名探偵のはらわた 登場事件解説-6 よつば銀行人質事件

名探偵のはらわたに登場する事件の元事件をご紹介

・よつば銀行人質事件→三菱銀行人質事件

 1979年(昭和54年)1月26日に三菱銀行北畠支店で発生。
 猟銃を持った男が押し入り、客と行員30人以上を人質にした銀行強盗および人質・猟奇殺人事件。

 銀行の閉店時間である15時前ごろに、帽子、黒スーツ、黒サングラス、白マスクの犯人こと梅川が5000万円を強奪する目的で銀行に押し入り、猟銃を天井に向けて2発発砲した。
 梅川は現金をリュックサックに入れるように行員を脅した。
 その際、非常電話で通報しようとした20歳男性行員を見つけ射殺し、また流れ弾により男性行員と女性行員を負傷させた。
 男性行員が現金を詰め込み、梅川は警察が到着する前に銀行から逃走する計画であったが、逃げ出した客が自転車で住吉警察署に通報し、事件は発覚した。
 予想より遥かに早く警察が銀行に駆けつける。
 警察は犯人に銃を捨てるよう要求し、威嚇発砲をしたが、梅川は警官の顔と胸を撃って射殺した。
 その前後に銀行から脱出した行員が近隣の喫茶店に飛び込み110番通報を依頼、行内の別の行員も警察直通緊急通報ボタンを押して通報。
 直後に阿倍野警察署パトカーで駆けつけた巡査と巡査長にも梅川は発砲し、巡査を射殺した。
 巡査長は防弾チョッキを着ていたため無事だった(当時は予算の関係でパトカーのトランクには防弾チョッキが一着しか積まれていなかった)。

午後2時35分に大阪府警本部に銀行の異常事態が通知され、3分後には大阪府内の全署に緊急配備指令発令。
 緊急配備から2分後には捜査員や機動隊などおよそ320名が銀行を包囲し、銀行付近500メートルの道路を閉鎖。
 梅川はシャッターを下ろすよう命じ、出入口を閉鎖したが、警察官がとっさに近くにあった看板や自転車等をシャッターの下に置いたため、シャッターは40cmの隙間を残して完全には下りなかった。

 行内にいた親子連れと妊婦はすぐに解放されたため、人質の人数は39人になった。
 また人質とは別に貸し金庫室などに隠れた客5人が店内に残された。
 店内の状況は凄惨で、殺害された者の遺体が人質たちのそばにあったままだった。
 籠城した梅川は、猟銃で威嚇しながら、人質たちに対して、非常用出口や階段を塞ぐバリケードを作らせる。
 また、射殺した警官が所持していた拳銃を女性行員に命じて奪わせた。
 バリケード完成後、全員を整列させて点呼させ、「金を用意しなかったのが悪い」と言って支店長を至近距離で射殺した。
 その後、梅川は、狙撃隊から自分の身を守るために、男性行員全員を上半身のみ裸、女性行員には電話係を除く19人全員を全裸にさせ、『肉の盾』となるよう命令する。
 女性行員についてはただ脱がせただけではなく、じりじりと楽しむように服の脱ぎ方の順番までも指示していった。
 行員はトイレに行くことも許されず、カウンターの隅で済ませるしかなかった。
 その後、梅川は、片親の女性行員1人にのみ服を着ることを許している。

