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KOTONOHA
幼いころからすぐ近くにはラジオがあった。
当時、「こどもなんでも相談室」なんてのがあった。
その内容は、疑問に思う事を子供たちに募り、採用になれば、放送時間内に電話がある。それに対してその道に詳しい大人が疑問を解決してくれる。そのやり取りがラジオから流れる。そんな番組。
「なんでなん?」オタクのわたしはよく架けて何度か採用になった。らしい。
今、思えば、幼気な疑問の答えに困った周囲の大人の苦肉の策。結局は、体よくあしらわれたのかもしれない。
何度かあったであろう、そのやり取りの中で、わたしが記憶に残っているのは、ひとつ。
「なぜ国によって話す「ことば」がちがうのか?」ってこと。
当時小学校に入ったばかりのころ。学校で習った、”あ”から始まり”ん”で終わる単語=「ことば」は万国共通。人としての容姿形状をもつ者は、その言葉を話す=理解する、と信じていた。なので、お互いの話す言葉が理解できないなんて、ない!と思っていた、みたい。
笑うし、泣くし、怒るし。寝るし、食べるし、出すし。
することは確かに同じ。それに伴う感情も然り。だよね、確かに。
で、
その道のスペシャリストの答えは…。
記憶にないの…。
多分納得できずにいたんだろうね。
そうだね、
なにかが邪魔していたのかな?
でも、
本当はあるのかもしれないね。
万国共通のKOTONOHA。
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