知られざる物語、福山SCCの過去から現在【後編】

前編はこちら↓↓↓

 前編では、福山SCCの前進である「福山にプロサッカークラブをつくろう会」立ち上げの経緯から、県リーグへの昇格までが語られた。後編ではいよいよ、大きな転換点となった岡本GMとの合流から現在までについて、激動の2019年が焦点となる。

【登場人物プロフィール】 

小林政嗣
 (一社)福山スポーツコミュニティクラブ 代表理事
木村圭介
 (一社)福山スポーツコミュニティクラブ 専務理事
 サッカートップチーム 初代ゼネラルマネージャー(GM)兼監督
岡本佳大
 (一社)福山スポーツコミュニティクラブ 副理事長
 サッカートップチームGM
樋口敦(※今回は不参加) 
 (一社)福山スポーツコミュニティクラブ 理事
 サッカートップチーム クラブリレーションズオフィサー(CRO) 

【 インタビュー・文:ジェイ(@RMJ_muga) 】 


■大転換の2019年

小林
 やはり最初は戦略も何もなくて、想いだけで走っていたなあと。そんな状況で、木村君から電話があったんですね。ここで岡本君が出てくる。

木村
 県リーグに向けての準備を進めていたんですけど、人手だったり、チーム力も含めて「このままだと続かないなあ…でもやるしかない」と思っていたときに現れたのが岡本さんです。2019年の1月、2019年度セレクションの直前でした。 

小林
 今振り返ると、すごくサッカーを冒涜していたんじゃないかと思うんですよ。「ごっこ遊び」だと言われてもおかしくない状態だった、頭打ちだったのは事実ですけど(岡本 GM と会うことについては)まあやきもきしましたよ。自問自答も何度もしました。でも加藤君(現監督)と木村君が言うんですよ。「ここで変われなかったら何も変われない」と。じゃあ会いましょうとなって、初めて会ったときのことは忘れないですね。
 そこで僕は彼らを試しました。「何のためにするんですか?」と。サッカーの話だけだったら首を縦には振ってなかったと思う。それ以外の言葉も聞けたので踏ん切りも出てくるんですけど、やっぱり初めましてでいきなり握手をできる信頼関係は難しい。でもこの9か月で急転直下、いろいろありましたね。

木村
 最初に加藤さんを通じて岡本さんと会った時に、お互いのビジョンを照らし合わせてみると考えは一緒でした。それなら上手くやっていけるんじゃないかということと、チーム編成の準備もされていた。正直僕としては、どこかでこういう方にサッカー部門を任せて、自分はまちづくり部門に集中したかったということもあった。なので会ってすぐに「これは賭けるしかないな」と。このまま行っても頭打ちだし(岡本さんに)任せて失敗してもどちらにしても自分の責任だろうと。それでほぼ毎日会ったり連絡を取り合って事務的なことなどを詰めていって、セレクションの夜に小林代表に合わせたんです。岡本GMは「初めは怖かった、絶対駄目だと思った」と言ってました(笑) 

小林
 そこはやはり本気度を見たかったので、敢えて怖い雰囲気は出しました。だけどそれから紆余曲折しながら、本気でぶつかってくる。それは認めるしかないなと。本気でぶつかってこなかったら「この人はいずれ逃げていくんじゃないか」となって託せないじゃないですか。「人生賭けてる」と仰るのが本当の度合いなのかどうか見ますし、じゃあ僕も人生賭けてるかというと、協力者がいないと出来るわけがないとも考えてる。まあ未だに彼(岡本 GM)が何者なのかわかってないんですけどね(笑) 

岡本GM(以下、岡本) 
 ニートです(笑)

木村
 どこかでチームを持ちたいという想いでリサーチをしていたわけですよね。それで福山が候補になって、2年目から監督をしてもらっていた加藤さんを通じて連絡してきた。