 やがて、梅川は、こういう状況の中でも冷静沈着な最年長の男性行員Aに対して、生意気だと怒り再び猟銃を発砲した。
 Aはとっさに身体をずらしたため、右肩に被弾し重傷を負った。
 Aはバリケードを作る際に梅川を怒らせまいと周りの銀行員たちを励まし指図しており、梅川が後々抵抗されると厄介だと判断したことも狙われた理由とされている。
 梅川は別の男性行員に、ナイフでとどめをさして肝を抉り取るように命じるが、命令された行員はAを守るために「もう死んでいる」と嘘をついた。
 すると、梅川は、映画『ソドムの市』で死人の儀式を行うワンシーンの話を出した上で、「そいつの耳を切り取ってこい。死んでるなら切れるだろ」とナイフを差し出して命令を出す。
 命じられた行員は激しく抵抗したが、散弾銃で撃たれた者の遺体と猟銃で狙われている恐怖により応じた。
 死んだふりをしていたAは命じられた行員が来ると「かまわん」と小声で言う。
 命じられた行員は小声で何度も「すみません」と泣きながら耳元で呟き左耳を半分切除し、その耳を梅川に差し出した。
 梅川は、耳を口にすると、まずいと言って吐き出した。
 耳を切り取られたAは、失神し多量の出血となったものの事件解決後の緊急治療により、一命を取りとめた。
 また、撃たれた右肩は治療で二の腕にかけて人工骨が入れられ、12個の銃弾が摘出不能のために体内に残ったままとなった。
 その後梅川は、行員らに向けて威嚇発射をするなどいたぶって喜んでは、些細なことで癇癪を起こして「殺すぞ」と怒鳴りながら、真剣な顔をして銃口を突きつけたりした。

 事件をうけて警察は銀行2階の事務室に現地本部をかまえた。
 当時の大阪府警本部長の吉田六郎は大久保清事件や山岳ベース事件などの事件発生時に群馬県警本部長を務めた人物であり、本事件では自らが現地本部長を務めた。
 本部となった銀行2階の事務室から1階の梅川と電話で会話できるようホットラインを設置。
 外から当初パトカー113台、警官644名が銀行を包囲、銀行の半径1km内の交通をすべて遮断。
 建物の北と東のシャッターと2階のドアなどに手動のドリルで小さな穴を7つ開け、外から中の様子を観察しようと試みた。
 午後6時半、ようやくひとつの穴から行内が見渡せるようになった。
 店内は警官や行員の遺体が転がり、そのそばで「肉の盾」が動いている異様な光景が見えた(このシャッターの穴から見えた梅川の写真は後に毎日新聞がスクープ報道する)。
 そのほかにATMを動かしその隙間からも室内を偵察していた。
 また店内放送の回線を逆にして梅川と人質の会話を傍受することに成功した。
 夜、梅川は400グラムのサーロインステーキとワインを要求し届けられる。
 人質にはカップラーメンが差し入れられたが、「栄養がない」と梅川が怒り、代わりにサンドイッチや胃薬が差し入れられた。
 このカップラーメンは後に梅川が食べている。
 午後9時半、ひどい風邪をひいていた女性行員が解放された。
 警察は梅川が要求したビーフステーキに睡眠薬を入れることも検討していたが、捜査員がステーキソースに液体の睡眠薬を混ぜて味見したところ、舌先に刺激を感じたこと、なにより梅川は用心深く、毒の混入を警戒し差し入れられた食事は全て人質に毒味をさせていたため、警察はこの方法を断念している。

 日付は変わり、しばらく膠着状態が続いていたが深夜2時頃、人質の客(76歳男性)がトイレに行かせてくれと申し出たところ梅川は年齢を聞き解放。
 同じ頃、捜査本部は銀行の3階の女子更衣室に作戦指揮室を開設して指揮に当たった。

 梅川はラジオの差し入れを要求していたが、差し入れが遅いことに腹を立てロッカーに向けて発砲し、流れ弾により客と男性行員の2人が負傷。
 夜明け前にラジオが差し入れられ、そのラジオのニュースで自分の実名が誤った読み方をされ激怒し、捜査本部に「俺の名前はテルミやない!アキヨシいうんや!報道のやつらにアキヨシだと言っておけ!」と言い放った。

1月27日の午前8時前に人質の客2名が解放される。
 10時半頃、梅川の母親と叔父が捜査本部に到着し説得を始めるも失敗。
 手紙で母親が説得すると梅川はトイレの使用を認めるようになり、全員に服を着ることを許可して、昼までに2人の人質(いずれも女性客)を解放した。

