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古パン本仕込

今日もタイトル意味ないです。よろしくお願いします。
ここ5年の話をしております。が、ぶっちゃけ別に楽しい話もないので今回でとっとと終わらせます。

これからの本舗の話を早くし(ろ。)よう。


今回生き死にだのの暗い話しかないです。苦手な方はご注意を。で、2016年はなんもやってなかったよの続き。

何もしていなかったというと語弊があるな。してたよしてた。
1曲だけ歌入り作った。


2017年はインストを作ってた。
その当時は歌が入ってる曲を聴くのが嫌でi am robot and proudとかsquarepusherを聞いていた。で、案の定やりたくなったので作ってみたけどあんまピンと来なかったので捨てました。終わり!

その年は仕事ばっかりしていた。忙しかったような気がする。
当時は色々トラック作ってとか曲作ってとかMV作ってとかのお誘いをいただいていたのだけど、作家業にどうしても食指が動かずお断りしていた。MVの話はクソ忙しい時だったので残念ながらお断りした。今更だけどすいません。

とかなんとか言ってるけど、とにかく創作というかモノつくりが嫌になってたんだと思う。

なんというか、正直創作に触れない生活は楽だった。
楽すぎて戻るのが嫌になってたのも実際ある。誰も恨まなくていいし、誰に怒ることもないし。
穏やかに過ごせるし。

ただ一点どうしても引っかかってたのが、ブログだったかライブだったかですぐ戻ってくるよと口にしたことだった。

自慢じゃないが今までも数々なんかする、みたいなことを言ってやらなかった。
それにはいろいろな事情とかもあったり無かったりするのだけど、まあとにかく有言不実行。
そんな僕でも、さすがに最後にお客さんとした約束は守りたいなと思っていた。

ラストライブになった12月のライブの時、ベイクドパンケイクスの時に情けなくも落涙してしまった。
落涙っていうかもう号泣。
あの時は多分ラストに際して感極まって、という風に見えていたんだろうなと思うんだけど、実際は全く違った。

あの時あの曲中に限り僕はなぜか、
「どうしてこのステージにいるのは自分がしてきたバンドではないのだろう。なんで俺が上手じゃなくてセンターにいるんだろう」と考え、情けなくなって号泣してしまった。

すぐ我に返ったけど、あの時のアレはそういうことです。気分を害した方がいたらごめんなさい。


古川本舗をやる以前。23の頃に東京に出てきたときはバンドをやっていた。
結果論バンドが存続していたら今の自分はないし、当時のメンバーもそれぞれに元気にしているらしいので、
無くなってよかったとは思うのだけど、なぜだかベイクドをやっているときに、いったい自分は何をやっているんだという気持ちになった。
そういうと当時の本舗メンツを否定しているように聞こえるかもしれないけど、そういうことではないからね。

で、我に返った後、少なくとも自分の周りや手元にあるものは大事にしないとなと考えて、すぐ戻ってくるというようなことを口にした。


だからとにかく、一回はやろうやるぞと考えてはいたのだけど、どうせやるならガッツリ欲が出てきて、30代後半のイヤイヤ期という醜態を晒すことになったわけです。どっとはらい。

後半に曲を作ってキャスやってみたりとかちょこっとしたけど、
自分の中でテンションが上がることもなくお蔵入り。

2018年。これがまた輪をかけて何もしなかった。クソ忙しかったっていうのもあるけど、私生活がボロボロで、何もやる気がしなかった。


そして2019年。この時は少しやる気になって動き始めていた。先日のnoteに出てきた友人と話したのもこの時期。いま作っている曲の原型はあったのだけど、後述する理由でとにかく身動きがとれなかった。

後半に岩井監督から連絡をもらって、森七菜さんのMV監督をやったりもした。岩井さんからMV作ってと連絡が来たときは!?!?!?!となっていたけど、HOMEの恩返しができて良かった。

余談だけど森七菜さんのMVのカラコレしてくれた岩井さんのスタッフの方のがHOMEの時にカラコレしてくれていた方だったというのを
納品時にメールで教えてもらって嬉しかったのを覚えている。

で、問題の2020年。

1月の初めに叔母が亡くなった。

叔母夫婦には子供がおらず、ずっとかわいがってもらっていた。
僕自身も叔母のことが大好きだったので、毎年母の日には母親と同じ大きさの花を贈ったりもしていた。
なかなかショックだったけど、歳も歳だし、
もうだいぶ前から病気の総合商社みたいな人だったから、いつかは来るだろうと覚悟していた。


で、その後。以下全然楽しくない話です。






6日に愛猫ブラウンが亡くなった。13歳だった。


実のところ1年前から腎臓の病気と糖尿病を併発してしまい、毎日2回の点滴とインスリン注射をしていた。

病気がわかった時点でかかりつけの医者から、腎臓が片方機能していない、残りももう1年しか持たない。

メインクーン種は心臓が弱い種類だから手術も期待できないし、手術でも治らないと言われ、

仕事もセーブして少しでも一緒にいる時間を増やそうと看病に当たった。

とにかく必死で何とかなる方法を探して東大大学院の先生に連絡を取ってみたりもしたけど、

機能しなくなった腎臓は結局元に戻ることはなかった。


2019はとにかく地獄だった。毎日仕事の打ち合わせや飯を買いにでて家に戻るたびに動かくなっているブラウンを想像して玄関を開け、
不思議そうな顔をしているブラウンを見て泣き崩れる毎日。

そこへきて4月には友達のバンドマンでありロックスターも海外ツアーに行ってしまった。
海外ツアーに行く友達はこれが初めてじゃなかったから、ショックも大きかったがなんだか空っぽなままニュースを見ていた。
奴の話は僕が触れていいことじゃない気がするので何も言わないことにする。カッコ良いバンドマンだった。後テレキャス借りパクしてるので数十年後に怒られると思う。リビングに飾ってるので許して。



ブラウンが逝ってしまった。
不思議なもので、なんとなく、あ、今日だな。というのがわかった。
律儀なことにちょうど1年生きてくれた。


とにかく手のかからない子だった。穏やかな性格で、体はデカいのにビビり。のくせに人懐っこくて。快食快眠快便、変な鳴き声。家じゅう毛だらけ。
療養中もそんなに苦しそうにしていなかったし、最後は自宅で一緒に寝ているときに腕枕で逝ってくれた。それだけが救いだった。

で、プライベートもズタボロ、叔母もブラウンも逝ってしまった。




2020年の初めのことはあまり覚えていない。
いろんなボーカリストと話をしたり、曲を作ったりしていたのは覚えているけど、それ以外はずっとぼんやりしていた。


で、なんやかんやあって(新作にかかわる話なのであんまり言えない)
DONAI paris設立、となりました。


大体この五年こんな感じ。この五年で一番いい曲だなーと思ったのはgrace vanderwaalのmoonlightでっす。

日本人だとコレです。






次からは最近考えてることとか書こう。昔の話は楽しくない!
では。