世界はパンであふれている。
タイトル別に意味ないです。
年が明けた。毎年この時期はあまり好きでない。年末までの雰囲気は好きなんだけどね。
昨年末に活動再開を発表して、思いがけずたくさんの反応をもらえた。ありがとう。
発表の様子は久保君とラインでやり取りをしながら見ていたので「今更だけど5年は長いよねえ」「手汗やばい」なんて話をしながら皆の反応を見ていた。楽しかったな。
とりあえずもう引っ込みつかないのでやるしかないね。よろしくね。
年末は結局ギリギリまで1発目の曲のミックス、アレンジをしていたり、MVの打ち合わせをディレクターの平出君としていた。
これを書いている今も今作から一緒に作っているアレンジャーの和音君と次の次の曲についてあーでもないこーでもないと明け方まで話しつつ曲を作っている。
もともとは1人で全部やっちゃおうと思っていたのだけど、どうにも自分の想像を超えないので、つまらなくなって止めてしまう。ということをここ数年は繰り返していた。自分で作ってるから想像超えないのはまあまあ当たり前なんだけど。
かと言って、以前のような作り方に戻るのも変化が無くて嫌だなあと思っていたところで和音君と出会い、一緒にやろうぜとなってから半年くらいたっている。
やっぱり人とモノを作るのは楽しい。さらに言えばできる限り少人数が望ましい。仕事もモノづくりもまとまらない意見交換で時間が過ぎるよりは、手を動かしてトライ&エラーやっている方が性に合っているなとつくづく思う。
ドナイパリスを作ったのもそういうきっかけがあったからってのもある。
その結果の失敗も成功も自分たちの物でありたい。
さて、5年お休みの間何してたの。って話をきっと聞かれるのだろうと思うのでつらつら書いてみたい。
まず1年目。
前回も書いたけど、旧川本舗を辞めようと思ったのは、僕自身が心身のバランスを崩したからだと書いた。じゃあなんでそうなったのよ。となるんだけど、それにはまあ言えることといえないことがある。
言えることの話をすると、自分の采配ミスによるストレス増加、ということになるだろうか。
古川本舗はもともと僕自身が何の気なしにボーカロイドを触り始めて、みんなが●●P(プロデューサーの頭文字)と名乗っていたので、それに倣いつつ逆らいつつ(パーキングのPって言っていた。今更だけどなんだそりゃ。)
古川Pと名乗った。だんだんなんかPてダセーなと思い始めたので名義を変更した。古川本舗がダサくないかといわれると普通にダサいと思うがまあそこは言わないで。
で、最初のEP出したあたりでacaneちゃんと出会って、なんとなく一緒にやり始めた感じだった。その時もユニットというか、作家とアレンジャーとのかかわり、みたいな感じだったように思う。
で、DMEからアルバムを出し、スペシャから出ししていくうちに、ライブをやるやらないという話が出てきた。
誤解を恐れずに言うと正直当時も今でも僕はあまりライブが好きではない。
音楽家としては楽しいんだけど、練習キライの人見知りとしては大分カロリーの高いイベントだ。
じゃなんでやってたのよとなりそうなところなんですけど、人見知りの寂しがりやってのはそういう生き物なのよ。やりたいけどやりたくない。とか平気で言うんですあいつら。
これからももしかしたらやる時があるかもしれないから予防線を張っておこう。
ライブをやるならじゃあバンド編成考えないとな、となり、レコーディングや編成もそんな感じになっていった。
で、今思えばこれが大間違いだったわけで。
もともとバンドじゃなかった「古川本舗を疑似的なバンドのようなもの」に変えてしまった結果、やってることとやりたいこととやってきたことがチグハグになっていった。で、自爆した。そんな感じ。
作ってきたアルバムは全く否定しないし素晴らしいものだと思っているけど、Hailより先は何も想像も創造もできなかった。
Hailもギリあぶないバランスだったなと思う。問うて入ってなかったら駄作になってたかもなあ。各曲がどう、とかじゃなくて、アルバムとしての組み立てが成立してるかどうか、の話ね。
1年目の話いつはじまるの?って思いました?私もです。
だもんで、新しく始めるにしても、何していいのかわからなかったのが1年目。とりあえず自分で歌ってみるかと思ったりもした。周りの人にもやたら言われたし。
なんだけど、やっぱあんまり好きじゃないんだよね。自分の声。
なので積極的に使いたいとは思わない。好きだと言うてくれる人たちには悪いけど。
一時は「自分の歌詞なんだから自分の声で歌うべき」みたいなことを飲みの席でこんこんと説かれ。そうだねえという返事を返したこともあるんだけど、
すんません、正直クソ喰らえっス。今やりたいことやります。
ああ、また脱線した。
なので一年目はとりあえず1曲を自分の歌で録音してたりした。
が。案の定次が作れない。できてもたいして良くない。っていうかこれなら前とあんま変わんないからじゃあ辞める必要なかったんじゃねのルートをたどる羽目に。
とはいえその時のテイクも曲も結構良くて、アレ綺麗に取り直せば行けるかも、という考えもあって、今回も当初はそれを1発目に出す、みたいな話だった。
が。
歌詞の心情があまりにも当時とかけ離れすぎて使えなくなってしまったので没にしました。ザンネンネ。
その後再度作り直すことになるんだけどまあ別の話です。
脱線しまくってますがとりあえず1年目は自分の声でなんとかしようとしてごにょごにょしてたけど全没。お疲れ!dismiss!という1年目でした。って話。
2016年はたしかなんもしてないです。仕事ばっかしてました。
長くなったので続きはまた今度。では。