岡本
 そうですね。福山SCCのことは新聞記事で知っていて、その当時は広島市内でサッカー事業をやっていましたけど、炎上した時の記事は僕も見ています。僕の目標として、いずれはJリーグクラブの社長をやるというのがあった。そう決めたのは25歳の時なんですけど、30歳まではサッカーに限らずいろんな事業を頑張って自分を成長させて、30歳になったら事業を整理してサッカーに集中したいというキャリアプランがあったんです。まさに今がそういうタイミングで、30歳が近づいてきてここまでは予定どおり行っている。そろそろユースチームだったりトップチームが持ちたいなと動き始めたのが昨年の10月くらいです。そこからリサーチだったり、Jリーグクラブの運営というものを調べ始めました。本格的にスタートを切ったのが12月なんですけど、やはり一人ではできないので、Jリーグを経験している信用できる人が必要だということで、最初に電話をしたのが樋口さんでした。
 樋口さんと一緒にやろうとなって相談するなかで、どうも広島市内では難しそうだと。そこでエリアを広島県内に拡大して、候補に挙がったのが廿日市・呉・熊野・福山です。さらにリサーチをしていって、やはり人口規模も必要だし、競合がいない、経済の安定度合いなど様々な要素を加味して、これは福山だと。そして福山でそういう活動をしているチームが無いかなと調べたら福山SCCがあって、監督をされていたのが現役時代にお世話になっていた加藤さんだった。加藤さんに電話をしたら「一度会って話をしよう」ということになって、それからタイミングをはかって木村さんと会うセッティングをしてもらったのが1月です。

木村
 水曜日の夜でしたね。次の日曜日がセレクションだったんですけど、そのタイミングでいきなり現れて「一緒にやろう、一緒にやらないとしても福山でチームを作るつもりなんだ」と言われて。最初は「なんじゃこりゃ?」でしたよ(笑)
 本当に初めましてで、お互い何者かも知らなくてセレクションも直前という状況で「これだけのメンバーを揃えているので一緒にやろう」と。先ほど言ったようにビジョンは一致していて、2~3 日のうち一緒にやろうという話にはなるんですけど、そうするとこれまでに一緒にやってきた選手、県リーグに上げてくれたサッカー小僧たちを切らないといけない。運営をサポートしてくれたマネージャーだったりスタッフと相談をして、やはり初めは反発が出ました。選手とも当然揉めました。

■変わるべきか、変わらざるべきか

小林
 当然(反発は)出ますよね。ただどうしようかと相談された時は「いいんじゃないか」とも言ったんですよ。僕としても交代する時期かもしれない、刷新が必要な時期じゃないか、自分もクビになるつもりでいようと。
 ただやはり説明する責任はあるので、木村君やスタッフは本当に嫌な役回りだったと思いますけど、自分としてもアフターケア的なことはしてきたつもりです。真面目にやっていた子はやはり残念がっていましたけど、次を向かないといけないと。今年で 44 歳になるので年齢が半分くらいの子たちばかりでしたけど、人生論的な話をしたりしました。スタッフにも「本当に成し遂げたいことは何なんだ?」という話はしましたね。いつまでも部活の延長線上ではやっていけない、いつか来る選択が今来たんだと。もちろん選手だけでなくてスタッフにも引きずる人はいましたが、決断する側も苦しかったですよ。

木村
 本当にJリーグまで上がっていくのだったら、既存の選手をどうしても刷新しなければいけない時が来る。そう考えたときに、結果として早いほうがよかったと割り切るしかないし、彼らのために必ず上がっていかないといけない。そういう責任はあると思ってます。

小林
 「昔のほうが意見が言い合えて良かった」「変わりたくなかった」という話はどうしても出てくるんですけど、僕はそれは違うんじゃないかと。本当に成長するために、イエスマン同士ではなくて苦言が言えていたのかと。今後を見据えていくうえでは、過去を振り返るよりも先をちゃんと決めて、自分の全力を今日出して良いパフォーマンスが出来たらいいなと思うし、みんなにも分かって欲しい。言い訳はいつでもできるじゃないですか。

木村
 やっぱり変化をするとそれだけ反動が来ますから、夏場くらいまでは本当に胃が痛い日が続きました。

小林
 (岡本 GM について)でも、これだけやると決めたことをやる男も珍しいなと思ったのも事実ですね。

木村
 変態ですよ(笑)

