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「シャドウ・ラインズ 語られなかったインド」 アミタヴ・ゴーシュ

井坂理穂 訳  而立書房

読みかけの棚から
読みかけポイント:解説のみ


「文字の都市 世界の文学・文化の現在10講」(東京大学出版会)から

第6章「古の国で」はエジプトに人類学調査に来たインド人という現代の視点と、チュニジア出身のユダヤ人とインド出身の奴隷の物語である中世の視点から、インドと中東との往来を紐解く。小説なのか人類学研究なのか判然としない愉しみもある。
(2016 03/22)

この論考の中で一番気になるのは第6章のアミタヴ・ゴーシュ。「古の国で」はまだこの時点では訳されていないみたいだから、「シャドウ・ラインズー語られなかったインド」(伊坂理恵訳 而立書房)と、「カルカッタ染色体」(伊藤真訳 DHC)でも見てみようか。
(2016 03/27)

ゴーシュ作品追加
昨日書いたゴーシュの作品の他、「ガラスの宮殿」というのも訳されている。それも「文字の都市」に書いてた小沢氏の訳で。
取り上げられている場所を概観するにベンガルの出身みたい。「シャドウ・ラインズ」は印パ分離戦争が舞台、「カルカッタ染色体」はマラリアを巡る話、「ガラスの宮殿」はビルマ最後の王朝陥落の話。ベンガルとビルマ(それもヤンゴンではなくて内陸部)の共通性は前にちらっとだけ見た「ビルマハイウェイ」という本にも書いてあった。
(2016 03/28)

「シャドウ・ラインズ」について解説から

 家が分割されたのち、祖母は妹とともに、伯父の家ではすべてが「さかさま」であるとの想像を膨らませる。隣りあわせであるにもかかわらず、壁の向こうの世界は彼女たちには完全に閉ざされているために、想像の「さかさまの家」は次第に現実味をおびていく。
(p406)


「シャドウ・ラインズ」国境が引かれたおかげで、線のこちらと向こうで同じものが反転して再生産される。想像の「さかさまの家」だけならともかく、暴動もまた。
しかし、のちに1964年のベンガルでの暴動(主人公そしてゴーシュ自身の幼少の頃の出来事)を図書館で調べてみてもそのことを書いた本が存在しないことに気付く。2年前の中印戦争のことならたくさん書かれているのに・・・
こうした疑問から「書かれなかった歴史」「サバルタン問題」に気付いた著者はそうした問いかけを多く行っていく。上記「古の国で」のエジプトでの村落研究、12世紀のインド人奴隷の研究もその一環。

ただゴーシュ自身は「ポスト植民地文学」というくくりに強い反発を示しているという。ポスト植民地文学批評(ホーミ・バーバなど)によって英語で書くインド人作家が評価されたのに対しては一定の評価をしながら、ポスト植民地文学批評全体に対しては「表象についての表象」として退けている。
またディペシュ・チャクラバルティ(「ヨーロッパを地方化する」)ともメールで議論して共感と一定の距離をおいている、という。この辺は作家と批評家の差異なのか。
あと、ラシュディらとともに「英連邦文学」というくくり方にも反発している。この辺、も少しじっくり見てみたいところであるが。

さて、「シャドウ・ラインズ」執筆のきっかけは1984年デリーでのガンディー首相暗殺に関するシク教徒への暴動にまきこまれたこと。ここでバスやデモ行進での暴徒に対する一般市民の冷静な対応に感動しながらも、印パ分離時や1964年のような暴動が繰り返すことはない、と信じていたゴーシュ始め周りの人を驚かせた。

 読者はさらにこの言葉(境界線)に、われわれの認識に存在するその他のさまざまな境界線をあわせて読み込むことも可能だろう。主人公は、想像力によって異なる時間や空間の間を移動し、自分の記憶ばかりでなく他人の語りを通して世界を経験していく。彼のそうした経験は、「われわれ」と「他人」とを排他的に分断するあらゆる論理に対抗する足がかりになっているように思われる。
(p423)


(2016 04/24)

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