おもはゆい東野先生
高校生の頃の学校の記憶はほとんどない。
ただ漫然と学校に通い、ほとんど誰とも口を聞かず、友人もいなかった。
家には帰らず、アルバイトをしていた居酒屋の常連であった年上の女性が部屋を用意してくれた。高校生活の3年間で、実家に帰ったのは3回だ。3回。これは数が少ないからしっかり覚えている。
この状況はもちろん「悲惨」そのものであると思うが、当時はそんなことを考える暇すらなかった。毎日をやり過していくこと、ひとりで生きていくために金を稼ぐこと、それでいっぱいいっぱいだった。
ほぼ毎日アルバイトをしていたから収入はそれなりになったし、居酒屋ではまかないがついていた上、お客さんの残り物や適当に余った材料で学校で食べる用の弁当をつくっていた。
当時は心が強く固まっていて
「僕はもう今後の人生をこうして生き延びていくしかない。これ以上状況が良くならなかったら、20歳くらいになったら死ねばいいかな」
となんとなく思っていた。
当時、苦しい現実から逃げるために音楽をよく聴いていた。色々な曲を聴いて、ベースラインを真似して暇な時間を潰すのが好きだった。学校の休み時間は適当に選んだ曲をイヤホンでずっと聴いていた。
誰も私を気にせず、また誰も私と話そうとは思わなかった。
ただ、ひとつだけ覚えていることがある。私が高校生活の中で今でも記憶の中に印象づけられているエピソードは、ほんとうにこのひとつだけだ。
当時好きだった曲で「たまゆら」という曲があった。
当時はネットで適当に曲をあさっていて見つけた曲だったか、今調べてみると、どうやら「ギターフリークス」という音楽ゲームの曲らしい。
その曲の中にこういう一節がある。
「唇に おもはゆき 艶々の夜の香は今昔」
「おもはゆき」?
おもはゆきってなんだろ。
ちょうどその曲を聴いていた直後、現国の授業を受けた。
現国の先生は東野先生という方で、身長が小さく、眼鏡をかけていて、神経質そうな先生だった。あまり教職に向いてるようには見えない先生だった。生徒がうるさいとすぐ怒り出す人だったのを覚えている。
授業が終わったあと、先生になんとなく聞いた。
「東野先生」
「あっ君、えーと名前は」
「袋小路です」
「ああっそうだね。袋小路くんだったね。何かあったのかい」
「最近聴いている音楽の歌詞で」
「うん」
「『おもはゆき』っていうことばが出てくるんですけど」
この時、東野先生の表情が、漫画のようにパアァー!っと明るくなるのを、今でも鮮明に覚えている。
「うん!うん!」
「意味を教えてほしくて」
「おもはゆいというのはね!日本の古いことばなんだよ!とても繊細な意味の言葉でね……」
私は急にテンションが上がった東野先生に若干気圧されながらも「おもはゆい」の意味を理解した。
東野先生はたぶん嬉しかったのだろう。
その後私によく話しかけてくれるようになった。
なにかのタイミングで「おもはゆい」が出てくる曲を聴かせてほしいというので「たまゆら」を聴かせてあげた。
「こんなうるさい曲だとは思わなかったよ」
先生が笑った。私も少しだけ笑えた。
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