小林
 変態は樋口君のほうが変態かな(笑)。彼は真面目ですよ。こう思ったら考えを曲げない、一直線ですね。樋口君のほうが変態。

木村
 まちづくりに必要なものは「若者、よそ者、馬鹿者」と言いますけど、彼らは全部備わってる。

岡本
 失うものは何もないです(笑) 
 やはり我々としても元からあるところに入っていくので、最初からスムーズに融合できたわけではなくて。僕はこういう性格なので代表にも木村さんにも生意気なことを言ってきましたけど、一緒に動いてくださったり、逆にアドバイスをいただいたり。代表は「俺が全部責任取るから好きなようにやれ」という寛大さを見せてくださるので、僕にしても樋口にしても集中して出来る。
 でもやっぱり、ここまで歴史を紡いでくれた選手やスタッフの気持ちは常に心に置いておかなければと思ってます。ただどうやって恩返しするかというと、やっぱり結果しかない。やりきらないといけないと思います。
 それにしても、こうやって過去を振り返るって久しぶりですよね。未来しか見てなかったので。 

木村
 過去を見る暇がないですからね。

小林
 大事な時間だと思いますよ。こうやって当時の想いを話していて、たぶん岡本君にしても当初描いてた人選や環境、構造とは違うと思うんですよね。

岡本
 違いますね。

小林
 僕らも始めた当初からどんどん変化していて、でもまあ1月の出会いから 10か月近く経つなかで、ひとつの形は落ち着いてきたなと思ってます。ここからまた新陳代謝しながら未来に向けて動いていくんだなと思いますね。フロント、運営する側として「ここまではやりたい」というフェーズはあって、次の方に任せるということも考えながら日々奮闘してるところですけど。自分としてもけっこうリスクは背負ってるので、生きている実感がありますね。誰かに頼まれて理事長をしてるのではなくて、自分で動いているというのが良いのかなと。
 チームとしては、11月18日の今後のビジョン発表会を迎えるにあたって最高の状況で岡本君に渡す。僕もなにか挨拶するらしいんですけど(笑)、岡本君のほうが解ってるんじゃないかな。今すぐ交代するわけじゃないですけど、チームやクラブ、この街のためには新陳代謝が大事で、大局的にはいつ までも僕が福山SCCの代表にすがっていくべきではないと思っています。役を降りて会社に戻れば、運送会社の社長として大成しているかもしれない。クラブとしても個人としても脱皮していくことが大事なことかなと思いますし、僕にとってはサッカーは手法ですけど、若い方や岡本君に「こういうところは真似したいな」と僕の姿勢や生きざまが少しでも参考になるのなら伝えていきたいし、少しでも経済効果だったりがあるのなら生きてる価値がある、証になるなと思ってます。

木村
 まちづくりというところから始めたものをGMにも理解してイメージしてもらっているので、もちろんサッカーはやるんだけど、福山に何を返せるか、我々のクラブが何が出来るかを考えていかないといけないし、これからもっと市民と繋がっていかないと応援されるクラブにはならない。11月18日が終わった後はそこを特に積極的にやっていきます。

小林
 クラブとして我々がどうしたいかということを岡本君が宣言して、僕としてはこれまでの経緯など、ここまでは御膳立てしてきましたというところをやんわり説明する役割かなと思っています。やはり岡本君が僕らのトップランナーですから、そこは崩してはいけない。僕らは土台や幹になるだけだと、そういう気持ちでやらないといけない。代表はやってますけど代表の気持ちは全然なくて、踏み台にしていってくれればと。そうでなければ次の人が続いてこないと思ってます。

木村
 妻に言われたんですけど、岡本GMと初めて会った直後の僕は異様にテンションが高かったみたいで。本当にJリーグにいけるかもしれないと思ったんですかね。僕が「Jクラブを作ればいいじゃん」とボソッと言ったことが発端になったわけで、それを後悔する時期もあったんですけど…どんな形でも最後まで関わって見届けないといけないという想いがあったので、凄くテンションが上がったんだと。岡本さんに「夢じゃないです。目標ですから」と言われて、本当に叶うかもなと。

