取り上げるのもそうした意図であるし、それを樺山氏が検討するのもまた同じ道筋。

 いうまでもなく楕円は、焦点の位置次第で、無限に円に近づくこともできれば、直線に近づくこともできようが、その形がいかに変化しようとも、依然として、楕円が楕円である限り、それは、醒めながら眠り、眠りながら醒め、泣きながら笑い、笑いながら泣き、信じながら疑い、疑いながら信じる
(p109)


ルネサンスの二項対立、知性と本能、数学と詩、人文主義とキリスト教(トマス・アクィナスの元で一緒になっていたこの二つを、ルネサンス→宗教改革が分離する)というもの逹が楕円の焦点として描かれる。その現れた最大のイメージがブラーエ→ケプラーの惑星の楕円軌道…というのは都合よすぎだけど、魅力的な考えではある。
(2014 12/24)

「ルネサンス周航」は裁判と占星術の章。前者で裁判と遊戯(神明裁判とか決闘から恋愛裁判まで)の流れが書いてあったのは法社会学・歴史学的にも興味が湧く。
(2014 12/26)

養生書論と飢饉書論


「ルネサンス周航」より、今日は標題のところを。
どちらもも少しいろんな角度から見てみたいテーマではある。前者では失われた民俗的知識や民衆の偏見の固定化、後者では幕末・明治期のストイックな精神は天保の飢饉を乗り越えたところから生まれたのだ、など。

飢饉と文化


さっき書いた後から「飢饉生きざま考」の章も読んで、これで「ルネサンス周航」を読み終えた。1979年初版(実際の論文の執筆は1970年代全般)だからちょっと古いところもあるのだろう。こんなこと言い切っていいのかとか、回りくどい言い方だなと思ったところもあったけど、視点はなかなか鋭い。

 本質的に、われわれは流浪できない民なのだ。・・・(中略)・・・飢饉であれなかれ、それは日本人の生きざまに、つまりは、日本人の文化に、ほかならないのだから。 
(p329)


これは、後から述べられる米作の回復力の強さがかなり影響しているのだろうけど、日本では飢饉等で故郷を出てもそれが済めば元の故郷に戻る場合が多い、逆に言えば近世では移民・流浪民として他の土地で根付くという例が少ないのだという。このことの正否が今どうなっているかはともかく、では明治期以降の海外移民はどういう精神で向かったのか、という新たな関心も湧く。

 「主」にかしずく「主食」文化の悲喜劇はつづいている。それは、豊かさのなかの貧困とでもいえようか。もちろん、ことは農業だけの問題ではない。人の生きかたと、社会のありかたすべてについて近代の日本文化は、ほんとうは、いまだ、あたらしい精神的飢饉のなかにあるのだ。 
(p347)


樺山氏によると、近世に天明・天保の飢饉(享保の飢饉は主に西日本でイナゴの異常発生によるものだからちょっと性質が異なる)という特徴的な事件が起こったのは、この時代に東北などでも米の栽培が根付き、「米文化」が成立していた為だという。天明の飢饉でそこから反省し雑穀など多角的に生産工夫した結果、天保では不作の時間的規模は天明より長かったものの、天明より被害は少なく済んだという。
明治期以降農業生産性と輸入により大規模な飢饉はなくなったが、では先のp347の「農業以外の問題」にはどんなものがあるか、考えてみよう。

でも、なぜ、この本のほぼ半分にわたるこの近世日本の論考が「ルネサンス」と名付けられた本の中に収まっているのだろう。確かにルネサンスを樺山氏の言う通り「どこのどの時代でも起こる動きのこと」と解すれば問題ないのだろうけど。「生と死」の文化生成期としてか? にしても・・・
(2014 12/28)

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