どこか知らない隣町で起きているようなリアリティ


 最近は読む量が劇的に減ったけれど、昔はよく小説を読んでいた。ある程度の期間は自分でも買いていた。
 それで、好きだったお話の雰囲気や、自分が書く時の理想だったものがあって、それは作品のリアリティさだった。ただし、ここでいうリアリティっていうのは「目の前で起きているような」リアリティではない。「どこか知らない隣町で起きているような」リアリティだ。
 例えば、遠くの外国の村で起きていることも、僕からしたら知らない街のことだけれど、それって日本の中でも、なんなら同じ県の中でも、もしかしたら道一本隔てた隣の町内でも、いつも僕が生活しているのとは違う、知らない生活がそこにある。旅行に行くと観光地を歩くのもいいけれど、普通にそこに住んでる人たちの街を歩くのが好きなのだ。それで、どこにでも生きてる人たちがいるんだなって実感できるのが、たまらなく好きだ。
 そんなくらいのリアリティ感がお話の描写から伝わってくる作品は、例え魔法や超能力を使う非現実的な話でも、もしかしたら僕の知らないどこかの街では本当に起きてるんじゃないかって思わせる。そのリアリティ感が、とても好きだった。

 さて。
 小説をほとんど読まなくなって久しい。アニメも漫画も一時はあんまり見なかった。今はサブスクのおかげで少しアニメを見るようになったけど、今の僕がハマってるのはVTuberだ。
 今月末、推しの一人が引退する。僕が初めて好きになったVTuberだし、僕にとって人生初の推しだ。
 VTuberの引退は死と同義だと思っていた。だって、基本的に引退したVTuberは、二度と僕らの世界と交わることはない。それはVTuberという存在や契約の関係上難しいことだと思うのだけど、やっぱり難しい。一度引退したVTuberが再び現れることは、VTuber史上、ほぼ、ない。例外はあるけど。
 でも、違ったんやなって。推しの周りのみんなが、必死で推しの存在の痕跡を残すために尽力してくれて、そして、先に引退した子も今生きていることはちゃんと伝わってきて。
 ふと思った。僕がVTuberを好きになったのは、「どこか僕の知らない街に生きている」リアリティ感を、好きになったんじゃないかなって。
 推しは引退してもちゃんとどこかで生きているって理解できて、ようやく一つ飲み込めた気がする。

 推しよ、ありがとう。きっとこれからも頑張ってる推しのことを思って、俺も頑張ってくよ。

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