小林
 本当にご縁なのかなとも思いますね。僕らとしたら岡本君がやってきたのはありがたかったけど、今は相互補完関係になってるのかなと。

■福山のために、もう夢じゃない

岡本
 僕らだけだったら絶対にできなかったですから。行政とも繋がりがない、政財界からも見向きもされなかったかもしれない。なので、ラグビーのワンチームじゃないですけど、今は福山SCCという組織全体のなかで、代表・専務理事・僕のそれぞれが役割を全うしている。目指してる方向性やビジョンは整理されていてるので、あとはそこに向かって着実に積み上げていくだけの話なのかなとも思ってます。
 僕は事業において「夢」という言葉は使ったことがなくて、夢のレベルだったらやってないですし、出来ると思ってるからやってるだけです。楽しみながらやってるので、苦しいとか辛いとかもまったくないので日々楽しい。自分の人生を生きてるなという感じはします。

木村
 「Jクラブを作る」となったときに、普通の理事長だったら絶対にノーと言ってるんですよ。僕が理事長でもノーと言ってますよ。それをなんだかんだやっていただいて、たぶん僕が言われている以上にいろんな人から怒られてるけどやめろとは言わない。

小林
 正直なところ、当時の先輩方で話してくれなくなった人もいますし、過去しか見ない人もたくさんいます。そもそも青年会議所の理論は「人をポジティブチェンジして意識を変えてより良い社会を作ろう」というもののはずだったのに、過去ばかりを振り返って駄目出しをしてモチベーションを下げるばかりで。何で夢を語って前を向かせないんだろう、自分の失敗を語るにしても何で前向きなことをアドバイスしてあげないんだろうと思ってました。
 だから、当時の福山JCまちづくり担当者がサッカークラブをつくりたいと言ってきた時に「何か吹き込まれたな」とは思ったんですけど、自分がやりたいことは「その人が本当にやりたいことを応援すること」だなと思ったので、やってみろと。
 福山祭企画実行委員長をやらせてもらったときも、自分がやりたいことを押し付けたことは無くて、こうやりたいと言われたことに対してのアドバイスだけ。そうやってポジティブチェンジしていかないと良くならないと思っていたので。僕のスタイルはやりたいと言ってきた人を「やり切ってな」と押し上げるだけです。だから、陰ではいろいろ言われたり上手くいくわけないと言われ続けましたけど、それは関係なかったですね。
 ただ先行きについて悩み始めた時に(岡本 GM との出会いという)光明が見えたのは幸運だったし、この幸運をつかむべきなんだろうと思いました。 JCを卒業した後すぐに親父が亡くなったんですよ…。本当にへこんで何もやる気が起きなくて、会社でも問題が発生して潰れるんじゃないかと思ってました。クラブの会合中に亡くなったので死に目にも会えなくて、親不孝だなあと。だけどみんなが頑張ってるから、こうやって頑張ってる人たちがいるから自分だけシュンとしているわけにはいかないなと、周りとの信頼で乗り越えて復活することができたんですね。

木村
 でも本当に、なかなかこういう話をしないですよね。Jリーグまで行ったときにまた、こういう過去の話をするかもしれないですけど。

小林
 僕もあんまりベタベタしない方なので。仲間内で飲みに行くというよりは、どちらかというと新しい方とお付き合いして新しい発想や考え方を得るほうが面白いと思うほうですから。しかしこうやって過去を思い出させてもらうと、また燃えるものがありますね。

木村
 戻りたくは無いですけどね(笑)。「無理だからやめとけ」とずっと言われてきましたし。

小林
 過去しか見ない人たちに否定されてきたから、僕らはそこから脱却するために何かを求めていたのかもしれないですね。リーマンショック以降、福山自体にも停滞感があった。福山は日本鋼管の街だったんですけど、それが川崎製鉄と合併して、JFEに生まれ変わることでまた盛り上がる。それが 2009年のリーマンショックでまた急激に落ち込んで、その後にいろんな施策を打つけどどれも定着せずに、産業が上手く行かないまま今に至っている。
 そこに「サッカーをやりたい」という意見が出てきたので、スポーツを産業にするのは良いことだろうと、プラス面だけを見てたというのはありましたね。ただ街を元気にすることはまだまだ出来てないです。確かに駅前開発や総合体育館の建設などスクラップ&ビルドは進んでいますけど、みんなの経済、所得や税収は上がっていない。

