失くしたこと


2月に買ったお気に入りの指輪を失くした
恋人とお揃いのものだった
いつも大事にしていたけど、彼とビジネスホテルに泊まった夜、部屋で外して、朝起きたらそれは無くなっていた

その夜はふたりで飲みに行くのをお互い楽しみにしていたのだけど、私が話題選びを間違えてしまい、ひとりで傷ついて、感情的になってしまった
居酒屋のカウンターで泣くのはみっともないことだとわかっているのに、止まらない
彼は何も間違ったことは言っていない
その話題を出すには、私はまだ未熟だったし受容が出来ていなかった
だから店を後にした後、ひとりで頭を冷やす時間が必要だった

雨の中歩く
ビニール傘は途中骨が二本折れて、肩が濡れた
歩きながら考える
脅しに聞こえたのなら申し訳ない
簡単に言った訳じゃない
本当に思わなければ言わない
私はこのままだと年末を迎えられないかもしれない
それは当然のことのように感じる
迷惑をかけないようにすれば大丈夫 大丈夫
まずは準備をする

辿り着いた駅の待合室でぼんやりしていたら、もう閉まる時間になって、フラフラと表に出た タクシーに乗り、コンビニに寄りウイスキー200mlとレモンサワーを買ってホテルへ戻った ウイスキーをガブガブ飲む 視界がふわふわしてくる 心は重く沈んだまま 不思議とまったく酔わないのに体にはそれ相応にアルコールが回り、指輪を外してベッドに横たわったところで記憶は途切れている
その後彼が帰ってきて私の奇行を目撃したことは後になって知るのだけど割愛する


次の日はふたりで海を見に行った
昨日の雨とは一転して青空の下の海は爽やかだった
去年の夏に来た浜辺まで来て、ふたりで歩いた
そこで撮ってもらった写真を見ると、去年とは違って、なんだか、知らない人のように見えた 見た目は確かに違ってるのはそうなんだけど、少し解離しているのかもしれない
というか、私はこの人のことを生きていていい人だと思えない 自分の傷には人一倍敏感で他人のことを考えない最低最悪の人間 生きていていい理由の方が見つからない だから私は昨日考えたことが正しかったんだと思った

だから指輪も失くしてしまったんだと思う
あの指輪をつける資格を失ったのだから、見つからないのも当然だと納得がいってしまう
論点のすり替え? 認知の歪み?
そうかもしれないことは自覚している
だけど私がそう信じてしまえば、それは本当になることも知ってる

指輪を失くして悲しい
指輪をつけて嬉しそうだった私はもう居なくなってしまった気がするし、あとは終わることだけがはっきりしていて、あんなに楽しかった日々が、遠いことのように感じる もう全て遅いのかもしれない あの指輪さえ見つかれば戻れるかもしれないのに、カバンをいくら探しても見つからない 失くしてしまった 失くしてしまった もうない



だからもうおしまい

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