今までのこと、そしてきっと永遠に続く夏

 これはサークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー2019の23日目の記事です。複素 数太郎(@Fukuso_Sutaro)が書いています。

 もうすぐ2019年が終わる、すなわちテン年代が終わってしまうなどという悪質な2ちゃんニュー速のデマが巷で溢れかえっていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。僕の小中学生時代をなんとか生存に傾かせたニコニコ動画とYouTubeの生まれたゼロ年代は残念ながら終わってしまったようですが、テン年代は始まったばかりです。どうやら平成も20年が過ぎてしまったとのこと。早いですね。いつまでも、この時代が続くといいなあ。このあっついあっつい夏の時代が。太陽の光の降り注ぐ夏の時代が。でも、寒い寒いと言いながら、人々はこんなにもいいお天気だというのにコートと手袋、そしてあろうことかマフラーなんて装いに身を包み、今が冬であるかのようなふざけた格好をしています。本当におそろしい、本当に。

 さて、そんなことを言っている僕もそろそろ過去の人間になりつつあることと思います。今年のサークラアドベントカレンダーのテーマは去年と同じく「自分語り」ですから、この場を借りて僕が今までインターネットで見てきた景色なんかを少し書いてみます。

 僕がこのアカウントを開設したのは2012年の12月です。約7年前で、高校3年も終わりかけている頃でした。当時そこそこフォロワーの多かった妹(現@unko_owo)の周辺の人々をフォローするため、その1年ほど前から使っていた実名アカウントから分離して @Fukuso_Sutaro が生まれました。当初は妹と仲良くしている絵師、数学界隈の人々、キルミーベイベー信者、等々をフォローしていました。

 2013年に入り大学生になると、ツイートツイ子やはるしにゃんといったみなさんにとって馴染み深い、きっと馴染み深い名前の人々にフォローされます。その少し前にメンヘラ神ことかすうさ(彼女は2013年に亡くなったので、結局面識の無いままでした)の辞世の句「皆様、善き倫理を!」の元ネタとして知られるK坂ひえきと京都で出会ったのちに(彼はインターネットの外で先に知り合いました)、倫理界隈とか呼ばれているあたりと交流するようになりました。まあ倫理界隈なんてものはみんながよく言っているように、存在しないんですけどね。あれ、今見たら2014年には「もう存在しない」って言われてたのか。存在しない歴がもう5年になる……。テン年代の、僕らが存在していたとされる時代の終わり──ってのはデマなんですけど──に総括を勝手にしておくと、関係各位の多くは納得しないでしょうが、あの言葉で指されていたのは、文学フリマというイベントを媒介にゆるく繋がっていた厭世的な人文系の若者たちと言えるでしょう。そう表現してしまうと結構多くのことを取り零してしまうのは承知していますが。なんで「倫理」ってついているかというと、「倫理」って言葉が当時なんとなく流行っててみんなが多用していたからです。多分。着床ガールズとか名乗っていたやばい女の集団がいまして、倫理界隈の雄を犯して孕むだなんて言っていたのも懐かしい記憶です。マジで泣きそうになってきた。あれって昨日とかじゃないんですか? きっとそうだと思うんですが…………違いますか……。

 インターネット考古学者のみなさんは、京都革命会とかいうクソ懐かしい言葉を思い出したり、そもそも倫理界隈という呼称自体が鯖缶麺事件で一瞬だけ出てきたものに過ぎないだとか、言いたいことはたくさんあるでしょうが、とりあえず僕の大雑把な認識としては上記の通りです。なんか3年くらい前にもこういうまとめみたいなの書いて恥ずかしくなって消しちゃったんですけど、もうすぐ全部終わっちゃう気がしてまた書いてしまった。令和とかいうよくわからん嘘松にすべてを消し去られてしまうような気がして。

 たしか2014年も冬に差し掛かろうという頃(サークルクラッシュ同好会の初代会長であるホリィ・センと初めて会ったのもこの時期です)、それまで僕は──文学フリマ界隈って上で言っときながら──文章を書いて不特定多数に向けて発表するということをしていませんでしたが、はるしにゃんから『SOINEX』に寄稿しないかと誘われました。僕は「ソイネックスの降った街」という短編を書きました。『SOINEX』は今読み返しても本当に素晴らしい本です。もう流通していないのが悔やまれます。ここから僕は小説や詩なんかをインターネットに流すことを始めました。完全に理系で、サークルも美術部にしか入っていなかったため、大学ではそういう創作活動に参加する機会に恵まれませんでした。僕が哲学や心理学を学び始めたのもこのあたりです。2015年に『SOINEX』は完成して、その年の5月の文学フリマと前日に高円寺で行われたイベント「SOINEX NIGHT」でお披露目されました。あれ以来高円寺という土地に足を踏み入れていませんが、来月行くことになりそうです。色々な記憶が蘇って泣いてしまわないか不安ですが、おそらく泣いてしまうことでしょう。これがはるしにゃんと会った最後の2日間となりました。彼はその年の夏、自殺しました。それから僕はずっとこの時代に囚われたままです。そして、これからもずっと囚われたままでいるのでしょう。

