知られざる物語、福山SCCの過去から現在【前編】

 来たる11月18日(月)に『未来』を示す新体制発表会を行う福山SCC(福山スポーツコミュニティクラブ)。それに先駆けて、これまで全力疾走してきたが故に振り返ることの無かった『過去』について、クラブを創成期から知る二人が余すことなく語ってくれた。
 福山SCCの軌跡、知られざる物語を前後編にてお届けする。


【登場人物プロフィール】 

小林政嗣
 (一社)福山スポーツコミュニティクラブ 代表理事
木村圭介
 (一社)福山スポーツコミュニティクラブ 専務理事
 サッカートップチーム 初代ゼネラルマネージャー(GM)兼監督
岡本佳大
 (一社)福山スポーツコミュニティクラブ 副理事長
 サッカートップチーム GM
樋口敦(※今回は不参加) 
 (一社)福山スポーツコミュニティクラブ 理事
 サッカートップチーム クラブリレーションズオフィサー(CRO) 

【 インタビュー・文:ジェイ(@RMJ_muga) 】 

■はじまりの2014年

小林代表理事(以下、小林) 
 発端は、木村くんも僕も福山青年会議所(福山 JC)に所属していて、2014 年の7月に私が次の理事長に立候補 しました。そして8月に承認されて、まちづくり、人づくり、組織づくりにおいて、2015年はこういうことをやっていきますよという所信を発表しないといけない。木村くんもその当時、次の次くらいの理事長の候補だったので、副理事長の役をお願いして了承してもらった。
 じゃあ「まちづくり」についてはどうしようかと思ったときに、それまでの理事長さんは観光とか地域のことやお祭りだったりいろいろなことをやってきてたんですが、そのときにたまたま...。

木村専務理事(以下、木村) 
 当時のまちづくりの担当責任者が「何をしましょう?」と僕に相談にきたときに、半分本気、半分冗談で「プロサッカークラブをつくればまちが盛り上がる!」と言ったんですね。僕は以前からスポーツとまちづくりに関するいろいろな本を読んだり、Jリーグの百年構想について勉強していて、これは本当にまちづくりになるんじゃないかと密かに思ってたんですけど、ひとりでは何もできない。そういう時期に相談があったもので「プロサッカークラブをつくれば、それはイコールまちづくりだ」と。それで担当者も本気になって、ぜひやりたいとなった。

小林
 その当時のまちづくり担当者が「理事長、プロサッカークラブを作りましよう!」と熱弁してくるんですよ。ただ私としては、基本的に手法論は好きじゃないんです。「サッカー好き」というので来られても、持続可能性が無いぞと言っちゃう人間ですから。なので「お前、最後まで面倒見るんだな?」と聞くと、その時はうんと言ったんですよね。
 じゃあわかったということで、2014年の8〜9月くらいから準備を始めました。2015年1月からは私が理事長で、スポーツのまちづくり、手法としてはプロサッカークラブをつくると。そういうことで始まったんですね。

木村
 ちょうど2014年10月に、新潟JCのOBであるアルビレックス新潟の池田さんが福山JCの事業で来られて。お話を聞くと「4年あればできるぞ」と言われるものだからみんなスイッチが入っちゃった。そこから新潟や松本、それから鳥取の視察に行きました。

小林
 その3クラブとも共通していたのが、JC(青年会議所)が関わって大きくしてきたということでした。福山で既存の社会人最強チームを中心にJリーグを目指せるかもという流れになったのですが、最終的には、そのチームとは話がまとまらず一緒にとはならなかった。

木村
 そして2015年の3月に、福山青年会議所の当年度の事業を説明する場で...これは我々の最初にして最大のミスなんですが、サッカー協会や行政と話をせずにいきなりメディアに発表してしまった。次の日の朝刊やニュースで...。