木村
 我々が動くことで一気に経済を変えるというのは無理ですけど、長い目で見ればスポーツ産業が良い影響を与えるかもしれない。ただ差しあたって心の部分、楽しみが出来る、応援するチームが出来るということはお金じゃ買えないものなので。そういう心の豊かさの部分は早い時期に市民に提供できるかもしれない。応援するチームが勝った負けたで一喜一憂する、お酒を飲みながら語る、良くも悪くもその気分を引きずって月曜日に出勤する。そういう喜怒哀楽、市民の生活のほんの一部に、我々のクラブのことを考えてくれて、嬉しかったり悲しかったり悔しかったりということが入ってくれば我々にとっても嬉しいことですし、近い将来達成できると思います。

小林
 プライスレスですね…。今年の話に戻ると、岡本君の登場は今となっては本当にありがたい出来事だし、岡本君や樋口君、木村君の能力を活かせているのだったら、僕は幸せです。それが上手く回って、サッカーチームという我々が言うところのトップランナーができて、福山にスポーツ産業が興るというのが僕がJC理事長の時に描いていた構図なので、それが具体化することが何よりの幸せですよ。そのためにあらゆることを惜しまずに、自分がやれること以上のことをしたい。自分がやれることといえばロビィ活動ですから。

木村
 岡本GMに会ってから「これでサッカー部門の方は楽になるな」と思ってたら、あれをやってくれこれをやってくれと逆に大変になって。選手の登録でも、海外からの選手の手続きなんてまったく知らないですから。時間の無いなかで県協会に電話をしまくったり、逆に忙しくなりましたね(笑)
 でも夢というか、我々の目指したところに確実に一歩ずつ近づいている。もう夢じゃないですね、本当に捉えられるところまで来てる。

小林
 結果論ではあるんですけど、4年前にやれていればよかったなということを今やっているんだとフラッシュバックしますね。サッカー協会やスポーツ協会、市長を始め行政の方とかいろんな方にお会いする。ロビィ活動というか、端的に言って営業活動ですよね。クラブはこういうことをします、街のブランディングはこうしましょう、こういう効果が期待できますよと。そこで行政の方が乗ってきて信用担保を得たら、次は商工会議所だとか経済界に打って出ようとなる。そこでまた信用を取れたら金融業界がお金を貸してくれるかもしれない。そうやって戦略的に繋げていくんだなというのが、より勉強になりましたね。こういったスキルはこの数か月で、誰よりも上手くなったかもしれません。最初からそういうことが出来る人間だったわけじゃないので、成長できたのはみなさんのおかげですね…。
 初期からずっと代表理事を務めさせてもらってますけど、正直な話、岡本君と合流する際に「新しい考え方でやるのだったら、自分はお払い箱になってもいい」とはっきり言ったことがあるんです。そうしないと新陳代謝が生まれないし、気付かないことが出てくる。もし自分に出来ることがあるんだったら使って欲しい、くらいの気持ちです。そうじゃないと年齢も違うし環境も違うし、想いのズレがあってもいけない。フラットにならないので、それはクビにしてくれても構わないと言いました。いずれにしても、年を取って考えの新しい人が来て、役割を終えたらいつかは離れることになる。ただ今は「自分はもっともっと成長できるな」と思っています(笑)


あとがき

 今回の収録は平日の夜間に行われたが、インタビュー終了後すぐにGMは選手との面談、代表は地元有力者との会合と多忙を極めていた。しかしながら彼らに疲労の色は感じられず、過去を振り返ってみたことにより、未来への想いが一層強まったようにも見えた。果たして18日、一体どんな『未来』が語られるのだろうか。

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