 数ヶ月後には着床ガールズの処女ちゃん主催の『きみのときを想う』に詩を寄稿しました。たぶんこの書名で合っていたと思うのですが、インターネットの海を探しても、そんなもの無かったんじゃないかというくらい情報が出てきません。怖くなってきてしまった。実物は実家にあるので、ちょっとすぐには確認できません。なんでほとんど何も出てこないんだろう……。後に僕が発行する「インターネット大倫理文学」というふざけた名前のシリーズでは、1巻『グッバイグーグルアイ』の表紙が『SOINEX』を、2巻『問題のある子』の表紙が『きみのときを想う』を意識した作りになっています。

 2014年〜2015年のホリィ・センの僕への言及をツイート検索してみましたが、ブロックしていないのに「複素数太郎はブロックを解除してくれ、頼む」と言ってきたり「複素数太郎、誰も見ていないところで会おう」「複素数太郎って中/出しOKなの?」とか言っててマジで怖いです。怖すぎる。こんなキャラだっけ? 不安になってきた。

 2016年には何もしてなかったような気がしていましたが、院試に合格したり、大学近くの催眠商法会場に乗り込んだりしていました。これも懐かしい。

 次の年、修士1年目の2017年は色々ありました。みなさんご存知の通り、死のうとして死ねませんでした。あと、サークルクラッシュ同好会にも正式に入ったのはこれくらいだったはずです。それまでは、頻繁に関わりつつも会員ではありませんでした。インターネット大倫理文学シリーズもこの年の夏にスタートしました。自分の、そして友人たちの存在を確かめるように、記憶を繋ぎ止めておくため、比較的若くまだ学生だった僕は文芸誌を発行しました。かつて同じ界隈でものを書いていた四流色夜空さんとかみしのさんには、ありがたいことに毎回寄稿していただいています。来年5月の東京文フリでは2人ともブースを申請しているそうです。よかった、まだ何も終わってなんかいない。とにかくパーティを続けましょう。これからもずっとずっとその先も。

 ぬいぐるみ同好会の存在を忘れてはなりません。誰も忘れてはならないのです。2018年、たしかにぬいぐるみ同好会がありました。今はもうないけれど、たしかにあったのです。同志社大学ぬいぐるみ同好会をはじめ、当時はティラミス研究会やシルバニア同好会などの、一見カワイイ系ではあるけれど不安を感じるようなダウナー系オーラを醸し出す異常なインカレサークルが同志社大学にいくつかありました。実際に活動していたかは知りません。少なくともぬいぐるみ同好会は何度か活動していました。ぬいぐるみを持ち寄り、ぬいぐるみバトルをしたり、ぬいぐるみの集合写真を撮ったりしていました。幸せでした。インターネットで一番面白いのは過去現在未来すべての時間・空間を通してぬいぐるみ同好会だと断言して間違いはないはずです。しかし、僕が会長に放った無配慮なひとことをきっかけにぬいぐるみ同好会は消滅してしまいました。本当に、本当に悲しいことです。もしも一度だけ時間を巻き戻せるのなら、僕はぬいぐるみ同好会を存続させることにその力を使うでしょう。ぬいぐるみ同好会元会長、もしこれを見ているなら、ぬいぐるみ同好会を復活させてください。お願いします。頼む。頼む。

 同年にはバーチャルYouTuberとしての活動も始めました。もしかすると、そこから僕のことを知る人のほうが今は多いかもしれません。最近はあまり動画を投稿できていませんが、今週末にでも撮影しようかなと思っています。それと、この年の夏にはホリィ・センたちと「桃色つるべ」という番組にサークルクラッシュ同好会会員として出演しました。テレビにはこの後も(学生のあいだも社会人になってからも)出演する機会があったのですが、これが初めての「スタジオ入り」でした。

 今年の3月に修士課程を修了し、今は会社員をしています。だから2019年については「働いていた」としか言いようがありません。そうです、僕はもう普通の社会人になってしまったのです。だからこうして、自分の存在と、これまでのことを確認していないといけないのです。そのことが僕を正気でいさせてくれます。そしてきっと永遠に続く夏を歩くための力を僕にくれるのです。


 明日は 壺 さんの記事です。では、少し早いですが、メリークリスマス。最高の夏にしましょう。

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