小林
 いきなり「福山にプロサッカークラブをつくるってよ」というのが出てしまったんですね。 

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■先走った想いと、トライ&エラーの2015・16年

小林
 根回しなんかが何もできてなくて、大失敗ですよ。サッカー協会も、スポーツ関係者も、福山市も当然何も知らない。

木村
 行政にも協会にも問い合わせの電話がかかってくるんですけど、当然「知りません」となる。サッカー協会からも「どういうことなんだ?聞いてないぞ」と。
 それでも、もうやると言ってしまったので引き下がれない。すると過去に色々な J クラブに関わっていた方がち ょうどそのニュースを見ていて、連絡をくれて力になってくれると。いろいろ相談させていただいて、なかでも 僕は谷塚哲さんの本を読んでいたので、最終的には株式会社と一般社団法人を効率よく運営する「CISC(営利×非営利)」を目指したいと思っていたんです。すると著者の谷塚さんとパイプがあるということで会わせていただけることになった。それで東京に行って相談して、こういった資料を作りました。ク ラブのあり方、目標について「絵を描く」手助け、アドバイスをしていただきました。 

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木村
 こういう形でやろう、というのが4月頃にようやく固まって、2016年4月の一般社団法人設立までの 1 年間、 準備をすすめて行きました。JC としては「福山にプロサッカークラブをつくろう会」というのを立ち上げて、 共感してくださる市民の方々と一緒になって署名活動、認知活動を行いました。その間に、 先程の資料を持って小林代表理事と僕の二人でサッカー界、行政、経済界に挨拶に行きまくりました。

小林
 もう謝罪行脚みたいなものでしたね。「こういうことをしたかったんですけど、段取りが悪くてすみません」と。

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木村
 プロサッカークラブばかりが目に入っちゃうんですけど、僕たちはあくまでまちづくりの一環として、その手法のなかでスポーツが良いんじゃないかと。スポーツならJリーグ、プロサッカークラブを作ることが良いんじゃないかということを説明して周るんですけどなかなか伝わらなくて。みなさん「プロサッカークラ ブ」ということが頭にインプットされてしまって。

小林
 これは本当に伝わらなくて、何故かというと(資料を指して)こんなきれいなものを書いて、頭では分かろうとするけど僕ら自身も理解ができてなくて、実行できない。だからずっとトライ&エラーなんです。今でもそうなんですが、木村くんや岡本くんがビジョンを色々描くんですけど、やっていくうちに「やっぱり違う」ということが出てくる。この資料もすごく良いことが書いてあるんだけど「どれだけできてるんだろう?」と。

木村
 良いことはすごく書いてあるんだけど、まだまだ実現できてないのが現実です。ただ、僕の描いた中期〜 長期ビジョンは奇跡的に同じペースで進んでいます(笑)

小林
 だから想いだけが先行して突っ走って、現実にエラーをいただいて立ち戻る。2015、16、17年とそれをずっとやってきましたね。そのうち僕らもJCを卒業して、僕は会社の社長として、木村くんは歯科医師として、もう一つの顔はスポーツクラブの代表理事と専務理事という間柄のなかですすめていく。最初のサッカートップチームのセレクションをしたのは2016年の12月だっけ?

木村
 そうですね。2016年4月には一般社団法人を立ち上げましたけど、プロサッカークラブを作ることが目的ではないということもあって最初はサッカーチームが無かった。JCと一緒にスポーツごみ拾いや3世代グラウンドゴルフをやったり、福山スポーツシンポジウムというのを開催して市長にも来ていただいたりしました。我々はプロサッカークラブを作ろうとは言ってるけど、あくまでスポーツによるまちづくりがメインなんだと。あえてサッカーを外した事業をどんどん打って、我々の活動をみなさんに理解していただこうというのが2016年でした。そして17年度からトップチームを立ち上げようという予定だったので、16年の12月に初めてセレクションを行いました。

