名探偵のはらわた 登場事件解説-2 八重定事件

名探偵のはらわたに登場する事件の元事件をご紹介

・八重定事件→ 阿部定事件
 1936年(昭和11年)5月18日に東京市荒川区尾久の待合で、阿部定が性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件。
 事件発覚後及び阿部定逮捕(同年5月20日)後に号外が出るなど、注目された事件だった。

 阿部定は、名古屋で交際していた中京商業学校長で名古屋市会議員の大宮五郎の紹介で東京・中野にある鰻料理店「吉田屋」の女中として働き始め、その店の主人・石田吉蔵に惹かれる。
 二人は惹かれあい、密会をするようになり、やがて駆け落ちし、東京都尾久の待合旅館「満佐喜」に滞在した。

 1936年(昭和11年)5月16日の夕方から定は、石田の腰紐を使い呼吸を止めさせる性交を2時間繰り返した。

 5月18日午前2時、定は眠っている石田を二回、腰紐で絞め殺した。
 定はのちに警察で「まるで重荷が私の肩から持ち上げられたように、石田を殺したあと、私はとても楽になった」と供述した。
 定は包丁で彼の性器を切断し、ハトロン紙で陰茎と睾丸を包み、逮捕されるまでの3日間、持ち歩いた。

 定は血でシーツに「定吉二人キリ」、左太ももに「定吉二人」と書き、石田の左腕に包丁で「定」と刻んだ。
 石田のステテコとシャツを腰巻の下に隠し、「(吉蔵は)具合が悪くて寝ている。午後まで起こさないで」と言い残して、午前8時ごろに宿を出た。

 宿を出たあと、定は大宮五郎に会い繰り返し彼に謝罪した。
 定の殺人をまだ知らない大宮は定が、石田と駆け落ちしたことを謝罪していると勘違いし、さほど気にせずその夜は定と肉体関係を持った。

 5月19日事件が新聞報道され、「阿部定パニック」と呼ばれる熱狂を巻き起こした。
 瓜実顔で髪を夜会巻きにした細身の女性を、定と勘違いした通報で各地の繁華街はパニックになり、新聞も愉快に書きたてた。

 5月20日に品川の宿に偽名で宿泊、大阪へ逃亡する計画をしていた。
この宿で彼女はマッサージを受けて、ビールを3本飲み、大宮五郎、友人、石田に別れの手紙を書いた。

 同日午後4時、高輪署の刑事らが彼女の部屋を訪れた。
 「阿部定を探しているんでしょ?あたしがお探しの阿部定ですよ」と、さらりと名乗り刑事らも驚くほど落ち着いた態度で逮捕されたと言う。

事件発生後、定が切断した性器をどう表現するか、は新聞各社を悩ませた。
 この事件のメインテーマなため、誤魔化すわけにもいかなかった。
「局所」「下腹部」という表現が用いられ報道され、これ以後は性器部分をあらわす言葉として定着した。

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