その後差し入れられた朝刊を女性行員に朗読させ、銀行にあった500万円の現金を用意させると、男性行員に借金を返済してくるよう命じる。
 午後1時半、弁当の差し入れと引き換えに人質の客(24歳女性)を解放。
 午後3時前、梅川の借金返済のため男性行員がハイヤーで出発し(同日午後10時ごろ銀行に帰る)覆面パトカーが追跡。
 ハイヤーに乗った男性が人質の銀行員らしき情報が報道陣に流れるも、この借金返済についてマスコミが知ったのは事件解決後であった。
 この借金返済は法律上無効であり、借金返済の金は警察により回収され銀行に戻された。

 午後3時半、リポビタンDの差し入れの後に人質の客(19歳女性)解放。
 しばらくして行員の申し出により3人の男性行員の負傷者が解放される。
 3人のうち2人は大阪府立病院に、残る1人は阪和記念病院に救急車で搬送。
 それから1時間後の午後5時前、最後の人質の客(25歳男性)を解放。
 梅川はこの人質が最もお気に入りだったらしく、この人質をKちゃんと愛称で呼ぶほどだった。
 午後6時、梅川に気づかれずに隠れていた客(合計5人)が、捜査員の誘導により無事に脱出した。
 梅川は5名の存在も脱出も知らなかった。

 午後7時、梅川がシャッターの穴に気づき、行員に穴を塞ぐように命じる。だが東のシャッターの穴だけは唯一、気づかれず事件終結までこの穴から梅川や行内の監視が続けられた。
 深夜、遺体の腐敗臭が強くなると、梅川と行員が協力し合って遺体を移動させる。

 1月28日の午前0時から、捜査本部は人質の苦痛はすでに限界と判断して突撃作戦を開始する。
 午前2時3分、救急隊員が行内に入り遺体を搬出。
 警察はこの時の混乱に乗じて梅川を狙撃逮捕する作戦を練ったが、梅川は人質の男子行員に自分の服を着せ、弾を抜いた猟銃を持たせ、自分は人質の服を着て拳銃を持ち人質に紛れ込む偽装工作をしていた。
 朝から機会を伺っていた警察は、人質の見張り役が前夜外出した行員と交代した直後、突入準備を開始した。
 トイレに来た行員から「今回はチャンスがあると思うので合図しますからよろしく」との伝言を受け、大阪府警察本部警備部第二機動隊・零中隊(SAT前身部隊)を待機させた。
 直後、梅川の至近距離にいて射撃の際に被弾する可能性のあった女性行員がお茶を入れるために離れた。
 のぞき穴から監視していた警察官からの報告を受け、吉田本部長は強行突破を指示した。
 零中隊員7名は、トレーニングウェアを着用して匍匐前進で侵入した。

 1月28日午前8時41分、警察の作戦を知らされていた唯一の男性行員が、新聞を読みながら居眠りをし猟銃から手が離れていた梅川を確認、警察に掌を上下させ合図した。
 その直後、7名の零中隊員が人質に「伏せろ!」と叫ぶとともにバリケード代わりのキャビネットの隙間からカウンター内に突入する。
 零中隊員は拳銃で計8発を発射し、そのうち3発が頭と首、胸に命中、梅川は床に崩れ落ちた。
 梅川は天王寺の大阪警察病院に搬送、意識不明の重体であったが脳波は確認され、2600㏄の輸血と銃弾の摘出手術を受けるも、右の頸部の貫通銃創が致命傷となり同日午後5時43分に死亡が確認された。

 梅川は人質に自分の服を着せて、弾を抜いた猟銃を持たせるという偽装を行い、自身は人質の服を着て人質の中に紛れ込み「人質解放や!」と叫んで混乱に乗じ脱走する計画を練っていたが、これは警察に見抜かれていた。


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