金属音が悲鳴に聞こえる

はじめに。
暗い内容なので、文章を読んで影響を受けやすい方はこのまま読まずに閉じていただくか、読んでる途中で少しでも不安を感じたら読むのを止めてください。
この文章はフィクションです。



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夕方、車で実家から自宅へ向かっていた。
特に急いでもいなかったので高速を使わなかった。土曜日のこの時間なら二時間半で着くだろうか。そんなことを思って、車を走らせた。

後部座席はシートを倒した上で、夏タイヤが四本積んである。まだ冬なので付け替えるわけではない。この今の車が今月末で車検が切れる。車検を通すか、買い替えるかもはっきり決まっていないので、とりあえず持ってきた。売りに出す場合、タイヤが揃っていたほうがいいだろうという、ただそれだけの理由。

いまの車は四年乗った。白のかわいい軽自動車だ。デザインに惹かれて買ったが、状態はあまり良くなかった。前のオーナーが雪国で乗っていて、整備や洗車をあまりしない人だったのか、二年前に車検に出した時、下回りが錆びていると言われた。今回はなんとかなるが、次に車検を通すなら車を買った価格と同じくらいの金額がかかるとのこと。なかなかショックだった。

それからもう二年経った。どうするか決められずに、今に至る。
気分が重い。
なにも車のことだけではない。
ここ最近、”三十数年生きてきたのになにも成せなかった”という気持ちになっていて、憂鬱だ。
実家ではそれなりに楽しくやっていたが、北へ向かう帰り道は、寒さと共に他の何かが心に入り込む。

道中タバコの数が増えた。気分は晴れない。
流している音楽は前向きすぎて今は合わない。
停車中に音楽を止めた。
雪が降ってきた。


「このままどこか遠くに行ってしまいたい」


一度そう過ぎったら、考えは止まらなかった。
と言っても、その勢いで知らない土地に向かうほど人生はドラマじゃない。
どこか、というのは場所の話ではなく、精神的な話だ。
月末までの予定を思い出す。最後の予定からまだ数日、車の車検が切れるまで時間がある。

私は、これからの、仮定の未来について考える。
準備するものと片付けるもの、やることがはっきりと浮かぶ。
少なくともここ最近の人生より、やることの意味がはっきりとしていた。
流れた水をそのままにして、住んでいる街へ戻った。

先ほど考えた準備するもののうちのひとつを購入して帰宅。数日空けていた家は冷え切っていた。


私はこれから、自分が想像する限りでいちばん遠い場所に行くための準備をする。車がある内に行かなければならない。
不思議と心は穏やかだ。
目の前のことを淡々とこなすだけ。
行動すれば結果がついてくる。
目標がはっきりとしているから、これから先は時間との勝負だ。


夜の薬を飲むお湯を沸かすため立ち上がり、ヤカンに水を入れてコンロに置いた。
ヤカンがコンロと擦れて鳴った金属音が、悲鳴に聞こえた。

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