■2017年、サッカートップチーム始動

木村
 フェイスブックのみで告知をして、約20名が集まりました。小学校のグラウンドで、照明も薄暗いナイターでのセレクションでしたね。それで17名くらいの登録でスタートしたんですけど、福山出身者は数名で、ほとんどは市外からでしたね。福山でサッカーをしている人からは「なんだこのチーム?」という感じで、まったく受け入れられてないのが現実 でした。なんとか広島市内のサッカー小僧たちが集まって、広島県リーグの下、東部地区リーグ3部でスタートしたのが17年の春です。J1 から数えると「J10」ということになりますね。

小林
 最初の1年は昇格できない仕組みなので、東部3部は2シーズン戦ってます。ただチャレンジで勝ち上がったこ とで、県2部には飛び級で昇格できました。

木村
 2017 年はとにかく試合の人数が集まるか、審判や試合運営がちゃんと出来るかどうかという、そういうことばかり気にしてましたね。メンバーが揃えばある程度強いので結果的には全勝で勝つんですけど、遊びや旅行が優先でサッカー第1じゃ無い選手もいるわけで、11人揃わない試合もありました。3部は全勝優勝して、年末から2月にかけては「仁紫カップ」という大会が毎年行われるんですけど、これに準優勝しました。仁紫カップは東部リーグ1~3 部の他に、地域(中国)リーグ、県リーグや大学のチームも参加するんですけど、県リーグ昇格へのチャレンジ権が得られる大会なんです。チャレンジ権は毎年2枠あって、1つが東部リーグ1部の優勝チームで、もうひとつが「東部リーグ参加チームの中の仁紫カップ最上位チーム」になります。これで「1年後の県リーグチャレンジ権」をいただきました。なのでもう1年東部リーグ3部を戦った。ここで優勝すれば東部2部には上がれるんですけど、その後にある県リーグ昇格決定大会で勝ち抜けば一気に県2部まで上がれるので、そこを目指して補強や日程調整を行いました。決定大会の決勝戦では敗れてしまうんですが、ラストチャンスの入れ替えプレーオフに勝利してなんとか県リーグに昇格した、というのが2018年のことです。

小林
 この時期の木村君は本当に一生懸命で、目標や目的よりも日々の試合をいかにこなすかで奔走する姿は、痛々しかった。悩み事ばかりで「どうしましょう?」という相談が本当に多かったし、僕が与えられるものといえば差し入れレベルだったり、優しい言葉をかけるくらしかなかった。そういう1~2 年を過ごしていたので「今後どうなるんだろう?」というのは誰しも思っていました。

木村
 現場レベルでは監督をやってGMをやって、他の試合で主審もするんです。人数が集まるのか心配しながら、40 歳を超えたおじさんが真夏の暑いなか笛を吹いているという(苦笑)

小林
 でもそれが現実で、そんな現状でも県2部の昇格まではなんとかなった。

木村
 本当に奇跡的じゃないですかね(笑)

小林
 特に目立ったやつもいない有志連合で「よく行ったなあ」というのが本音ですね。

木村
 
広島市組が多いので練習もなかなか集まれない。2~3人で練習したこともありました。

小林
 やはり最初は戦略も何もなくて、想いだけで走っていたなあと。そんな状況で、木村君から電話があったんですね。ここで岡本君が出てくる。

木村
 サッカーはやりながらも、チアダンススクールも2016年4月には稼働させていました。もともとあったスクールに福山SCCのスクールということでやっていただいて、生徒数も3倍くらいになった。そのチアダンスチームが地域の行事やお祭りなんかでダンスを披露することで、福山SCCの名前を拡げていく活動も同時にやって、スポンサー集めもJC関係者を中心に始めていました。でも昇格して、県リーグの運営はまたやり方が変わってきて、広島市まで行って審判もしないといけない。そのために3級審判員の資格を取りに行ったりだとかいろいろ準備を進めていたんですけど、人手だったり、チーム力も含めて「このままだと続かないなあ…でもやるしかない」と思っていたときに現れたのが岡本さんです。2019年の1月、2019年度セレクションの直前でした。

※後編に続く


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